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瓦礫の中の百年

地が震え、家はわななく。土砂は流れて人が潰れる。
百年前、この場所で起きたこと。言葉にすれば二行で終わる。

私の在家は、1923年に関東大震災の震源地となった相模湾の沿岸付近に位置する。今年は震災からちょうど百年、節目の年だ。だが、節目とは一体何か。百年が経ったことで何かが変わったのだろうか。当時の人々が負った傷は、現代にどんな影響をもたらしたのだろうか。私も含め、誰もその大震災を体験できたわけでも、これからできるわけでもない。追体験することに、意味があると、断言できるわけでもない。

しかし、私が暮らすこの土地で、はるか遠い過去に響き渡った、この地のうねりを、人々の叫び声を、何も知らずに無視してしまうことはなんだかとても残酷なことのように思えた。

そこで、今年一年を使うつもりで関東大震災の写真や資料を調べようと決心した。

調べる方法はこの情報社会にあっては多岐にわたる。国立国会図書館のデジタル資料や紙の図書、地元の郷土史料、それからネットのニュース記事、まとめサイト、色々な場所にその記録は伸び広がっている。

私の地元は当時漁師が多く、朝が早い彼らは揺れが起きた昼頃にはすでに食事を済ませ昼寝をしていたらしい。だから東京や横浜のような大火災による被害は少なかったという。だが震源地に近い分、揺れや津波の被害は大きかった。

ある写真が目にとまる。大きな汽車の写真だ。その車体は背を横に傾け横たわっている。飼い主に背中をすりつけて、腹を無防備に投げ出す犬のように見えて、思わず頭を振る。

私はそのとき初めて、汽車の腹には節足動物の裏側みたいに関節があって、そこから無数の足が生えていることを知った。

そばには電柱が地面に対して鋭利な角度を作っていた。レールは大きく歪み、子どもが描いた線みたいだった。

もう一つは海の写真だ。土砂や家、電信柱が流れ込み、モーセみたいに海面を真っ二つにしている。どこかへの架け橋みたいだった。

私は、これらの風景の背後にいる、もしくは目の前にいる無数の死者の声を聞くことはできない。どんな人たちだったのか知ることもできない。


そして、書けば二行で終わってしまう。この未曾有の大震災を、瓦礫の如く積み重なってきた百年という歴史の道筋で起きたことを、たったの一年で知ることはできないと思った。

一生かけても、という途方もなさが耳に轟いていた。



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