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ペペロンチーノと界面の世界

ペペロンチーノというパスタを食べたことはあるだろうか。

オリーブオイルでニンニクを炒め、鷹の爪で香りづけする。そこへパスタのゆで汁を入れ、素早くかき混ぜることによって作ったソースを絡めるパスタがペペロンチーノだ。

必要材料も少なく、味も良いため財布が寂しいときの心強い味方なパスタだ。イタリアでは貧乏のどん底でも食える事から「絶望のパスタ」なんて名誉なのか不名誉なのか分からない異名まで付いているらしい。ところで疑問に思ったことは無いだろうか。「なぜパスタのゆで汁を入れるのだろう?」と。

ちょっぴり料理に詳しい人なら、この手順がペペロンチーノに限らず幾つかのパスタで用いられる手法であることを知っているかもしれない。さらにもっと詳しい人ならば、『乳化』というキーワードを聞いたことがあるかもしれない。今日はそんな乳化の話だ。

水と油は混ざらない。試しにサラダ油を水に数滴たらしてみればすぐに分かる。どんなに高速で二つを混ぜ合わせようとしても、少し時間が経てばまたすぐに油が浮き上がって二つは分離してしまうだろう。ところが、ペペロンチーノではパスタのゆで汁とオリーブオイルが混ざり合う。この違いはどこからきているのだろうか?答えは、パスタから出てくるグルテンにある。

砂糖や塩は水に溶ける。では、油に溶けるモノとは何だろうか?身の回りだと上げづらいが、例えば油性ペンなんかはインクを油で溶かしている。では、その両方の性質を持った物質は?つまり、水にも油にも溶ける物質、これを両親媒性なんてふうに呼ぶ。たいていの両親媒性分子は、水に溶ける部分と油に溶ける部分を持った、マッチ棒のような形をしている(図1)

マッチ棒の頭に当たる部分が水によく溶ける部分で、棒に当たる部分が油に溶ける部分だ。パスタのゆで汁に豊富に含まれるグルテンは、この両親媒性を有している物質である。

では油と水にこの両親媒性物質を入れたときにどうなるのか見て行こう。完全に静置した状態で、水に少量の両親媒性物質を入れると次のような状態になる。(図2)

図から見て取れる通り、両親媒性物質の水に溶ける部分のみが水中に入り、それ以外は外へ出ている。ではここに油を垂らしてみよう。(図3)

こんどは両親媒性物質の油に溶ける部分が油を取り囲んだ。この時水に溶ける部分はそのままなので自然とこの形を作る。このように、両親媒性物質は界面(液体と液体や気体との境界面)の性質を変化させるため『界面活性剤』なんて呼び方をされる。そうだ、洗剤や石鹸と同じ界面活性剤だ。

そして、重要なのはこの時も水に溶けた部分は溶けたままなのだ。これで油と水を混ぜることが出来た。この現象を『乳化』という。

ちなみにこのような水の中に油が少量分散した状態の乳化を『水中油滴(O/W:oil in water)型エマルション』と呼ぶ。逆に油の中に水がある場合はW/O型だ。O/W型で代表的なのは牛乳やマヨネーズなんかだ(もちろんペペロンチーノもこれだ)。逆にW/O型で身の回りにあるものはバターやマーガリンなんかが挙げらえる。バターはミルクをひたすらに攪拌して水分を取り除いて作る。水の量が少なくなり、油が殆どとなればバターの完成だ。あの柔らかな舌触りはこの構造に由来する。

話をペペロンチーノに戻そう。ゆで汁からのグルテンによって、オリーブオイルは水と乳化しO/W型のエマルションを形成した。ではこうすることによるメリットは何なのだろうか?

最大のメリットは、乳化されたオリーブオイルは麺とよく絡むことにある。そのままでは麺と絡まないオリーブオイルが、乳化によって界面(つまり境界面)の性質を変化させた。これによって、オリーブオイルはパスタの表面に馴染むことが出来るようになったのだ。ニンニクやトウガラシの風味が抽出されたオリーブオイルが麺に絡むことによって、ペペロンチーノはあの旨味を再現しているのである。乳化された液体にはとろみがあり、油単体と違って集まってしまう事もないため味が全体に行きわたるのだ(油の浮いたラーメンを想像してほしい。あちらでは麺に油を絡められない)

因みに理論的背景が似たような食べ物として、油そばや汁なし麺がある。あれらも麺からのグルテンが油を乳化させて味付けしたジャンクな飯だ。全くバックグラウンドの違う料理に、同じ手法が取り入れられているのはなんだかおもしろいではないか。

参考

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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%82%AA%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%AA%E3%83%BB%E3%83%9A%E3%83%9A%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%81%E3%83%BC%E3%83%8E
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http://www.takanashi-milk.co.jp/recipe/rika_butter.html
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生活と産業のなかの コロイド・界面科学 辻井薫著 米田出版 2011年
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化学の話シリーズ8 コロイドの話 北原文雄著 培風館 2002年




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