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かおなし

わたしは
わたしの顔を知らなかった。

カタチのありようは
生きるうえで
気にかける対象ではなかった。

そんなときが
確かにあった。

わたしは
わたしが映るものを通して
わたしを知った。


何かや誰かとの違いが
“わたし”である証でもあるのに
あまりにも
余計な情報を取り込みすぎて
思い込んだ枠で
がんじがらめになっていった。

目に見えるもの
映る自分に
囚われていた。


いま見えている
このわたしは
わたしでありながらも
わたしのすべてではない。


鏡を見て
顔のパーツに触れたり
動いてみたり…
目の前に現れている
カタチに興じつつ
自分の一部を
認識しはじめている
甥っ子を見て―。


姿形など
関係なかった世界。
願わくば
またこうした世界に生きたい。

これからはもっと 
自分を内側から
いのちから観じよう。


見えるわたしより
わたしが
観ている世界を。


……………………………………………………………
声をあげて歌ったり
ジャンプして踊ったり…
日々を
いのち目一杯生きている甥っ子。

心を全身で表現することが
恥ずかしいとか
よくないことだと思って
止めてしまうことがないように
感性を育めるような環境への移住を
家族で考えるようにもなりました。

甥っ子の存在が
自分のことや望みも
思い出させてくれている。

まさに
わたしたちにとって、天の使い。
尊く愛おしい存在に感謝。


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