AIの時代のものづくりってなんだろう〈#noteフェス〉
先日noteフェスに行ってきました。夏はタオルをぶん回して、ロックに酔いしれるのが楽しみ・・・それがオンライン??何するの??
そんな疑問も持ちつつ、参加した回のテーマはAIとヒト。
哲学の話かと思いきやAIが今どこまで進歩していてどんな開発が熱いのかや、プログラミング系の技術な話がロケットスタートし、文系の私は家にいながら居住まいを正して大学の講義さながら。
話はそこから人間の脳や行動原理へ移り、素人ながら、
なるほど、AIの研究開発を通してヒトってものを把握しようとしてるんだな
と納得。今まであまりAIに関心が無かった身ですが、そういう知的好奇心目線からだとちょっと身近に感じます。
さて、研究が進めば、ヒトの快楽をコントロールすることが可能になるらしいんですね。例えば、仕事大好き人間を作って、馬車馬のように働かせる、でも当人はそれを幸せだと認識する、ということが技術的には実現するそうなんです。なので、自分が果たしてそう思っているのか、思わされているのかの境界線がとても曖昧になる。
そうならないためには、AIの時代、これは本当に快楽なのか?と疑える知性が大切だと言われていました。ポジティブに解釈すれば、AIに負けないようにAIより賢くなろうってことですね。AIが考える力を奪うのではなく、逆にAIの存在がモチベーションになって私たちが賢くなっていくような。研究者だけじゃなくて、私たち庶民も、AIを自分を見つめる鏡にして暮らしていけたらうまく共存できるのかもしれません。
そんな時代のものづくりはどうなっていくのでしょう?
AIは素人にも分かるほど、もうすでに創作の領域に入り込んできています。
伝統工芸品のように今はまだ人の手だけでやっているものにも、職人の跡継ぎ問題なんかと重なって、近いうちにそんな技術が投入されるかもしれない。
ここまでフェスで考えて、思い浮かんだことがありました。
世界各地に残る手刺繍の文化。クロスステッチの発祥であるパレスチナの刺繍を研究する美術家さんが、
パレスチナでは農民の間で長く刺繍がされてきたが、そのクロスステッチは時々あえて反対向きになっていることがある。これは、神に対して、人間は不完全な存在なのだと謙虚に顧みるためになされている
と書いているんですね。そんな考え方があるのかぁと思って。手刺繍は表面も均一ではなく、ぼこぼことした手触りがあって、よく馴染みます。
また、私が気に入っている素材のひとつに、オリーブの木があります。
木材フェチで、昔から文房具から食器から家具から家まで全部木にしたいと願ってやまず、神戸の木材の博物館に足を運ぶほどなのですが、スギやヒノキといった日本の木は木目がまっすぐなものが多いですよね。なので自然とそういうものにばかり目がいっていたのですが、パレスチナと出会ってからオリーブの奥深さも知りました。
いくつか手元にありますが、木目には全然規則性がありません。最初は見慣れないので違和感があったのですが、馴染むと目が離せなくなってきます。
オリーブの木目自体は自然が作り出すもの、人間はほとんど関与していません。でも、生えている木をただ眺めていてもヒトはそれを有用に使えない。暮らしの道具にしたければ出来る人が加工して、形を切り出していく。その過程で木目が表れてくる。
なので刺繍も木の道具も、手が介入して初めて形になります。
AIはデザインや寸法やマーケティングを助けてくれるかもしれない。でも、ものづくりそのものには、手仕事のぼこぼこ感や不均等な感じがあるほうがいい、そう思っています。
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