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才能

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闇鍋Projectで行った、小説60分一本勝負企画の短編です。テーマは「努力」でした。

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「つまるところ最終的に問題となるのは常識のラインがどこにあるかだと思うんだ」

眼鏡の彼女はいつも通り脈絡なく突飛なはなしをしはじめる。こちらを一瞥して、俺のポカンとした顔を見て満足げな彼女は、演説でもするかのように続けて言った。

「努力の話だよ。結局の所、努力というのは本人が+αを自覚して初めて成立するものだ。本人に自覚が無いのに、行われる日常的な行為を努力とは呼ばない」

ああ、いつもの訳の分かるような、分からない話か。どうやら今回は努力がテーマらしい。所謂天才である彼女にとって、努力とはイメージから遠い話だが、まぁコイツのことだ。突然何らかの電波を受信してきたとしても不思議ではない。

彼女の突飛な話に付き合ってやるのも、腐れ縁である俺の役目だ。俺は間の抜けた声で相槌を打った。

「はぁ……」

どうやらこんな相槌でも彼女のお気に召したようだ。口角を上げて大きくうなづいた彼女は続けて話し始めた。

「そこで常識のラインが問題になってくる。読書好きにとって、読書は娯楽だ」

彼女は俺が手持ち無沙汰にめくっていた文庫本を指し示し、続けて言う。

「読書家の常識では本を読む行為とは快楽を伴う楽しい行為だろう?ところが、読書週間が全くなく、普段本を読まない人間にとって、読書は己を高めるための努力になるんだ。彼らは本を読むという行為自体をある種の壁と考えているから、本を一冊読み終えればある種の達成感と疲労感を覚えるんだ」

「努力と自覚の話か?やっている行為は同じでも、自覚症状の有無は確かにあるよな」

「そうそう。居ただろう、クラスに一人は『テスト勉強ぜんぜんしてないや』なんて言って、80点ぐらいを取ってくる奴。あれは彼らが皮肉って言っているんじゃなくて、彼らの常識ラインでは『努力に達しない程度しかやっていない』ワケだから本当なんだよ。彼らは本心から勉強してないと思っているし、自分は努力家だなんて夢にも思わないんだ。」

「まぁ確かに。そういう連中は、周りを蹴落とすための嘘をつくような連中には思えない奴らだったな」

教室の風景を思い出すと数人の顔が浮かんでくるが、どいつも確かに良い奴だった。

「そうさ。努力は本人の自覚と苦痛があって初めて努力になる。常識ライン以下の当たり前の行為を、人はわざわざ努力なんて呼ばないのさ。だから常識のラインをどこに持っているかが、その人の能力を成長性を決める重要な要素だと私は思っているんだ。言い換えて、才能と呼んでも良い」

なるほど、努力と才能の話か。才能に恵まれなかった自分には、分からない話だが、天才のコイツにはコイツなりに感じる部分があったんだろう。一通り喋り切って満足した様子の彼女は、こちらが喋るのを待っているように見えた。

俺は面白くもない文庫本をわきに置き、彼女に向き合って言った。

「なるほどお前の言いたいことは分かった。で、結局の所オチはどこになるんだ?」

彼女の口角がぐっと上がる。普段は決して他人に見せない、彼女が満足したときの顔だ。どうやら俺が続けて結論を求めたのが気に入ったらしい。

「何を苦痛と感じ、何を当たり前と感じるかは人次第って事さ。人が苦痛に感じることでも、自分が当たり前に行えるのなら、案外それは才能って呼べるんじゃないかと私は思ってるよ」

なんだ、コイツにしては案外良い話じゃないか。どうやら今回はきちんとオチを用意していたらしい。

「それに」

彼女はこちらの顔を覗き込むように顔を傾けた。長い黒髪が視界の隅をかすめ、ふんわりと甘い香りが鼻孔をくすぐる。

「キミがそうやって、私のくだらない話に付き合ってくれるのも、ある種の才能なのかも」

そう言ってほほ笑んだ彼女の顔は、夕焼けに照らされて向日葵みたいに輝いていた。

秋の日の夕暮れ、放課後の文芸部での出来事である。

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