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大江健三郎VS本多勝一 忘れられた対決

かつて朝日のスター記者だった本多勝一が、ノーベル賞をとったばかりの大江健三郎に喧嘩を売っていた。

1995年に、批判本「大江健三郎の人生」という本まで出している。

この本は、毎日新聞から出ている。本多が「朝日ジャーナル」に連載していた「貧困なる精神」は、同誌が廃刊になり、本多が朝日を辞めたあと、「サンデー毎日」で継続していた。

その関係で、朝日を辞めたばかりの記者が、毎日から本を出すという異様なことになっている。本多は、「朝日ジャーナル」連載中から大江を攻撃していた。朝日・毎日連合軍が大江に喧嘩を売った形だ。

喧嘩の理由は、大江は進歩的な発言をしながら、右翼の文春と関係が深く、本を出したり文学賞の選考委員をしたりして、言動が矛盾している、というようなことだったと思う。本多としては、1994年に大江がノーベル賞を取り、礼賛一色になっていたのが気に食わなかったのだろう。

この喧嘩は、何かうやむやなまま終わったと思う。というか、ノーベル賞作家となった大江は、もう本多を相手にしなかった。

いずれにせよ、当の朝日や毎日含めて、世間がまったく忘れているようなので、こういうことがあったことは書いておきたい。

1935年生まれの大江健三郎は亡くなった。天寿をまっとうした初の日本人ノーベル賞作家(川端が自殺したので)。ご冥福をお祈りしたい。

1932年生まれの本多勝一はまだ生きている(と思う)。91歳である。

長生き競争では本多が勝った形だ。私としては、大江の訃報で、本多のコメントを聞きたかった。大江が死後の叙位叙勲などを受けたら、さっそく噛みつきそうだ。

だが、本多は、もう随分前からぼけているという噂があった。元気ならいいのだが。朝日は本多勝一氏の動静を、毎日は池田大作氏の動静を知らせてほしい。

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