見出し画像

科学を信じない人


https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2019/07/-22700-2600-100-1811feicfeic1600-feic.php?t=1

少し前、Newsweekjapanで地球平面説を信じる人々についての話題が取り上げられていてた。

科学を信じない人々との対話は困難を極める。科学を信じない人との対話に関しては、とても苦い経験がある。

高校生の頃『食品添加物の安全性に関するインターネット上での言説から見る科学リテラシーの重要性』というタイトルで複数の教員を相手にプレゼンする機会があった。発表内容としては、インターネット上で危険意識を過剰に煽る例を提示し、実際のデーターと比較しながらそれらの間違いを指摘しつつ、科学リテラシーの重要性を説くものである。

高校生なりに数カ月の調査をし、複数の文献を引いた発表だった。理系の教員からは評判だったのだが、後日とある英語教師に教員室への呼び出しを受けた。

「先日の発表は良かった。ところで、体に悪いモノについて判断する上でこんな論文があるのは知っているかい?」

そういって彼が渡してきたのはオーリングテストと呼ばれる手法に関するニュース記事だった。概要を少し引用すると以下の通りだ

患者が手の指で輪(O-リング)を作り、診断者も指で輪を作って患者の指の輪を引っ張り、輪が離れるかどうかで診断する。この時、患者の体の異常がある部分を触ったり、患者の空いたほうの手で有害な薬や食物を持つと、患者の指の力が弱まりO-リングが開く、とされる。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

wikipediaですら煮え切らない書き方をしている通り、これは科学的根拠のない疑似科学とされるものである。
(この件に関する詳細は以下のサイトが詳しいので興味のある方は是非
http://www.sciencecomlabo.jp/alternative_medicine/o-ring.html)

英語教師は続けて言う「君の提示したデータは興味深かったが、世の中にはデータに頼らず解決する方法もあるんだ。是非参考にしてみてくれ」

改めて言うが、私が行ったのは科学リテラシーの重要性に関するプレゼンテーションである。それを受けて現役の高校教師がする発言だろうか?恐ろしいのはこの発言がすべて英語教師100%の善意によって行われているという事である。彼からしてみれば、教え子にちょっとした視点を与えてやるようなつもりだったのだろう。

これを100%の笑顔で渡された当初は、結構なショックだった。数カ月の準備を要したプレゼンテーションは、まったく理解されていなかったからである。まぁ当初はそんな教師に3年間教えられていたことに対する失望感のほうが大きかったのだが。結局卒業後、高校には一度も近寄っていない。

O-リングテストを科学と信じた英語教師を説得できなかったように、科学を科学であると証明することは簡単ではない。一般に科学を科学たらしめるのは確かな数字と再現性なのだが、それが複雑であるほど判断が困難になるからだ。


『白いカラスは居ない』と明言することは、科学的ではない。白いカラスが居ないことを証明するためには、過去から未来にかけて全てのカラスを調査する必要があるからだ。科学に言えるのは『白いカラスが居る確率は低い』という事だけである。

この科学が科学故に持つ断言のできない現象は、日常的な感覚と時折解離することで様々な問題を引き起こす。食品添加物や農薬の安全性に関する議論を聞いたことは無いだろうか?現状日本の法律による範囲では、食品添加物の安全性は高い水準で担保されている。それでも科学者は「絶対に安全です」とは言い切れない。あくまでも科学が保証する安全は統計的なものであり、例外が生じる可能性は何時でもあるからだ。科学が取り扱えるのは、その可能性をなるべく低くしていく事である。

実際、食品添加物で死ぬ人は滅多にいないが、酒の飲みすぎで死ぬ人は後を絶たないし、熱いお茶で舌を火傷するなんぞそれこそ日常茶飯事だろう。だが、確率的にお茶のほうが食品添加物よりも危険であるという主張は一般に受け入れがたい。食品添加物による健康被害が、舌先の火傷よりもどんなに軽微であったとしても、だ。最近ではより深刻な問題として、ワクチン接種に対する不信感を募らせている人々の出現なども挙げられる。民間療法を信仰し、子供に薄めた砂糖水を舐めさせ、薬は要らないと声高に叫ぶ人々もいる。こういった人々に共通してあげられるのは、現代科学に対する不信感だ。

科学が科学である以上、それを信じるとか信じないとかそういった次元の話ではないと思うのだが、確かに科学を信じない人は居る。不思議なのはそういった人々に限って、より統計の少ない民間療法や怪しげな医者の著書といった『偽科学』を信仰していたりするのでタチが悪い。ついでに、そういった信仰の対象となる『偽科学』は陰謀論とセットだ。「薬品メーカーが政治家と結託してデーターを隠している」とか「化学メーカーが利益を上げるために不要な添加物を入れている」「この薬を処方するのは医者が儲かるからだ」といった具合に。彼らの信仰を裏付けるのは『世の中に漠然と存在している悪』への対比として『真実を知る正義の私たち』という構図であり、新興宗教の手法そのものだ。現代に生きる我々は、賢く目を覚ましていなければならない。

科学を信じない人々を、説得するのはひどく骨が折れる。陰謀論に染まっているならなおのことだ。私たちに出来るもっとも簡単な対抗策は、科学を身近に感じ、それを次の世代へと受け継いでいく事である。

日本における高校レベルの科学は、一部簡略化のために省略された部分はあるものの、基礎となる部分が非常によく纏まっており、かつ網羅されていると思う。高校レベルの科学を理解できれば、『空が何故青いのか』『どうして夏の暑い日に、冷たいコップには水滴がつくのか』『なぜ上空から落ちてきた水滴で怪我をしないのか』『なぜ虹は虹色なのか』などの子供のころ抱いた簡単な疑問を解決してくれる。勿論これらの問いも、より深い理解をするためには更に高度な学問が必要になるのだが、それでも簡単に理解を得る上では十二分な知識である。

世界に不思議を感じ、それを人の言葉で少しづつ読み解いていく行いが科学の本質であり、その心構えこそが科学リテラシーの正体であると思う。科学は我々の世界を説明するための言葉だ。神秘の宇宙を理解するための物差しだ。科学の本質は難しい方程式を解くことでも、横文字の法則名を暗記することでもない。何でもない現象に不思議を感じ、是非それを埃をかぶってしまった知識で読み解いてほしい。知らなければ調べればいい。手元のその板はゲーム機では無いのだ。

私たちは先人という多くの巨人たちの肩へ乗って世界を見渡すことが許されているのだから。

おかずが一品増えます