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土地の「共同私有」から人類のすべての幻想が始まる

権利とか義務とか国家とか歴史とかを人間以外の動物は知らない。

それらはすべて人間の幻想にすぎない。

なぜ人間は1万年くらい前からそういう幻想を持ち始めたのか。

それは、栽培技術を発見し、土地に定住して、土地を共同で「私有」する必要が生まれたからだ。

本来、土地は、誰のものでもない。動物はそこに食料があるからいるだけで、食料がなくなればどこかに移動する。縄張りがあるとしても、それは食料に執着するからであり、土地に執着するのではない。

しかし、稲作などの栽培技術で、土地と食料が結びつくと、土地を長期にわたって守らなければならなくなる。春に種をまいて秋に収穫するまで、その土地が「自分のもの」だと主張する必要が出てくる。

それが、生存のために、あまりに切実な必要だったので、人間は幻想を生み出した。

稲作などの「カロリー革命」で、同時に人口が増えたことも引き金となった。土地の取り合いになるからだ。耕作技術の発見による「定住革命」と「カロリー革命」が相まって人間の幻想創出が促された。

ある土地を「自分のもの」にするためには集団で守る方が優位となり、やがてそれが軍備をそなえた「国」になる。

国とは、その国土を集団で「自分のもの」だと主張する存在であり、それを「自分(たち)のもの」だと対外的に説明する物語が「歴史」となる。

「自分のもの」にするとは何か、私有のルールが「権利」となり、「法」となる。

ほとんどの人間の人生は、そうした幻想の「自分(たち)のもの」を所有し、守り続けることを目的にして終わる。共同幻想が生まれた後のほとんどの人間は、象徴的に言えば、本来は誰のものでもない空間の「家賃」を払うために生きている。

文化を含め、すべては、ある特定の土地を、誰かが、あるいはある集団が、「自分(たち)のもの」にするため作られた幻想をもとにした共同幻想だ。

そういう幻想がなければ、みんなホームレスである。人間を含めた動物の本来のあり方はホームレスだ。自然の観点から見れば、ホームレス以外はみな「不当に」空間を占有している。

「自宅」とか「自国」とか、他人のものと自分のものの境界が空間上にあると思っているのは、幻想を信じている人間だけであり、人間以外の動物には通じない。

だから、今朝もうちのベランダに鳩がフンを落としている。




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