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戦後日本と空っぽな「平和主義」

8月、「八月ジャーナリズム」と共に毎年蘇る戦争の記憶。

原爆、敗戦、暴力と平和

恒久平和を唱えるのと同時的に靖国参拝まさに戦後日本の「平和主義」が抱えた大きな矛盾を体現しているようだ。

結局平和主義を掲げて、散々平和の尊さを教育しながらも、その中身は空っぽなのかもしれない。

広島の慰霊碑。「安らかに眠ってください、過ち(=戦争)は繰り返しませんから」と反省の念を示していながらも、なぜこの戦争が起こったのかを問おうとは一切不問。すなわち、戦後日本が抱えてきた、先の戦争に対する歴史観の大きな分断を無視する形での空っぽな「平和」の構築を今まで長年日本は行ってきた。こんなことを言ったら広島の人に怒られるかもしれない。や、多分「平和主義」に疑問を呈すことは、多分多くの日本人にも怒られる。

「先の戦争を生んだ過ちは何か?」と問う時、一方の人からすれば、それは無政府主義的な国際社会での西欧帝国主義による挑発、八紘一宇や大東亜共栄構想という「高貴な理想」に対する帝国周縁の「野蛮」な反発なのかもしれない。もう一方からすれば、それは国家神道主義と軍国主義が融合によるファシズムの体制を作り上げた日本であり、それを無思考に讃えて一般市民。日本が無謀に突き進んだ帝国主義と拡張主義への道。

日本が朝鮮半島を植民地化し、中国へ侵攻し、米国との開戦を導いたと誰かが叫べば、それに対して誰かが、日本は西欧と同じことをしたまでで、先の戦争はアジア植民地の解放という大義名分の下戦った正義の戦争であると憤慨する。米国軍による広島と長崎の悲劇を悲しみながらも、南京での虐殺など侵略と共に起こった様々な戦争犯罪は「存在しなかった」との一点張り。

恒久な平和を訴える傍らで、政府要人が明治維新後の日本の暴力的な国家神道主義と拡張主義を支えてきた靖国神社を参拝する。そんな歴史観における矛盾と分断が戦後日本で続いてきた。歴史観の分裂は、加藤典洋が『敗戦後論』で指摘した「ねじれ」や「人格的分裂」にも繋がる話だと思う。それはまた、これまでの戦後現代までの日本社会で政治が日常的話題から避けられ、戦争の話題が病的な程に常に「平和」と紐付けられる形で教えられ、語られ、記憶されてきた本質的原因なのかもしれない。日本の政治における保守革新対立も、その根本構造にはこの日本の「黒歴史」が付き纏う。

でも、日本の平和主義は戦後日本の「対立」と「分断」を巧みに避けようとした。言い換えれば、「平和」と「戦争」をめぐる無限の解釈可能性を残すことで、「空っぽな平和」を掲げてきた。それがここまでの日本、「戦後日本」という存在。「平和を愛し、絶対戦争はしない」と唱えつつ、戦争の過ちがどのようにもたらされたのかは異なる解釈可能性を与えた。その結果が今の「恒久平和」と「靖国神社」が共存する日本(靖国神社がどのようなものであるかを一々説明する必要はないだろう…)。「白」と「黒」が混ざることなく気持ち悪いぐらいに綺麗に保たれた日本。「崇高な理想」と「暗黒な現実」が見事なまでに共存する日本。

戦争の当事国がその歴史をどう定義するかに決着をつけずに恒久平和を訴えるのはもはや馬鹿げたことだろう。でもそれが戦後の日本。戦争や原爆をまるで原罪のように扱い、平和に神的な救済とでも言えるようなものを見出そうとする。「平和」は崇める神による救済なのか。それとも、実現不可能な「バベルの塔」なのか。戦後日本は平和を掲げつつも、常に戦争に関わり続けてきた。朝鮮戦争、ベトナム戦争…

平和とは何か、平和主義とは何か。そこにおける思考停止が、永遠に「戦後」という亡霊に居場所を与える。

毎年8月、日本は祈る、我々は祈る。平和の尊さを。
我々は祈る、平和が如何に壊されたのかについて目もくれずに。


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