見出し画像

第15夜 楊逸さんと新潟のハルビン餐庁 環日本海ブームから30年

 中国生まれの芥川賞作家、楊逸(ヤン・イー)さんにお目にかかったことがある。「新潟県の新聞社に勤務しています」。そう自己紹介すると、楊さんの大きな目がぱっと輝いた。「新潟には、遊びに行ったことがあります。ハルビン料理のお店がありますよね」
 ロシアに近い黒竜江省ハルビン市は、楊さんの出身地だ。日本に留学後、中国語教師などを経て、2008年に『時が滲(にじ)む朝』で芥川賞を受賞した。日本海に面する地方都市、新潟市は故郷と交流が深いと聞き、小旅行をしたのだとか。新潟駅近くの店でハルビン出身の料理人と話し、本場の肉まんをお土産に持ち帰った。古里の味は、異国で暮らす楊さんに元気を与えてくれたはずだ。
 この料理店は、「ハルビン餐庁(さんちょう)」のことだろう。中国語表記は「哈爾濱餐廳」。1990年、日中合弁の本格中国料理店としてオープンした。新潟市の株式会社ニイハル(栄森金次郎社長)とハルビン市飲食公司が出資した。
 大衆酒場チェーン「安兵衛」の経営で知られた栄森さん(故人)が、ニイハルを設立したのは88年。新潟市と友好関係にあるハルビン市との食文化やサービス業の国際交流が目的だった。ハルビン市に日本レストラン「新潟餐庁」、ロシア極東ハバロフスク市にも合弁で「レストラン新潟」を展開した。
 ハルビン餐庁で売り物の一つは、ハルビン名物という三鮮水餃子(さんせんすいぎょうざ)だった。エビやナマコ、肉が入り、皮がモチモチしていてうまい。風味のあるハルビンのソーセージや、ひき肉の入らない麻婆豆腐はここで初めて食べた。中国といえば北京を思い浮かべるけれど、地方にも多様な風土と豊かな食文化が息づいていることを実感した。
 新潟発でこうした店が生まれた背景には、米ソ冷戦構造が崩れた90年前後に起きた環日本海(北東アジア)ブームがある。日本海が「平和の海」に変わり、対岸諸国・地域との経済交流が本格化すると期待されたのだ。冷戦下でもロシア極東や中国東北部の自治体などと独自に交流を続けてきた新潟は、そのフロントランナーとして注目を集めた。93年には、新潟を拠点にした官製シンクタンク、環日本海経済研究所(ERINA)が設立された。
 あれから30年。関係者が夢見た「北東アジア経済圏構想」は残念ながら、進展のないままだ。ロシアは市場経済化に乗り出したものの、うまくいかず、いまはウクライナ侵攻で国際社会から批判を浴びている。ロシア極東などに投資した日本の企業は、体制の違いに阻まれ、実りを得られなかった。日本と北朝鮮の間には核やミサイル、日本人拉致問題が横たわり、日中、日韓関係も領土や歴史問題などできしみが続く。
 ニイハルはハルビン餐庁の経営から撤退した。日中合弁ではなくなり、経営者も変わった。現在、新潟市中央区で営業する「ハルピン餐庁」は、中国料理のほかに日本人好みのラーメンなども出し、親しまれているようだ。
 ERINAはこの3月に解散し、4月から新潟県立大学の「北東アジア研究所」(ERINA―UNP)に移行する。30年の貴重な研究の蓄積を生かし、新たな一歩を刻んでほしいと思う。
 歴史は動くもの。今は厳しい状態でも、長いスパンで見れば、日本海に再び新しい風が吹くかもしれない。北東アジアの隣人たちが自慢の酒肴を持ち寄って乾杯し、リスペクトを持って、互いの社会や文化への理解を深め合う。そんな日が来ることを願っている。
 (写真は新潟市のハルピン餐庁。♥スキを押していただくと、わが家の猫おかみ安吾ちゃんがお礼を言います。下の記事では、「塩するめ」を天ぷらにした上越の名物「するてん」を紹介しています)

この記事が参加している募集

ほろ酔い文学

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?