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ド右翼・平泉澄の復権

きよしブームが来る!


右翼がトレンドですよ。

リベラリズムの発祥地であるほずの西欧で、誰がどう見ても、右翼が伸びている。

フランス、スウェーデン、イタリア、どこでも右派政党が大躍進です。



もう一方のリベラリズムの発信地、アメリカでも、11月の中間選挙を前に、共和党が優勢です。

それにはさまざまな要因があると思います。

ウクライナ侵攻で、リベラルな外交の限界を、世界が知ったこともあるでしょう。

リベラルの「理想主義の行き過ぎ」に、世界的に大きな逆風が吹いているのも確かですね。移民問題や、ポリコレ、イデオロギー教育などで、リベラルへの人々の反発が起きています。


そういう流れの中で、日本では、右翼中の右翼、思想家・平泉澄の復権が、着々と進んでいる。

平泉澄ブームが来る! と予言しておきましょう。

私が出版界で現役なら、今のうちに「平泉本」の出版企画を仕込んでおきますね。


平泉澄とは誰か


平泉澄(ひらいずみ・きよし)。1895〜1984。東大教授、歴史家。

何と言っても、天皇バンザイ、国粋主義、皇国史観の代表的イデオローグとして有名でした。

東大では、社会主義的な東大新人会に対抗し、国家主義的な興国同志会で戦前から活躍。岸信介、蓑田胸喜らとともに、森戸辰男のような「左翼」教師の排斥運動をしていました。

戦中は政府や軍部に影響力を持ち、昭和天皇の弟の秩父宮を担いだクーデターを画策していたと言われたり、「人間魚雷」などの自爆攻撃に思想的根拠を与えたとか言われます。

終戦直後、共産党が作った戦犯リストの筆頭に載ったのが、平泉です。

右翼の中の右翼です。

平泉は、終戦と同時に東大に辞表を出し、公職追放になりましたが、戦後も考えを変えず、90歳で天寿を全うするまで、天皇中心主義を講演などで説き続けました。

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しかし、論壇で平泉の名はタブーとなり、戦後世代にはほとんど馴染みがなかったのではないでしょうか。


歴史界での再評価


戦中ですら、政府から「神がかりの右翼すぎる」と言われた平泉です。

いくら右翼がトレンドといっても、極右・平泉が復活することはないだろう、と思う人は多いと思う。

勝共連合・統一教会の「復活」にすら興奮して、「最終決戦だ」といきり立っている共産党の志位和夫です。

平泉澄が復活、なんつーたら、志位は興奮しすぎて、大人用おむつに座りションベンでしょう。

でも、例えば河野有理・法政大学教授は、最近、こんなツイートをしていました。


院で読んでる平泉澄『中世に於ける精神生活』(大正15年)、明晰でリズミカルな文体、劇的な構成、豊富なのに適切で読みやすい史料引用とその敷衍、読者を飽きさせないための抱腹エピソードの工夫、平泉が歴史家として必要な諸能力を全て高いレベルで兼ね備えていることがわかる中世思想史概説。



このツイートについて、「皇国史観の平泉を」と批判する人に、河野は「この20年で研究が進展した」と指摘します。



河野氏が指摘するように、平泉の復活は、この20年来、あるいはもう少し前からのトレンドです。

平泉が1984年に亡くなって10年たった頃から、今谷明(1994)、苅部直(1996)らが平泉澄について書き始め、2006年には若井敏明の評伝「平泉澄」(ミネルヴァ日本評伝選)が出ます。

若井がそのあとがきで、

「本書を読んで多くの人はおそらく失望を覚えられただろう(中略)だが、このような履歴書的なものですら、いままで書かれていなかった」

と書いているように、このあたりで、「平泉タブー」が破れた感じです。

平泉の場合は、寺社権力を重視したその日本中世論が、網野善彦や黒田俊雄などの先駆として再評価されたことが大きい。

つまり、中世史家としての実力がアカデミズムで再評価されたことが大きいでしょう。

そのあたりが、同じ右翼活動家でも、学問的権威の上で、蓑田胸喜(終戦時に自殺)などとは違います。

また、神がかりと言っても、例えば右翼宗教家の谷口雅春(生長の家)なんかとは違う。いちおう実証史学の手法を使うわけですから。

戦後の中世史の権威、黒田俊雄は、戦中は平泉がいる東大を嫌って京大に行き、戦後は学術会議で左翼として運動しました。黒田が生前、決して平泉からの影響を認めなかったのは当然でしょう。黒田が1993年に亡くなったことも、平泉復活の引き金の1つだったかもしれません。


右翼思想家としての評価


そして、河野が指摘するように、「皇国史観」研究の進展で、「皇国史観のイデオローグ」としての平泉像が、訂正されたこともあるでしょう。

いわゆる皇国史観を広めた文部省の方針に、平泉はほとんど関わっていなかった。影響力はあったとはいえ、政治権力の尻馬に乗ったわけではない。国策とは別の、独立した思想家として扱うべきだ、となってきたわけですね。

背景には、やはり学界での左翼の退潮があります。

マルクス主義歴史学の退潮にともなって歴史家の主体性や史実の選択といった問題が関心を呼ぶようになって来たなかで、史学思想の面での平泉の主張が再検討される機運が見られる(若井敏明、前掲書)


その意味で、同じく1990年代半ばからの、坂本多加雄、杉原志啓らによる徳富蘇峰再評価とも、並行した現象だと思います。


平泉澄の現在価値


私自身の本来の関心は徳富蘇峰であり、平泉澄を知ったのも、蘇峰を通じてでした。

平泉は、蘇峰の死後に時事通信社から刊行された蘇峰の代表作「近世日本国民史」の校訂者となり、その解説本も出しています。


それはともかく、いま平泉が読まれるとしたら、現在の「戦前」状況とも関係があります。

27日に、めいろま(谷本真由美)さんの、次のようなツイートを見ました。

仮に戦争になったら、なんだかんだ言って日本人の大半は本気出して戦うと思うよ。日本人は意外と故郷愛がすごいんだよ。そして皆協力するから強い。物はなくても知恵出し合ってなんとかするよ。昔もそうだったから。そこが日本の強みね。だから何とかなるよ。


まあ、昔もそうだったから何とかなる、と言っても、前の戦争で日本は負けていますからね。

平泉澄も蘇峰も、日本がまとまるには天皇が必要だ、天皇を中心にまとまるしかない、という考えでした。

この2人が歴史を研究したのは、その考えを証明するためでした。

私は、この考えは非常ーーーーーーーーに疑わしいと思う。

でも、2人は、この考えから、非常時になれば天皇親政しかない、と思っていました。

蘇峰は、日本が戦争に負けたのは、昭和天皇が明治天皇ほど戦争に熱心でなかったからだ、と(婉曲に)言っています。平泉はそんなことを言っていないと思いますが、心の中では思っていた可能性がある。

この考え方も同様に疑わしい。

とはいえ、私はめいろまさんほど楽観的でもないわけです。

めいろまさんが言うように、故郷愛というか、家族愛や祖先崇拝が愛国心の代わりになることはあったと思うのですが、それで十分かは定かでない。

日本人に愛国心は可能か、というのが私の本来のテーマなので、その観点から、これから平泉澄についても書いていこうと思います。




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