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若者に「一戸建て」を配ろう 異次元少子化対策への提案

山梨のマチュピチュ


YouTubeに、面白い動画がありました。

「【建設費40億】巨大エレベーターの先の天空ニュータウン」(根岸のわくわく社会科見学)

という動画で、1カ月前にアップされ、60万視聴を超える人気です。


山梨県上野原市にある「コモアしおつ」というニュータウンの紹介です。

動画では、最寄りの中央本線「四方津(しおつ)」駅から丘の上のニュータウン(山梨のマチュピチュとも呼ばれる)に住人を運ぶ巨大エレベーターに焦点を当てています。


人びとが「一戸建てを諦めた」時代


動画自体、面白い内容ですが、私が興味を覚えたのは、このニュータウンの歴史です。

この世帯数1000を超える巨大ニュータウンは、1980年代のバブル期に造成が始まりました。

当時、バブルで地価が高騰し、首都圏の庶民には「一戸建て」の夢が遠のいていました。そこで、中央線で東京まで70分のこの地の山間部を造成して、手頃な一戸建てのベッドタウンを作ろうとしたのでした。

山の上のマチュピチュは、庶民の「一戸建て」の夢の、最後の形だったわけです。

しかし、宅地が完成し、販売を開始した1991年は、ちょうどバブルが弾けたころでした。

最初は販売は好調だったそうですが、「無理に遠い一戸建てを買うより、マンションでいい」というトレンドに変わり、販売が低迷、価格も下落しました。

それで、このニュータウンも終わりと思われたのですが、価格がこなれたところで、東京への通勤客ではなく、地元山梨の若い世代が買うようになり、現在も3000人程度の落ち着いた住宅地として維持されています。


少子化との同時代性


私は、同時代を生きたから、不動産をめぐるこの流れがよくわかるんですね。

とくに、1980年代以降の「一戸建てよりマンション」というトレンドの定着はよく覚えています。

私の父の時代、サラリーマンなどの人生の目標は「一戸建て」を持つことであり、高度成長期にはそれが可能でした。

しかし、私がサラリーマンを始めた1980年代は、「不動産が高すぎて一戸建ては無理」「せめてマンションを」に変わったのです。

それにともなって、人びとのペットの指向も、大型・中型犬から(かつては番犬の役割があった)、マンションで飼える小型愛玩犬や猫に変わった気がします。

その1980年代は、現在の少子化傾向が始まったときでもありました。このころから人は結婚しなくなり、出産を控えるようになった。

そこで思ったのです。

人びとが一戸建てを諦めたことと、少子化とのあいだに、何か関係はないのか、と。


「家」がないと子育てする気に(あんまり)なれない


関係はあるんじゃないでしょうか。

もちろん、団地やマンションでも子供を産んで子育てしている世帯はたくさんあるでしょう。

とくに高度成長期の初期では、団地に多くの若いカップルが住みました。しかし、昭和の時代は、子供が大きくなったら一戸建てに、みたいな志向があったと思いますし、現にそれは実現可能でした。

それが、将来も一戸建ては無理、むしろ住まいは狭くなるかも、となると、出生に歯止めがかかって当然だと思うんですね。


先進国になると、子供の生育環境の要求水準も上がります。日本も、高度成長を通じて中間層が増え、大学進学率も上がり、「一流」の生活に触れている。

貧しい環境では、逆に子供が増えます。インドのホームレスは子供を何人も作ります(Netflixのドキュメンタリーでやってました)。何も持たない人たちにとって、子供は無から生み出せる財産であり、将来の希望になります(その子供たちが誘拐されて人身売買される悲惨な現実もあるのですが)。

先進国では、逆に子供は、マイナス財産、将来にわたる負債同等になる場合があります。

豊かな国の人びとは、語弊は大いにありますが、大型犬が飼えるような余裕ある環境でないと、子供を育てる気になれない、とか。


子育ての環境だけの問題ではありません。

日本語で「◯◯家」とか、ファミリーを「家」というのは、比喩ではないでしょう。

「家」というものがあって、それを受けつぐ形でファミリーの継承があると思うんですね。

相続税の高さによって、金持ちも不動産を維持できないと言われるけど、売られた不動産を買えるのは金持ちだけであり、金持ちのあいだで土地が循環しているだけです。

いつまでも「家なし」「仮の家」という状態だと、ファミリーを築きにくい。


そして、家を買うコストがかかりすぎると、人は別のことに人生のリソースを使う。仮に若いカップルが結婚しても、無理にローンを組み、「家」を買って子育てすることより、自分たちだけの楽しい人生にカネを使いたいと思って当然です。

