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【書評】林真理子『綴る女 評伝・宮尾登美子』

前の記事で「新刊は基本的に取り上げない」と書いたばかりなのだが、この本には引っかかるところが多かったので、触れたいと思う。

新刊といっても、今年2月に出た本だ。約1年たっているが、私の住む川崎市の図書館で調べると、市内図書館にある計10冊はすべて貸し出し中で、予約が40件以上ある。読まれているのである。

私はこの本が出たことも知らなかったし、書評のたぐいもまったく見ていない。以下に書くことはすでに指摘されているかもしれないが、かまわず書かせてもらう。なお、敬称はいっさい省略する。

小泉純一郎との関係

第1章で、華やかだった宮尾の「誕生会」に触れ、当時の幹事の以下のような証言が引用されている。

「現職の厚生大臣だった小泉純一郎さんも来ていましたよ。SPも一緒だったからよく覚えています」(p6)

そして、そのことから、当時のメディアが、宮尾を「有名政治家まで従える大振袖の老女」ととらえた、と本文でフォローされる。

なぜ、小泉純一郎が宮尾の誕生会に来たのか、その理由が書かれていないので、これは誤解を招きかねない箇所だ。

小泉は、宮尾が1993年に毎日新聞に連載していた「蔵」の大ファンで、連載中に新聞社にファンレターを送り、それが読者投稿欄に掲載されて話題になった。その当時の小泉は、海部内閣で反主流派閥(三塚派)に属し、無役だった。「蔵」が本として出版され、映画化などもされたあとの1996年、厚生大臣に就任し、「蔵」の熱烈ファンとして宮尾の誕生会に来たのである。

政治家だから、なにか打算があったのだろうと考えるのは自由だが、93年当時に「蔵」を褒めて小泉に政治的メリットがあったと思えない。それは純粋に、作家(作品)とファンの関係だったと思う。

そのことを書かないと、本当に「有名政治家を従える・・・」という印象がそのまま読者に残ってしまうだろう。

「蔵」の評価

小泉純一郎の件を含めて、林がこの評伝で、「蔵」という作品をほとんど無視しているのも面妖である。

これはおそらく、林の宮尾文学評価にかかわる。林は、宮尾が四国の実家の「恥」を赤裸々に書いた自伝的小説にこそ、日本女性の心の機微に触れる、宮尾文学の真骨頂がある、と思っているのである。

しかし「蔵」は、南国・高知ではなく、雪国の新潟を舞台にした、まったくのフィクションである(新潟の蔵元を舞台に、盲目の少女「烈」が酒造りや恋に奮闘する話)。だから、林の宮尾文学観にハマらず、評価しづらい作品になったのだと思われる。

だが、「蔵」は、単行本でたちまち100万部売れた人気作であり、大ベストセラー作家としての宮尾のキャリアの掉尾に位置する。東映で映画化された最後の作品でもある。無視できる作品ではない。

より重要なのは、宮尾が純粋なフィクションも書ける優れた物語作家であったこと、そして、その作品は、小泉のような男の心もわしづかみする魅力があったことを、「蔵」が証明している点である。それは、宮尾文学の評価に欠かせない側面であり、林の宮尾観に致命的に欠けている部分である。

朝日新聞社との義理

その「蔵」は、毎日新聞社から出版された。それがミリオンセラーになり、それこそ政治家をも引きつける話題作になったことは、結果的に、宮尾の心中に複雑な思いをいだかせた可能性がある。

というのは、宮尾は、朝日新聞と強い結びつきをもつ作家だった。全集も朝日新聞から出している。毎日新聞との関係は「蔵」1作だけであった。

そうであるのに、宮尾が朝日から「蔵」の前に出した「きのね」も、「蔵」の後に出した「クレオパトラ」も、「蔵」ほどの評判をとっていない。このことで、宮尾は朝日に少しすまない思いをもったのではないか。宮尾としては、毎日新聞よりも、朝日新聞からミリオンセラーを出したかったはずである。(むかしの作家は、いまの作家より、版元との「貸し借り」をすごく気にしたものだ。)

だからこそ、そのあとの週刊朝日連載「宮尾版 平家物語」(結果的に朝日との最後の作品になる)に力が入った。その執筆に専念するために北海道に家を買うのである。

そこで、本書には、宮尾が「本来ならば朝日が私に家を建てるべき」と言った、という記述がある(p201)。これだけでは、宮尾の思い上がりととらえられるだろう。

しかし、この言葉は、以上のような「蔵」の成功と、その前後の複雑な立場や心中を考えないと、理解できないと思う。それは、宮尾の傲慢というより、自分は朝日新聞のためにこれだけ義理堅く努力しつづけている、という思いの表れだったと思えるのである。(そういう作家と版元の関係の機微を理解できない新聞記者へのいらだちもあったかもしれない)

