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秋の夜長に国語教科書のススメ

今年も気が付けば10月で、すっかり秋も深まっている。スポーツの秋、食欲の秋なんて言葉があるが、何と言っても秋の夜長には読書が欠かせない。読書の秋の季節である。


現代インターネットは活字中毒者にとって楽園のような環境だが、同時に溢れんばかりの情報の中から一つを選ぶのは難しい。そんな今こそ、学校教育で使われていた国語の教科書を振り返りたい。


学校教育における国語の授業というのは他の科目に比べて指導が難しく、教師によって力量差がはっきりと表れてしまう印象がある。自分が過ごした小中高には、所謂当たりの教師もいれば、まったくの外れ教師もいた。上手い教師の国語の授業は様々に得るものがあり、文学作品を味わう上での素養を十分に養ってくれるものであったが、下手な教師の授業は漢字の読み間違いや音読の声量などという重箱の隅ばかりをねちっこく指導され、一年間が終わるころにはすっかりクラスメートを『国語嫌い』へと仕上げてしまう有様であった。

自分もどちらかと言えば理系のため国語の成績は長い間低迷気味で、ずっと苦手な教科だった。小学生のころから休み時間は図書館にこもるほどの本好きではあったのだが、単調な国語の授業と理不尽な読解の試験によって、すっかり国語の授業には苦手意識を持っていたのである。こんな風に、つまらない授業と理不尽な教師によってすっかり国語の教科書にはいい思い出が無い人も居るのではないだろうか。


小学生に 新美南吉 の「ごんぎつね」、中学生に魯迅の「故郷」や森鴎外の「高瀬舟」を読ませ、高校生に中島敦の「山月記」を読ませる。あとになって振り返って見ると、国語の教科書に採択されていた作品はどれも一字千金に値するほどのものばかりである。森鴎外、太宰治、夏目漱石、芥川龍之介といった押しも押されぬ国内の文豪に限らず、ヘルマンヘッセの「少年の日の思い出」のような国外の名作も取り上げ、更に内田樹や山崎正和といった著者らによる現代表論文をもカバーする。少ない紙面の中で、これ以上ないほどに厳選された文章が、あの教科書たちには取り上げられているのである。


今になって思えば、高校生に中島敦の「山月記」を読ませるなど、なんて意地の悪く残酷なチョイスだろうか。大人になって読み返し、あの虎になった男と共通点を自分の中に見出した日にはゾッとしたものである。ヘルマンヘッセの「少年の日の思い出」は大人になった主人公が思い出を語る形で書かれているが、それを少年の日がほんの少しの過去にある中学生に読ませるのはパンチが効きすぎている。今になって思い返してみると、あの作品群のチョイスは、教科書を読む時期まで計算に入れた恐ろしいものである。


もしも手元にまだ高校の教科書なんかが残っているのならば、思い出ついでに是非いちど開いてい見てほしい。そこにある作品は、どれも一級品なのだから。また、なんとなく秋の夜長を紛らわす読書を求めているのならば、新潮文庫が提供している高校教科書へ採択された作品リストも必見だ。便利なことに現代では、文豪と呼ばれた人々の作品は青空文庫で無料で読めてしまう。

教科書に載っていた作品から読み始めて、気に入ったらその作者の別作品へも手をのばして見てほしい。リストに載っている作者は、どれも一級品だ。


少しは涼しげになった秋の夜長に、作品選びの一助となれば幸いである。

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