人の思いがパワースポットを作る|明治神宮で禊(みそぎ)の日々|あとがき
早期退職後、不思議な体験の末に、47歳にして大学で神道を学ぶことになった私。夏休みを迎え、初めての神社実習に臨みました。
「思ったよりも修行だった」と感じた、御神域での3泊4日。その体験を「明治神宮で禊(みそぎ)の日々」と題して書いてきました。
今回は、あとがきにかえて、この実習を通じて一番強く感じたことをお伝えしたいと思います。
御神気を身体中で感じる
初日の夜。私は、御本殿のほど近くで、神に包まれるような、一生忘れることのできない瞑想を体験しました。
他にも、あらゆる場面で、御神気を感じ続ける日々でした。
1ヶ月余り前。事前研修会で、御神域での実習であること、ふさわしい身だしなみに整えることを強く言われていました。
そして、実際に私は、実習の間、神の存在を身体中で感じることが出来たのです。
ですが、実習に来るまで、これほどまでに御神気を感じることになるとは思っていませんでした。舞台が明治神宮だったからです。
人工的に作られた神社
明治神宮の創建は、1920年(大正9年)。昨年ようやく100周年を迎えた、歴史の浅い神社です。
造営されたのは、御料地(皇室の所有地)跡。荒地のような場所だったところです。壮大な鎮守の杜も、人工的に作られました。
古来より神に由緒のある、神聖な土地というわけではないのです。
しかも、御祭神は明治天皇と昭憲皇太后。崩御されてから日も浅く、神と捉えるのは難しい。大変不遜なことですが、そう思っていました。
参拝者は多いが、神社特有の神秘的な雰囲気は感じられない。私にとって、明治神宮は、敬虔な気持ちになりにくい神社だったのです。
人の思いがパワースポットを作る
それなのに、なぜ御神気を身体中で感じることが出来たのでしょうか。
私は「人々の思いが、何もなかった場所をパワースポットにした」からだと思っています。
明治神宮は、明治天皇の崩御を期に、国民の間から御神霊をお祀りする神社を創建したいという声が高まり、造営されたお宮です。
境内の造成にあたっては、全国各地から延べ11万人の青年が勤労奉仕を行ないました。
特に、鎮守の杜は、全国から10万本の樹木が奉献され、100年、200年後を想定して、木々1本1本が計画的に植えられていったといいます。
時は大正時代。まだ自動車の輸送が今のように発達していない頃の話です。
その後、明治神宮は、国内外から多くの参拝者が訪れる神社となりました。鎮守の杜は、今や人工であることが信じられないほど荘厳な空間です。
御祭神の国民への思い。その聖徳を慕った、創建当時の人々の熱い思い。後世に引き継がれた、神を信じる思い。
それが身を結び、現在の明治神宮を形成していると言えるでしょう。
私は、その清々しい思いを、御神気として感じた。人々の思いが、明治神宮というパワースポットを作っている。そう思っています。
パワースポットめぐりに思うこと
人知を超えた、神秘的なエネルギーを放つ場所は数多く存在します。
パワースポットの多くは、そうでしょう。日本人はそのような場所に神を感じ、お祀りしてきました。
一方で、人の思いが持つエネルギーも、とても大きい。私は、人工的に作られた神社である明治神宮で、そのことを強く感じたのです。
思えば、由緒ある神社であっても、参拝する方・奉仕する方が代々いたからこそ、今に残されています。
神の鎮座地として、神社がそこに在ること。その背景には、必ず、神の存在を感じ、後世に繋げてきた、人々の思いがある。それが御神気となる。
人の思いがパワースポットを作るのです。
外にエネルギーを受け取りに行くだけでなく、自分の内側にも、大きな、神秘的な力があることを信じる。
そのことは、自らの人生、ひいては世の中を変える。私はそう確信しています。
おわり
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