日々鷹

辛うじて今日も生きています。たぶん短編小説みたいなものを書きます

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寝れない夜のカップラーメン

正体の無い漠然とした不安、過去の失敗への後悔、突然襲ってくる自己嫌悪。そんな感情に飲まれ、眠れない夜がある。 残念ながらこれらは簡単に切って捨てられるものでなく、同時に捨てるべきものでもない。 その傷はどれほど醜くとも自分の一部であり、その感情も愛でるべき己なのだ。過去の後悔も未来への不安も、それをそのままで割り切り愛でられる日がきっとくる。少なくとも火中でそう思っておくことは一時しのぎであれ救いになるであろう。 眠れない夜は生理的欲求をサッサと満たし、浅かろうと寝てし

    • ピアノ線の君

      どの世界にも新参者という奴は居るものだ。 それが古い世界であれ新しい世界であれ、コミュニティが新陳代謝を続ける限り新参者は現れる。そして、そいつがコミュニティに受け入れられるのかは、本人と周囲の努力に依存するのだ。 — 俺が彼女と出会ったのはそんな出会いの季節、4月も半ばとなった事務所での朝礼だった。 「今日からここに配属された坂下君だ。みんな、よろしくやってくれ」 でっぷりと太った部長が、春先にしては多すぎる汗をかきながらそう言った。どうやらこの部署にも新人が配属され

      • 早春の朝

        午前四時のコンコースは閑散としていて、時折響く改札の電子音だけがむなしく響き渡っている。始発前の駅は人の波もなく数名の駅員たちがあくびを噛み殺しながら、来るべき人々の波に備えて一日の始まりを迎えていた。 まだ日も登らない春の日の明け方。瑠璃色の光に包まれた駅前の桜並木は、来るべき春の日に備えてその蕾を今にも咲き誇らせんと膨らませている。吹き抜けのように北口から南口までが一直線でつながれたこの駅に、通り抜ける冷たい春の風。冬の残り香を感じさせるその風に、いつものマフラーとくた

        • 両脚羊は明日の夢を見るか

          --月--日 明日は待ちに待った私の20歳の誕生日。 明日からいよいよ神子としての役目を得ることができる。 ああ、私を神子になれるよう教え導いてくれてくれた神父様には頭が上がらない。 いや、それどころではないか。 隣国では捨て子であった私を受け入れ、これまで何不自由なく育ててくれた教会の家族たち。 隣国から過大な支援をくださった貴族の皆様。 私たち孤児を暖かく見守ってくださった村民の方々。 私を果物だけで生きていけるよう薬を処方してくださったお医者様。 誰もが、私が神子にな

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        寝れない夜のカップラーメン

          昼下がりの陽炎

          「彼女欲しい……」 呟くようにして出たその言葉は、誰にも聞かれることなく夏の青空に溶けていった。 泣きたくなるほどの晴天。7月末の昼下がりには、まだ遠慮がちな蝉の音がどこからか聞こえてくる。帰り道を歩く僕に、隣を行く『君』はいない。 初夏と呼ぶには熱すぎる日差しは、僕にある種の幻覚的な思考をもたらしていた。 僕は先ほどほとんど無意識化で「彼女が欲しい」と言ったが、究極的には別に特定の彼女が欲しいわけでは無い。 『結婚したい。イチャイチャラブラブしたいんじゃなくてずっと側

          昼下がりの陽炎

          詩仙堂

          「寺を見るなら誰も居ない寺が良い」 修学旅行で初めての京都を訪れたとき、帰り際にそんなことを思ったのを覚えている。修学旅行生と観光客で溢れる清水を歩くのは、お世辞にも寺本来の魅力を味わえているとは言い難く、荘厳な寺院とはしゃぎまわる同級生とのギャップに、どこか不出来なテーマパークを散策しているような気分だった。 「生涯のうちに何度京都旅行をする機会があるのだろうか」なんて当時は思ったものだが、案外早くそのチャンスは訪れる事になる。 19歳、大学一年生の夏。西の大学に進学

          Noteで有益な話は何一つしたくないという思いが沸きあがってきたので、今後も訳の分からない文章の投げ先として活用する所存です

          Noteで有益な話は何一つしたくないという思いが沸きあがってきたので、今後も訳の分からない文章の投げ先として活用する所存です

          春の日の走馬灯

          (あ、これ死ぬやつだ) 梯子から足を滑らせ、宙に舞った体はゆっくりと地面へ吸い込まれていく。周囲の景色はスローモーションが掛かったかのように遅くなり、思考ばかりは加速するのに体は一向に動かない。90°曲がった世界の中で、視界の端に散りゆく桜の花びらが舞っていた。 人はその死に際に走馬灯を見るという。死を悟った脳がリソースを全開にして、その力を十全に発揮するとき、人の認識で世界は引き延ばされたように感じるらしい。脳裏には生まれてから今日までの思い出が、まるで早回しの映画みた