まして現在は、首都圏では、中古マンションですらバカ高くなっている状態です。金持ちも一戸建てが買えないので「タワーマンション」で顕示欲を満足させている。

過疎地域では家を入手できるかもしれませんが、人口の多いところで入手できないと大きな解決になりません。

都市の地価の高騰は、先進国に共通の問題であり、それが同じ少子化という問題と関係しているのではないでしょうか。


「家」を与えられない事情


もちろん、そういうことは、私より頭のいい人たちは皆わかっているはずです。

だから、異次元の少子化対策というなら、若いカップルに、カネではなく家を与えた方がいいはずです。

でも、それはできない。

日本政府の政策は、あくまで「新しい資本主義」の範囲内ですから。

不動産を与える、というのは、土地の国有化の発想で、それは社会主義になっちゃう。

資本主義国家は、所得を底上げしたり、平等化したり、昨今では、庶民を投資に誘って、企業のオーナーシップを分配することまではできるけど、土地を分配することはできない。

「土地の私有」が資本主義のキモであり、「土地の共有」が社会主義の核心だからです。資本主義は、カネは配れても、土地は配れません。


「家」を配って異次元解決


家もないのに子供が作れるか。あるいは、家を持つのが大変すぎて子供が作れない。こういうことを、もっと言った方がいいのではないでしょうか。

我々の祖先は、圧倒的多数が、どこかの時点で住んでいたところを追い払われ、あるいは、どこかの時点から「家賃」を払わなければならなくなりました。本来、土地は誰のものでもないのです(そもそも人間だけのものではない)。

歴史とは、人が政治権力を奪い合った過程として一般に描かれますが、その本質は、土地の奪い合いだと思います。そういう観点で歴史の教科書は書かれるべきです。日本では天皇家や国家を「おおやけ」と言ったけど、それは「大家」という意味ですからね。

歴史上の権力者は、喧嘩で勝つのも大事でしたが、その多くの時間は、土地をめぐる紛糾を調整する仕事に費やされたはずです。それはいまも同様でしょう。(ウクライナVSロシアもそうですし)

とくに資本主義は、いわゆる囲い込みによって、我々の大多数が土地を追い出されて「労働者」になる過程でした。

もしかしたら、現下の先進国での少子化は、その資本主義による「土地の収奪」の限界を示しているのかもしれません。

それは、人類が自然(土地)から引き剥がされすぎた結果であり、本質的には環境問題なのかもしれません。


なんか話が大きくなりましたが、ちまちまカネを配るより、家を配った方がいいのは確かだと思います。

庶民の「タンス預金」を奪うのではなく、金持ちの「タンス不動産」を奪って、若いカップルに配れば、少子化は異次元的に解決するのではないでしょうか。

大邸宅に住んでる単身金持ちなんかは、どんどん高級老人ホームに入れちゃいましょう。

社会主義革命みたいになりますが、それは少子化対策の結果であって、成り行きみたいなものです。


社会主義といっても、かつてのソ連みたいに団地の一角を分配するのではなく、どーんと一戸建てをプレゼントしたい。

ただ、ソ連は、団地は狭かったですが、同時にダーチャ(農園付き別荘)も国民に与えた。それが、今になっても、ロシア国民の食料自給に役立っているそうです。

いま評判最悪のプーチンですが、ロシアの少子化対策には成功したと言われており、さすがに一戸建てプレゼントはなかったけれど、第2子をもうけた母親に住宅取得資金を与えるという施策がありました。


いずれにせよ、単なる不動産の国有化と分配では、「家」の継承に役立たない。土地が国有化されている建前の中国でも(基本的には国から借りる形になる)、不動産が高騰して少子化が起こっています。

家を与えた限りは、そのファミリーの「私有」にしないと意味がない。またいつ家を奪われるかわからなければ、安定したファミリーは築けないでしょう。

まあ一時的な「公地公民」みたいな。このあたり、難しいことはわかりませんが、緊急事態で、少子化対策に時間がないというなら、とりあえずやるしかない。


<参考>


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