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自らを十把一絡げに分類し、枠に押し込め、生産性、効率性の指標などの悪しき慣習を作り上げ社会を秒単位で悪化させ続けている。

「平等」という概念は、人間にしかない。人間以外の自然生物には、種を分類し、名前を付けたり、同じもの同士なのだからこうすべきという性質は無い。人間には、人間が持つ「思考」にある種独特の特性がある。特に物事を分類し括るという思考。これは、自然界の中での生物としての決定的な違いを生み出している。だから万物の霊長と言われる所以となっている。しかし、現代の荒んだ在り様を見るにつけ、人間が生み出している社会において、決定的な誤解や間違いを犯してしまっていることがある。それは、十把一絡げに物や事を括り、線を引き、分類し、比較をして優劣を付けてしまうことにある。本来、生きとし生けるもの全てに同じものは何一つない。工業製品や鉱物一つとってみても、同じように視えて同じではない。ミクロレベルでの成分や配合の微細な違いがあるのだから、結果に違いが出るのは当然のこと。それを人間は、標準化と称し、無理に分類してしまっている。この違いの存在を認めず、否定をしてしまう思考の誤りに、現人間の多くは全く気付いていない。自らを十把一絡げに分類し、枠に押し込め、生産性、効率性の指標などの悪しき慣習を作り上げ社会を秒単位で悪化させ続けている。この思考の誤りに気付き、方向転換をしていかねば、地球は取返しのつかないことになる。このことから「平等」という概念の捉え方にも、大きな問題が生じてしまっていることを推して知るべし。真理における本来持つ「平等」の意味は、“生きとし生けるもの全ては自由に選択できる”ということ。即ち、人間社会でいえば“自由であるという権利”となる。そもそも一つ一つの個に違いがあるということが自然界の前提であるならば、違いのあるものを同じ扱いやグループにしてしまうことに無理がある。これを都合を押し付け強引にするから世が歪み荒む。これが分からねば、真の平等は成し得ない。互いの違いを認め尊重し、その特性を生かし合う世界が本来あるべき姿。


そのことを肝に銘じ、真の平等の意味を捉え直します。


有難う御座います。

幸せを呼ぶそよ風チャリダー/サステナビリティイノベーティブコンサルタント。「感謝感動を世界に地球に」のカングロ代表、ザッポス研究会、イノベーションサロンZ、システムD研究会、サステナ塾、セブメディ創設者