          春の日の走馬灯

          青春物語のその後で

          春を謡うには遠い、だがそれでいてどこか冬の日の終わりを感じさせてくれる。 「立春」 24節句の第一に数えられるこの日は、冬の終わりと春の始まりを告げる境界の呼び名である。 --- 3年生が引退して久しい部室は、すっかり見慣れたはずなのだがそれでいて未だどこか寂しげだ。伽藍とした部室には手持ち無沙汰な数人がストーブを囲んで暖を取りながら談笑している。一体いつから使っているのかも分からない旧式のストーブは、その上に乗せたヤカンを温めながら、どこか気の抜ける音を立てて部屋を

          青春物語のその後で

          月影

          「子供のころ、月にはウサギが居るって信じてたんだ」 二人連れ立って歩く、部活終わりの帰り道。川沿いのススキを秋風が優しくなでていく。秋の夜空に大きく浮かんだ満月を眺めて、俺はふとそんな話を呟いた。 「なんだい、藪から棒に、君にしてはやけに可愛げがある話じゃないか」 自転車を押して歩く俺の隣で、彼女はこちらを一瞥してそう言った。カラカラと力なく回る自転車の前輪は、不安定な前照灯で暗闇の帰り道を照らしている。 「別にいいだろ、子供の頃の話さ。昔、親父にそう教えられて、ずっと

          才能

          ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 闇鍋Projectで行った、小説60分一本勝負企画の短編です。テーマは「努力」でした。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「つまるところ最終的に問題となるのは常識のラインがどこにあるかだと思うんだ」 眼鏡の彼女はいつも通り脈絡なく突飛なはなしをしはじめる。こちらを一瞥して、俺のポカンとした顔を見て満足げな彼女は、演説でもするかのように続けて言った。 「努力の話だよ。結局の所、努力というのは本人が+αを自

          台風一過と月見そば

          台風一過で晴れ渡る日が続くと、放射冷却で夜が冷える。寒風に揉まれながら夜空を見上げると、眩いばかりに輝く10月の月が目に入った。古来秋の月といえば中秋の名月が挙げられるが、10月の月も等しく美しい。目が眩むほどの月あかりに照らされて、帰路を急ぐ体に腹がぐうとなった。 そうだ、今日の晩飯は月見そばにしよう。 10月にして10℃を下回る長野県、信州の名産といえば蕎麦であるが、意外なほどに信州人は暖かい蕎麦を食わない。所謂ちゃんとした職人が居る蕎麦屋が出す蕎麦は、たいていざる蕎

          台風一過と月見そば

          秋の夜長に国語教科書のススメ

          今年も気が付けば10月で、すっかり秋も深まっている。スポーツの秋、食欲の秋なんて言葉があるが、何と言っても秋の夜長には読書が欠かせない。読書の秋の季節である。 現代インターネットは活字中毒者にとって楽園のような環境だが、同時に溢れんばかりの情報の中から一つを選ぶのは難しい。そんな今こそ、学校教育で使われていた国語の教科書を振り返りたい。 学校教育における国語の授業というのは他の科目に比べて指導が難しく、教師によって力量差がはっきりと表れてしまう印象がある。自分が過ごした小

          秋の夜長に国語教科書のススメ

          ペペロンチーノと界面の世界

          ペペロンチーノというパスタを食べたことはあるだろうか。 オリーブオイルでニンニクを炒め、鷹の爪で香りづけする。そこへパスタのゆで汁を入れ、素早くかき混ぜることによって作ったソースを絡めるパスタがペペロンチーノだ。 必要材料も少なく、味も良いため財布が寂しいときの心強い味方なパスタだ。イタリアでは貧乏のどん底でも食える事から「絶望のパスタ」なんて名誉なのか不名誉なのか分からない異名まで付いているらしい。ところで疑問に思ったことは無いだろうか。「なぜパスタのゆで汁を入れるのだ

          ペペロンチーノと界面の世界

          科学を信じない人

          https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2019/07/-22700-2600-100-1811feicfeic1600-feic.php?t=1 少し前、Newsweekjapanで地球平面説を信じる人々についての話題が取り上げられていてた。 科学を信じない人々との対話は困難を極める。科学を信じない人との対話に関しては、とても苦い経験がある。 高校生の頃『食品添加物の安全性に関するインターネット上での言説から見る科学リテラ

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          みんなのギャラリー 素敵ですね

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