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週刊朝日へのレクイエム

「週刊朝日」の休刊は淋しいニュースだったが、さらに淋しかったのは、ネットで見る限り、それがたいして大きな話題にもなっていないことだった。もう読まれていないのである。

かつて「週刊朝日」は週刊誌の代名詞だった。「雑誌の神様」扇谷正造編集長時代の「太宰治と心中した山崎富栄の遺書」スクープで、週刊誌で初めて100万部を超えたのは「週刊朝日」だった。まさに隔世の感がある。


私が生まれて初めて買った週刊誌も「週刊朝日」だった。

それは私が中学生のとき、「週刊朝日」1974年5月24日号が、スプーン曲げ少年のインチキを連続写真で暴いたのだった。

当時は超能力ブームだったが、私は否定論者で、クラスでよく「論争」になっていたのだ。

私は小遣いでその「週刊朝日」を買い、「週刊朝日、最高」と思った。


私がマスコミ業界に入った30年ちょっと前には、新聞社系は「週刊朝日」「サンデー毎日」「週刊読売」「週刊サンケイ」「週刊時事」とまだたくさんあった。

それが、「週刊サンケイ」が「SPA!」となり、「週刊読売」と「週刊時事」が廃刊し、今回「週刊朝日」が休刊となったので、「サンデー毎日」だけになった。


「週刊朝日」と「サンデー毎日」は、ともに1922年に創刊された日本最古の週刊誌だ。「週刊朝日」は101年目に幕を閉じたことになる。100周年が終わるまではなんとかこらえた、という感じだろうか。

両誌が創刊された当時の朝日と毎日は、ともに大阪の新聞である。

別の記事で書いたとおり、大阪朝日と大阪毎日は販売や広告で手を結び、大阪の新聞市場を2社で寡占するとともに、虎視眈々と東京進出を狙っていた。


明治から大正に変わる頃の東京では、読売の前身である報知新聞を筆頭に、徳富蘇峰の国民新聞、福沢諭吉の時事新報、大阪毎日に買収される前後の東京日日などがしのぎを削っていた。(経営不振の東京日日は1911=明治44=年に大阪毎日に買収される)

大阪朝日と大阪毎日は、大阪で蓄えた資金と、政府・財界の支援もあり、過当競争に苦しむ東京の新聞より余裕があった。だから、大正期に入っていち早く株式会社化し、夕刊を発行し、そして「週刊朝日」「サンデー毎日」創刊含む出版業に進出した。東京の新聞との競争に勝つためである。

当時は雑誌といえば月刊誌だった。週刊で雑誌を発行できる力があるのは大阪朝日と大阪毎日だけだった。それは一種のイノベーションだった。

そして、両週刊誌創刊の翌年の1923年、関東大震災が起こり、東京の新聞社は壊滅状態になる。それに乗じて朝日と毎日が一気に東京を制覇して「朝毎時代」の始まりとなった。「週刊朝日」と「サンデー毎日」が今日まで続いたのも、印刷工場が大阪にあって震災を免れたからだった。


そんな大昔の話はともかく、私が業界に入った頃の「週刊朝日」は輝いていた。いわゆるバブル期、1980年代から1990年代初めにかけて、松本人志、ナンシー関、西原理恵子と神足裕司の「恨ミシュラン」などの連載で、花田編集長時代の「週刊文春」とともに、若々しい感性があった。

当時の松本人志なら、どの雑誌でも連載できただろうが、週刊朝日を選んだのは、自分の舞台としてふさわしいと思ったからだろう。

思えば、別の記事に書いた、1992年の「シラミ事件」あたりからケチがつき始めた。

その後は、武富士からの5000万円供与事件、ハシシタ事件など、ろくなことはなかった。


そうしたスキャンダルより営業的に打撃になったのは、2000年代に入って「東大合格者全氏名」が載せられなくなったことだろう。

出版社系週刊誌に押され始めたのはもっと前だが、「週刊朝日」と「サンデー毎日」は、「東大合格者」号がある限りは安泰だと言われていた。通常号の部数が落ちても、東大号は100万部単位で売れるので取り戻せる、と。

しかし、個人情報がうるさくなり、2000年代に入って東大が氏名を公表しなくなった。それでも合格高校ランキングなどをしつこくやっていたのは、それしか売り物がなくなったからかもしれない。「週刊朝日」がなくなると、ああいうのも今後はネットでやるのだろうか。


朝日も毎日も、出版を子会社化した。人件費を安くするためだろう。新聞社並みの高い人件費で売れない雑誌は作れないからだ。それに、出版は社内人事の吹き溜まりになる傾向もあり、問題を起こしそうだから本体から切り離したかったのかもしれない。

それでも週刊誌は、売り上げが上がるし、広告も入る。出版の収益の柱だったはずだが、コロナもあり、部数・広告の落ち込みがハンパなくなったのだろう。

最近は、「サンデー毎日」とともに、ジャニーズ系アイドルなどを表紙に使って、ファンに買ってもらうような商売になっていた。ジャーナリズムが感じられず、みじめな姿だと思っていた。それに、よくは知らないが、ああいうのも元手がかかるのではないか。

結局、「週刊読売」を早々に廃刊し、社内の出版事業をさっさと整理して、中央公論社を買った読売新聞が、いちばん賢かった。


かつては週刊誌はスマホのようなもので、サラリーマンが電車の中でヒマつぶしで読んで、網棚に捨てていくようなものだった。

とくに「週刊現代」や「週刊ポスト」などが、きわどいヌードを載せ始めてから、週刊誌は家に持ち帰れなくなった。

そんな中で、新聞社系週刊誌は、家に持ち帰れて、銀行や病院にも置ける。そこに強みがあると言われた。

しかし、紙媒体そのものの衰退で、そうした需要もなくなっている。


唯一残った新聞社系の「サンデー毎日」はどうするのだろう。

「サンデー毎日」は「週刊朝日」の半分ほどの部数しかないのだから、本当は先に休刊しないとおかしい。

「朝日ジャーナル」が休刊したときも、そのカウンターパートである毎日の「週刊エコノミスト」は休刊せず、いまも細々と続いている。

「カメラ毎日」と「アサヒカメラ」では、確か毎日の方が先に休刊した。

「アサヒグラフ」「毎日グラフ」が休刊したときはどうだったろうか。やはり朝日が先に休刊したような気がする。

朝日は、「週刊朝日」を休刊しても、まだ「アエラ」がある。「アエラ」もそんなに売れているとは思えないが、毎日には「アエラ」にあたるものがない。だから「サンデー毎日」をやめたくてもやめられないのかもしれない。


100年来、朝日と毎日は顔を見合わせて、調子のいいときは手を携え、調子が悪くなってからはチキンゲームをやっているような感じだが、どちらかというと朝日の方が決断力がある。

「サンデー毎日」がなくなるのは、毎日新聞がなくなるとき、という感じがする。感じがするだけだけどね。

(毎日は創価学会と親しいから、「池田大作氏独占インタビュー」が奥の手か・・)


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