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メディアが起こした「分断」

選挙結果から「分断」という言葉を使う論説が増えている。

いかにも旧メディアが使いそうな言葉だ。

しかし、忘れてはならないのは、分断はメディアが作ったということだ。

朝から新聞を読み、地上波テレビを見る年寄りと、スマホとSNSで情報をとる現役世代では、見ている世界が違う。

そうした「分断」が起こったのは、別に年寄りが頭が悪く、若いのがIQが高いとか、そういうことではない。

年寄りだって、スマホとSNSを使い始めれば、その便利なことにハマるはずだ。

旧メディアが、読者・視聴者がデジタルへ移行するのを徹底して阻止したのだ。

今は少し事情が違う。しかし、1990年代から2000年代にかけてはそうだった。

新聞社の知り合いが言っていたが、その当時は、勝間和代のような人でさえ、紙面に出てくると社内から「なんであんなのを出すんだ」と文句があったらしい。

まして、堀江貴文とか西村ひろゆきとかは、名前を出すのもはばかられるという状態だったろう。要するに「ネット派」は明確な「敵」だった。

出版社の友人によれば、「アマゾン」の話題もタブーだった。ネットでの販売はリアル書店への裏切りだと営業部長は思っていた。当然、ネットでのマーケティングができない。電子書籍化も遅れた。

新聞社でも、とくに業界の盟主である読売新聞が政府のデジタル化推進に反対したのは有名だ。

旧メデイアは全力で今の高齢者への「デジタル教育」を阻止したのである。

そのようにして、メディアは日本の足を引っ張り、21世紀の経済繁栄から取り残される原因を作った。と同時に、「分断」の原因も作ったのだ。

多くの現役世代、若者世代は、そういう旧メディアの抵抗にもかかわらず、仕事や交友の必要からデジタル環境に馴染んでいった。

しかし、パソコンを扱えなくてもギリギリ給料がもらえた世代は、結局デジタルを学ぶことなく退職し、あいかわらず新聞とテレビだけを見ている。

そして「日本は分断している」という記事を読み、

「若いもんは新聞を読まないからダメだねえ」

と、新聞の思うツボの感想を死ぬまで持ち続けるのである。

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