江戸生艶気樺焼① 黄表紙の名作といわれる作品がこれだ
「江戸生艶気樺焼」(1785刊)は、山東京伝(1761~1816)作画の黄表紙、上中下3巻。
大人の絵本として、江戸時代後半の文芸界を席巻した黄表紙の代表作とされる。
作者、京伝は、江戸時代後半を代表する作家であり、浮世絵師北尾政演としても知られている。「江戸生艶気樺焼」を発表したのは20代中頃。その後も多くの作品を残している。
作品の挿絵の一部をアレンジし、文章もわかりにくい過去のものは現代風に意訳して紹介する。
上巻
一
ここに百万長者と呼ばれたる仇気屋の一人息子を艶二郎といって、年も十九や二十歳という頃だが、「貧ほどつらい病はない」ということわざには縁がない金持ちで、他の病気だけ心配している身分なれども、生まれつき浮気なことを好み、恋愛小説を読みあさり、登場人物の色男の身の上をうらやましく思い、一生の思い出に、このような浮気な浮名の立つことがあれば、ゆくゆくは命も捨てようと、ばからしいことを心がけ、命がけの思いつきを始める。
艶二郎「こういう身の上になったら、さぞおもしろかろう。よい星の下に生まれた主人公たちだ」
二
艶二郎は近所の道楽息子北里喜之介、悪井志庵という太鼓医者なぞと心やすくして、いよいよ浮気なことを工夫する。
艶二郎「むちゃくちゃ浮名の立つ方法がありそうなものだ」
喜之介「まずはメリヤスっていう流行歌を覚えることが浮気の最初さ。また、ラブレターの書き方にも秘伝のあることさ」
三
艶二郎はまず彫り物(入れ墨)が浮気の始まりなりと、両方の腕、また指のまたにまで、二、三十ほど、あてもなき彫り物をし、痛いのをこらえて、ここが大事だと、よろこんでいる。
彫り師「新しいものばかりではなく、なかには消えたものもなければわるいから、後で灸をすえて消しましょう」
艶二郎「色男になるのも、とんだつらいものだ」
四
艶二郎は、芸能人の家に美しい娘が押しかけるのを、浮気なことと、うらやましく思い、近所で評判の芸者、「おえん」という踊り子を五十両で雇い、家へ押しかけさせたくて、悪井志庵を頼みに行かせる。
志庵「これが頼みの件で、うまくいったら出世もあるさ」
おえん「押しかけるだけなら、全然大丈夫さ」
五
家の女中たちがのぞき見をしてささやく。
女中「うちの若旦那に惚れるとは、よっぽどの変わり者だ」
おえん「申し上げるには、そもそも寄る辺定めぬ一夜妻、この辺りに住む、人の心を浮気にする芸者でござんす♪ お寺で、こちらの艶二郎さんを見初めました。女房にすることができぬのなら、せめて食事の世話をしたいのさ。それもできぬのなら、死ぬ覚悟でござります」
などと、注文通りのセリフを並べ立てる。
艶二郎「はて、色男とは、どこでどんな目にあうかわからぬもの。もう十両やるから、もちっと大きい声で、隣近所まで聞こえるように、頼む頼む」
番頭候兵衛「若旦那のお顔では、よもやこういうことはあるまいと思ったのに。これ、娘さん、お門違いではないかの」
艶二郎が親弥二右衛門、頼んだこととは知らず、気の毒に思い、いろいろと意見して帰しける。
六
この噂、さぞ世間でするだろうと思えども、隣でさえ知らぬので、張り合いがぬけ、瓦版を頼み、このいきさつを文章にして、一人一両ずつで雇い、江戸中に売らせる。
売り子「評判評判。仇気屋の息子艶二郎という色男に、美しい芸者が惚れて駆け込みました。とんだこと、とんだこと。ことの次第はここにある。代金は不要。タダじゃタダじゃ」
女「なにさ、聞いたこともない。みんな作り話さ。タダでも読むのが面倒でござんす」
七
艶二郎、くしゃみをするたびに、「世間で俺の噂をしているのだろう」と思えども、いっこうに町内でさえ噂にならぬゆえ、このうえは、女郎買いをして浮名を立てんと、吉原の案内所浮気松屋へ来て、悪井志庵、北里喜之介とともに精一杯にしゃれる。
八
艶二郎は、浮名屋の浮名という手練手管のある女郎に決めて、すっかり惚れられるつもりで、精一杯のおしゃれをして、着物の襟ばかりいじって、「色男も、さてさて気のつまることなり」と思う。
志庵「もし、おいらん、世間ではあなたのことを、とても手練手管のある女郎だと申します」
喜之介「風俗紹介雑誌じゃねえが、あんたが女郎衆の親玉だね」
浮名「冗談ばっかり言いなすんな。拝みんす」
浮気な評判を立てたい艶二郎がしでかすことを次々絵と文章で表現するお話。
吉原でのできごとは中巻へとつづく。
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