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京伝鼻から生まれた江戸の戯作絵本、山東京伝の黄表紙「江戸生艶気樺焼」①

 山東京伝(さんとうきょうでん)「江戸生艶気樺焼(えどうまれうわきのかばやき)」の主人公、にやけた顔に京伝鼻と呼ばれるダンゴ鼻をつけた、艶二郎(えんじろう)が江戸時代の人気者だった。彼は、フナッシーみたいなキャラクターだ(古~)。これは、絵と文字が一つになった絵物語である黄表紙だからこそのこと。好色を題材としていながら、ストーリーとは直接関係ないセリフを絵に入れていたりする。今のマンガで、ストーリーとは関係ないギャグがどっかに入っている。黄表紙は、そんなふうに描かれている。
 タイトルの「江戸生艶気樺焼」も、「江戸前の鰻の蒲焼き」のもじりになっている。「鰻」が「浮気(艶気)」になっている。

 作者、山東京伝は、江戸戯作を代表する作家。
 京伝鼻の艶二郎の姿を描いた浮世絵師は、北尾政演まさのぶ
 北尾政演は北尾派の浮世絵師であり、実は山東京伝の別名である。「江戸生艶気樺焼」は、作画・山東京伝となるのだ。絵も文も書ける。マンガ家と一緒だ。そして新しい手法を江戸時代に次々に生み出した。まさにマンガ界の手塚治虫のような人物が京伝だ。

 京伝鼻の艶二郎は、黄表紙発刊の前年、天明四年(1784年)刊の手ぬぐいのデザイン集「手拭合(たなぐいあわせ)」に登場している。黄表紙の艶二郎がまだ世に出る前なので、作者京伝から、特徴的なダンゴ鼻を京伝鼻というようになった。

手拭合


 京伝はデザイナーでもあったのだ。そこで評判になった京伝鼻のキャラクターを使ってストーリーを考えた作品が「艶気樺焼」だ。今でもキャラクターから映画ができたりする。

 天明五年(1785)刊の「江戸生艶気樺焼」は絵と文がひとつになった黄表紙と呼ばれる作品。黄表紙は、桃太郎や金太郎の絵本から発展してできた、遊里などを舞台にした大人の絵本だ。10ページで1冊になっている。最初と最後は単ページになるが、途中は見開きになり、左右のページをあわせてひとつになっているものが多い。「江戸生艶気樺焼」は上中下3冊からできている。全部で30ページの絵物語だ。


江戸生艶気樺焼1

 「艶気樺焼」のストーリーは、主人公、艶二郎が、浮名を流して話題になろうとするもの。「こういうみのうへになつたら、さぞおもしろかろう」と、本に出てくる色男にあこがれる。そして実行する。迷惑YouTuberみたいなものだ。

 艶二郎が行う、ばかばかしい内容を順に並べてみる。

一、 女の名前の入れ墨を入れる。

 母の名は親父の腕にしなびて

 江戸川柳にこんな句がある。「○○命」と若い頃に入れた入れ墨が、年老いて皺くちゃになった腕に残っている。若者にタトゥーが流行っているけど、50年後を想像してやってることだろうか。子どもができたときのことを想像しているのだろうか。想像力は大切だ。

 艶二郎は、これが浮気の始まりだと、二三十個も入れ墨を入れる。挿絵にはセリフもあり、「色男になるも、とんだつらいものだ」とつぶやく。

二、恋人役に芸者を雇う。
 家へ駆け込ませ、うわさになろうと、五十両で美人芸者を雇う。恋人役の芸者は、艶二郎の両親に、そばにいられないのなら死ぬ覚悟だと演技する。艶二郎のセリフは、「もう十両やろうから、もちっと大きな声で、隣あたりへ聞こえるように、頼む頼む」。けれど全然うわさにならないので、瓦版にして配らせる。今の週刊誌の芸能ネタと同じだ。瓦版売りを見ている女のセリフは、「みんなこしらえごとさ。ただでも読むが面倒でござんす」。

三、女郎買いをする。
 相手を、浮名屋うきなや浮名うきなという遊女に決める。
 当時の遊里、吉原のガイドブック的な説明も入れている。瀬川、歌姫という遊女や、小松屋という店の名。これは実際にあった店と遊女だ。歌舞伎の松本幸四郎の記事も書いてある。「木挽丁で高麗屋が、墨河さんをするそうでござりますね」。高麗屋は松本幸四郎のこと。小さな情報が山盛りとなっている。

 ここまでが1冊で、上巻となる。

 ストーリーはたわいもないが、ところどころに最新の話題を入れ、情報誌としての役割もしている。当時の人にはうけたのだろう。だから逆に、現代ではわかりにくい部分もあるのが黄表紙だ。


つづきは、

京伝の作品紹介は、


黄表紙の「現代語訳」は、


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