かなう

かきたい。のこしたい。

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ダイブしちゃう

対話というキーワードで活動しはじめてから長いような短いような。最近は対話という言葉やその言葉がもつニュアンスに強いこだわりが出てきた。 こだわりというとわたしがずっと憧れてきた、持ちたいものでありつつ、なにかを狭めるバイアスでもあり続ける。 最近の気づきとして、対話をするというのはエネルギーをたくさん必要としていて、向き合いすぎると疲れちゃうということ。 この気づきはわたしにとって、非常に悲しいことだった。悔しい。 対話という手段はわたしが信じることで、没入することで

    • いつもの日常

      2024/04/17 たいせいが話すってことで象山学見に行った。ギリギリだったけど、席が空いてるみたい。ラッキー。知ってる1年生が後ろにいて、馴染めないこともなくて、安心。たいせいのスピーチはほんとに、よかった。緊張してたみたいだけど、言いたいこと言えたのかなって思う。わたしの言葉を引用してくれていた。 授業中にたきうちさんから連絡がきて、大学、いるー?とのこと。いる日に連絡がきてラッキー。たきうちさんとたいせいとご飯。いろいろ教えてもらった。 ご飯食べて、ショールーム

      • もう、きっと戻れない

        とんでもない日々を過ごしている。 そう気づいたのは最近。 気づかせてくれた人たちがいた。 どんな日々かと言われると、躊躇ってしまう。一言で言えば最高なの。 でも、全部が最高かと言われたらそうじゃない。 苦しくて、悔しくて泣いて帰る日もあるし、あー、こんな日のためにがんばっているんだと感じる時もある。 わたしの喜怒哀楽が染みついたこのまちで、たくさんの、人の喜怒哀楽に遭遇してしまうのが、おもしろくて。わたしが染みついている感情とは違うらしいが、みえにくい。もっと知りたい

        • 16才のわたしへ②

          中部高校一年生の、わたしへ 喜怒哀楽を表せていますか? どこかの、感情を忘れていませんか? 喜ぶことや楽しいことだけがいいと思っていませんか? だれかと一緒に悔しがったり、怒ったり、泣いたりすることもしていますか?1人でもいいです。 わたしは大学の3年間をかけてすべての、感情を取り戻したいと思えた気がします。そう思えている自分にもびっくりしています。 一年生の私からは想像できるかわからないけど、思ったより私に、かなうにしかできないこともあるようです。 大丈夫。 ま

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        • まなびの場をつくること
          3本
        • 長野ライフ
          11本

        記事

          山梨🍐

          楽しかった。全部 閉店10分前に行って10分で済ませる買い物。おいしすぎるほうとう。 世界が変わるラテを片手に、マルシェ行ったら会う長野のお兄さん。めちゃくちゃフルーティーな日本酒。陽気な発酵バンド。 ももか、なにかわからない街灯。寝湯しながら見た星空と夜景。 開けたままの人生ゲーム。ながしっぱなしのよにのチャンネル。秒で寝る友達。 なんやかんや、ちゃんとやる作業。美味しいパンとラテ。 目の前に広がる富士山。試されるDJ力。代わりばんこの音楽選択。 美味しい定食

          16才、高校1年生のわたしへ

          16才のわたしへ、おもいを馳せて書きます。 なぜ今6年前に遡るのか来月、出身高校でOB OGによる懇親会みたいなのがある。体育館に島が何個かあって、生徒がまわってくる形式らしい。 同期が10人くらい集まって、一年生に向けて進路の話やキャンパスライフについてプレゼンする。 市内でいちばんの公立高校出身の私は、いわゆる模範的な生徒ではなかった。成績は真ん中くらいだし、当時から登校時間はぎりぎり、提出物も催促されながら出してた気がする。内職もたくさんした。 けど、私は3年間

          16才、高校1年生のわたしへ

          日々のつくり手であること

          私は最近『日々のつくり手』という表現を気に入ってる。日々は元々お気に入りだったけど、つくり手は主体的な感じがポイント。 今関わっている会社が『こうありたい日常を自らの手でつくり出す』というフィロソフィーを掲げている。(かっこいいでしょ!!!さいこうなの!) この表現を私なりにいうと『日々のつくり手』なのかなと思う。 わたしたちは選んで日々をいきている。日々をつくっている。みんなでつくる日々もあるし、わたしだけでつくる日々もある。 どんな日々も愛おしくて、重ねていきたい