朝日新聞社長との関係

その朝日新聞との関係の根幹をなすのが、林が本書でしつように言及している、中江利忠朝日新聞元社長との関係である。しかし、ここでも、林は肝心なことを書いていない。

林は、宮尾と中江の密接さを示す、以下のエピソードを書いている。

「中江の身内の不幸を週刊誌がスキャンダルのように扱われそうになった時、宮尾はその週刊誌を出している出版社の知り合いに電話をかけ、記事を止めようとした」(p212)

この「身内の不幸」を、林ははっきりと書いていないが、中江の息子の自殺である。私の記憶では、1984年ごろのことだ。

まず、林の記述では、これが中江が朝日新聞社長になってからのように思われかねないが(この「評伝」は、時系列がときどきおかしい)、編集局長から取締役に上がったばかりのころだと思う。とはいえ、中江が将来の社長候補ともくされていたのは間違いない。(中江は1989年に社長になる)

宮尾が記事をさし止めようとしたのは、その不幸が変に伝えられることにより、中江が社長になりそこねるのを恐れたからだろう。そうなっては、おそらく自殺した息子にとっても本意ではなかった。

この件は、業界で長らくタブーのように扱われたが、事項の性質上、それも当然かもしれない。林が本で、それをはっきり書かないのも仕方ないかもしれない。

しかし、もう30年以上も前の話である。そして、私はその自殺した彼を、偶然だが知っていた。だから私も当時、ショックを受けた一人である。脳裏には生前の彼の顔が浮かぶ。彼のためにも事実は書いておきたいと思う。

子どもを自殺でなくすほど、親にとって辛いことはないだろう。私は、宮尾は中江に深く同情したのだと思う。そのことを知らないと、二人の関係の人間的な部分がわからない。そのことを知らないと、60代どうしの色恋沙汰(しかも不倫)ともとられかねないだろう。

なお、中江は朝日新聞社長になり、冷戦終了とともに速やかに「朝日ジャーナル」を廃刊したりなど、果敢な取り組みをした。野村秋介の拳銃自殺を社長室で見届けたのも彼である。毀誉褒貶はあるだろうが、優れた社長だったと思う。

中央公論社との義理

ほかにもいろいろあるが、あまりに長くなるので、宮尾と中央公論社(現・中央公論新社)との関係について書いて終わりにしよう。

不遇な時期が長かった宮尾は、女流文学賞をあたえてくれた中央公論社と嶋中社長にも恩義を感じていた。

そして、「蔵」が話題になっていたころが、ちょうど中央公論社が経営危機におちいっているころだった。もともと「蔵」は、中央公論社のために構想された作品だという噂もあった。ここでも宮尾さんは、貸し借りでいう「借り」の思いを中央公論社にたいしていだいたのではないか。

だから「蔵」は、毎日新聞社から出版されて1年で中公文庫になった(wikipediaの記述ではすぐに角川文庫になったように書いているが、間違いである)。通常は文庫化までは2年以上(当時の慣行では3年)である。少しでも中央公論社を助けようとしたわけだが、焼け石に水で、同社はご承知のとおり読売新聞グループに吸収されることになる。

ちなみに「蔵」は、NHKドラマ化、映画化、舞台化された。NHKで主人公の「烈」を演じたのは、デビュー直後の松たか子だった。映画化(1995年)では、宮沢りえが主演のはずが、土壇場で一色沙英に変わった。

いま思えば、当時は無名だから難しかったのだろうが、松たか子が映画でも主役を演じていたら、映画の評価も、ひいては「蔵」という作品の評価も変わった気がする。(なお、舞台では沢口靖子が「烈」を演じた。)

宮尾の中央公論社への義理堅さは、最後の作品「錦」が中公に渡されたことでもわかる。その中央公論社が、そのときには朝日新聞の最大のライバルである読売新聞グループに代わっていたことは、私には皮肉な展開に思える。(なお、林は「錦」の結末が気に入らないようだが、私はあの結末に感動した。)

付け足し

もう一つだけ、林は、本書で瀬戸内寂聴に取材し、「どうやら宮尾は、4歳年上の瀬戸内をライバル視していたようだ」(p173)と書くが、宮尾が瀬戸内を意識していたのは、30年前から周知のことではないだろうか。

というより、周りが「ライバル」であることを期待したのである。性に奔放な瀬戸内晴美と、性に保守的な宮尾登美子、というふうに対照的に見られる、とエッセイにも書いていた(性に奔放な瀬戸内、というイメージが、若い人にはもう伝わらないかもしれないが)。

これは私の勘でしかないが、宮尾は、瀬戸内をライバル視したというより、瀬戸内が嫌いだったのだと思う。宮尾は、宮本輝と親しかったことでもわかるとおり、「古風」な倫理観をもつ作家であり、その倫理観は揺るぎなかった。

だから、自分の評伝で、瀬戸内にマウントをとられるようなことを言われるのは、不本意ではなかったかと思う。宮尾が生きていたら聞いてみたいところだ。


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