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最小限度の憂鬱

祖父は農業大学で学び、卒業後すぐとは言わないまでも、早くに農園を開いた。長野の高原にある畑には、今でもブルーベリー、人参、キャベツなど、様々な農作物が身を潜めている。母が幼い頃は山羊を飼育していたらしく、牛乳の代わりに山羊のミルクを毎朝絞って飲んでいたという。

胎内で蠢動していたのが私であったことを母が疑わないように、私は今生きている私が私であることを疑わない。母が絞った乳の味を私が知らないように、私が吸った乳の味を私は知らない。私が生まれ落ちた膝の硬い感触を思い出せないように、私の柔らかな心臓の感触を思い出すことができない。かつては一つだった私と心臓は、今は紙の裏と表のように、交わることがない。腫れ上がり、膿み、血が流れるように、胎児の私は嬰児になった。その胎のうしおは拭き取られてしまった。

私は土になりたい。祖父の苗を植える優しい手に包まれるあの土になりたい。母が山羊のもとに駆け寄るとき、朝霜とともに踏まれるあの土になりたい。私にこぼれ落ちた薄いミルクが染み入る。その土は祖父を助け、作物を育てる。その養分が母を育て、やがて私を産むだろう。


私が胎内で死ななかったことは最小限度の憂鬱である。私が吸う乳房があったこと、私が見る輝かしい日の光があったこと、私が踏む柔らかい土があったことは、最大限度の自責である。


今静かな箱の中に横たわっていらなら。血に塗れたままで、布にくるまれ温かな火に包まれていたなら。
胎児ではなくなってしまった嬰児は悲しい。



そうでないなら今すぐ陳弁してほしい。私を産み落とした母の痛みが、私が吸った乳の養分が、無意味ではなかったと言ってほしい。


自然を蔑まない時が来るのだろうか。地べたを這いつくばったことを誇れる日は来るだろうか。吸った乳の味を思い起こすことはあるだろうか。祖父の手を握りたい。母を育てたその手を。その時私はどう思うだろうか。


車窓から山間に雲が見える。赤い花が咲いている。


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