江戸生艶気樺焼② 浮気なことを続けるバカ息子の物語
黄表紙の代表作といわれる山東京伝(1761~1816)作画「江戸生艶気樺焼」(1785刊)上中下3巻の中巻。
色男のような浮気なことがしたいと主人公、艶二郎が次々とばかなことをし続ける大人の絵物語。
中巻
九
艶二郎、吉原でいくら遊んでも、家に帰って焼きもちをやく者がいなければ、張り合いがないと、人を頼んで、焼きもちさえやけば後はどんな人でも良いと、四十歳くらいの女を、支度金二百両で妾に迎える。
艶二郎「支度金だけもらって、寝小便して出て行く『小便組』などはごめんだよ」
妾「私を抱えられても、どうせ風俗遊びばかりで、私のことは、かまってくれないのでしょうね」
と、少し試しに焼きもちをやく。
十
艶二郎、もともと浮気者なれば、吉原だけでなく、深川、品川、新宿の遊郭だけでなく、いろんなところで風俗遊びをしけれども、浮名ほどの女郎はいないと思いしが、普通に遊んでいてはおもしろくないと、悪井志庵の名で浮名をずーっと独占させ、自分は若い女郎を買って、隠れて浮名に逢うことにする。思いっきり金を使って、「思い通りにならないことが最高さ」と、うれしがる。
艶二郎「お主が俺のところへ来ると、あっちのお客がヤケを起こして、店の者に文句を言っている様子を見る気持ちよさは、どう安くみても、五六百両の値打ちはあるさ」
浮名「本当に主は酔狂な人でござりんす」
志庵「俺の役もつらい。座敷ではもてもてで、床に入ると、灰皿と俺だけ。これも渡世だと思えば腹も立たねえが、上等の布団で寝られるだけ、よしとしようか」
十一
艶二郎は、物語の中で、遊郭から帰る客が、女郎についている子どもに袖を引かれる場面を見て、客がつかまるのを、うらやましく思い、何もないのに頼んで、わざとつかまる。少しくらい着物が破れてもかまわないという約束で、引きずられていく。子どもたちは、後で人形をもらう約束で、ぺちゃくちゃおしゃべりしながら引きずっていく。
艶二郎「これこれ、離しておくれ。こう引きずられて行くのは、とんだ外聞がいい」
十二
艶二郎、五六日ぶりに家へ帰れば、待ち受けていた妾、ここが奉公のしどころと、かねて練習していた焼きもちを思う存分ぶちまける。
妾「ほんに男というものは、なぜそんなに冷たいんだい。それほど惚れられるのが嫌なら、そんないい男に生まれなきゃよかったんだ。また女郎も女郎だ。私の大事な男を泊めておきくさって。また、おまえさんもおまえさんだ。もお、遊びたかったら遊んでいりゃあいいさ。とりあえず、ここまで。後は着物を買ってもらってからさ」
艶二郎「もちっと焼いてくれたら、前に言っていた高級着物を買ってやろう。もちっと頼む頼む」
十三
艶二郎は、役者や女郎がするように、回向院の夜桜見物に提灯を奉納しようと、浮名と自分の紋を一緒につける注文で、北里喜之介が提灯屋へ行く。神社に奉納する手拭いも注文し、かなりの出費。もちろん、神仏への願いは何もないけれど、このような奉納物は、なるほど浮気なことなり。
喜之介「急ぎの頼みだ。骨は間をつめた丈夫なもので、周りは漆塗りで、真鍮の留め金。代金はいくらかかってもいいから、立派な物にしてえの」
提灯屋「ちと急にはできかねます。この頃は、吉原の桜祭りの提灯を作っております」
十四
艶二郎、芝居を見て、とかく色男は暴力被害にあうものと思い、しきりにぶたれたくなり、腕っ節のよさそうな男を一人三両ずつにて四五人頼み、吉原の人通りのある場所でぶたれるつもりで、歌い手を雇って歌を歌わせ、乱れた髪を浮名に直させようと、頭に青い化粧をし、まげをつかむとすぐにばらばらにほどけるようにしてぶたれるが、打ち所が悪く虫の息となり、髪の毛どころではなく、大騒ぎとなり、ようやく気がついた。このとき、よっぽどのばか者だという噂が少しばかり立った。
男たちには、こっちからの注文のセリフを言わせる。
男「おまえのようないい男がうろつくと、女郎衆が恋心を抱いて困るから、俺もちょっと焼きもちを焼いてしまう」
艶二郎「そのゲンコツひとつが三分(一両の四分の三)になる。ちと痛くてもよいから、見栄えのいいように頼む頼む」
十五
艶二郎、世間の噂を聞けば、金持ちだから、みんな金のためにしているということを聞き、急に金持ちが嫌になり、どうしても勘当してほしく、両親に頼めども、一人息子なのだから、決してできぬと言うところを、ようやく母親がとりなして、七十五日の日限の勘当で、期間が過ぎればすぐに家に帰るとの約束なり。
父「望みとあるからしかたない。さっさと出てうせろ」
番頭「こんな若旦那の思いつき、まともなこととは思えません」
艶二郎「願いのとおりの勘当だ。ありがたやありがたや。どんなつらい病気より、金持ちほどつらいものはないのさ。♪かわいい男は、なぜ金持ちなのかいな♪」
十六
両国橋に住む有名な芸者七八人、艶二郎に雇われ、勘当を許されるようにと、浅草の観音へ裸足参りをする。なるほど、裸足参りというやつは、たいていは浮気なことからおこるものなり。
芸者「ええかげんにして、早く終わらそうよ」
芸者「百度参りじゃなくて、十度参りくらいでいいのさ」
黄表紙は、草双紙と呼ばれる絵本のひとつ。
本は、昔は一冊一冊書き写していた。それが江戸時代に木版印刷が発展して、印刷された本が出版されるようになった。文字だけでなく、絵も木版で印刷した、子ども向けの赤本、黒本という絵本が作られ、そこから黄表紙が生まれた。
また、木版技術がさらに発展して、浮世絵が生まれることになる。黄表紙の挿絵画家は、有名な浮世絵師も多い。
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