なぜ「FAX新聞」は生まれなかったか
FAX は今や時代遅れの象徴で、とくに日本に残っていることで「ガラパゴス日本」の象徴のようにも言われる。
しかし、私が子供だった1960年代、FAXは最先端のITだった。社会見学で企業に行くと、24時間、カタカタと鳴りながら英文が書かれた紙を吐き出す大型のFAX (当時はファクシミリと言った)はカッコよかった。
当時、「未来学者」という肩書で有名だったアルヴィン・トフラーという人がいて、著書に「新聞はいずれファクシミリで各家庭に送られるようになる」と書いていた。
当時はファクシミリは、外国と取引のある企業にしかなかったが、各家庭に普及すれば、当然そうなるだろうと子供の私も思った。
50年以上たって、しかし、そうならなかった。
ファクシミリはFAXと名を変え、より高機能になって家庭に普及した。しかし、「FAX新聞」は、どこの国でも定着した話を聞かない。
コストの面でも、速報性の面でも、新聞をFAXで送れたら大幅に有利だ。巨大な輪転機を回し、全国にトラックを走らせ、雨や雪の日に苦労して配達する手間が要らない。(これらのコストがかからず、プリント代も家庭が負担するなら、新聞社に必要なのはほぼ人件費だけで、新聞代は月500円以下になるだろう)
朝、人が起きる時間に、各家庭のFAXから契約した新聞がプリントされる。それを見ながら食卓につく、という光景は容易に想像できる。
インターネットというものがない世界では(それは事実上1990年代までなかった)、それが技術の進歩として自然に思える。そして、「FAX新聞」が定着すれば、出版物一般や、国や自治体の公報にもそれが応用されただろう。そうなれば、そこに様々な技術の改良も生まれたと思う。
いまはネットがあるといっても、先ごろの通信障害でもわかるとおり、インフラとして頼りない。固定回線を使うFAXのほうが、いざという時に頼れそうな気がする。
それなのに、「FAX新聞」は実現しなかった。
そして今、FAXがこの世から消えようとしている。
この成り行きに、私はずっと納得できていない。
今、雨の朝に、窓の外を新聞配達のバイクが通るのを見て、改めて首をかしげた。
(なお、コンビニのFAXで、競馬新聞などをプリントするサービスはある程度定着しているようだ)
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