          日々のつくり手であること

          私のソウルフルな世界

          2023年に撮ってもらった写真の中でベスト3に入るキメキメの私。私もびっくりしてるくらい普段と全然ちがう顔をしている。でも、なんとなく私らしいなとも感じている写真。 この前の夏に自分の在り方として、「余白をもって軽やかで、しなやかでありたい」と話していた。 “軽やかさ”やしなやかさの中の“柔軟であること”は実感つつ、しなやかの中の芯、強さが足りなかった。けど、12月に入ってからや、卒業後の進路を考えるようになってから少しずつ持てるようになった気がする。 なぜなら、ほんと

          私のソウルフルな世界

          2024.1.7

          バイト終わり賄いを食べて元気になっちゃって、ぐるぐる考え事をしていたのでつれづれなるままに。 最近友達に「かなうと生徒はどんな関係なの?」っていう話をした。その時は、「”こどもたち”に」みたいな表現を使っていたから、単純に聞いてくれたのだと思う。 いま関わっている学びづくりの場では、参加してくれる生徒たちをバイネームで呼んでいる。関わっている期間が中長期になるほど、「○○さん」「○○くん」とか呼び捨て、呼ばれたい名前で呼び合う。だから、関係性が現れる呼び方はしていない。(

          さいきんはnoteすら書けない、もっとかきたい

          さいきんはnoteすら書けない、もっとかきたい

          かなうはどうすんの?

          「かなうはどうすんの?」 開口一番でこんな乱暴な言い方をする人はいないけど、近況報告をした後くらいに聞かれるこの質問。 なにをするかはわからないですけど、長野にいようと思ってますね~ こんな感じで答えている今。 これはほんと。ここの暮らしや人々が心地よくて、言っている。そうなのだけど、ほんとうに心地よいだけかもしれなくて。 心地よいだけじゃ、楽しいだけなの。 うーん。私にとってのチャレンジはプロジェクトの中でたくさんあるんだけど、まちの暮らしといまいちつながる感覚

          かなうはどうすんの?

          自分にとってJラボとは

          めちゃくちゃ重いタイトルで始まりました、このnote 2年ほど続けているJIBUN発旅するラボ(以下、Jラボ)について爆語りしたいと思います。 私にとってJラボとは…!なんなんでしょう いまはわたしたちの場これがめちゃくちゃしっくりくる表現です。 参加した初めは「わたしのための場」みたいな意識があって、わたしが高校生と関わるための場と思っていました。 なぜ高校生と大学生が関わる場が持ちたかったというと、自分自身も高校生の時に荘(荘についてはこちらの記事をご覧ください)

          自分にとってJラボとは

          長野での夏がおわりそう

          私はこれから夜行バスに乗って東京へ向かい、成田空港から北海道へ向かう。 なつがおわるね。今日の雨が夏の終わりを教えてくれたみたい。もう気温は上がらないらしい。 いろいろあって、留学終わってからは夏休みだった。長いと思ってたけど、あっという間。 結局長野にはトータル2ヶ月ないくらい居たのかな。8月は大体長野にいて、週末にちょこっと東京行くみたいな。 やっぱりホームだね。ただいまって帰ってきて、お友達とお茶したり、中央通りでばったり会ったり。幸せだ。 インスタの投稿でも

          長野での夏がおわりそう

          一旦離れる

          いい教育とは だれのための未来を想像するのか 変えようとしてないか 変化したからと気持ちよくなってないか 原体験があるから教育をやっているのか きりがないこの問いたち。 どの問いもわたしだけじゃなくて組織のみんなにも投げられたわけだけど、なんだか引きずってる。心当たりが有るんだろうな、。ないとさ、わざわざひっかかったりしないよね。 全然だめ。 教育やりたいんですってなんやねん。上からすぎるよね。ふつうに押し付けてるみたいになってるもん。 一回何も考えずアウトプ

          一旦離れる

          たぶんね、想像の1000倍連絡不精なんだと思う

          たぶんね、想像の1000倍連絡不精なんだと思う

          やりたいことができるところに居れているのだなと思うし、もっともっとできるようになりたいと思える。

          やりたいことができるところに居れているのだなと思うし、もっともっとできるようになりたいと思える。