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修学旅行の思い出


この研修旅行はとてもシンガだった。


 先日、学校の修学旅行でシンガポールに行った。研修旅行は4泊5日の旅だった。相当前から計画された研修旅行。しかし私は出発の数日前まで全く実感が湧かなかった。というのも、パスポート以外の海外渡航に置いて必要なものを全く準備していなかったからだ。出発の2、3日前になってポケットWiFiやクレジットカードなどが届いて初めて自分がシンガポールに行くことを感じた。そして猛烈に興奮した。そこから出発までは何も手につかなかった。ペンを持って机に向かっても集中できない。スマホゲームをしてもすぐ飽きる。テレビ番組も漫画も映画も。出発の前日は空港から近い友達の家に泊まった。この時もうすでにシンガだった。回転寿司に行って銭湯に入って、この時が最後の日本らしい生活だったが、心はもうシンガだったので何とも思っていなかった。
 私がさっきから"シンガ"と言っているがこれは、この文章を最後まで読むとどういう意味かわかると思う。なので最後まで読んでほしい。
 そしていよいよ出発の日。もう最高だった。何もかもがうまく行きそうだった。しかし、電車に乗った時、あることに気づく。音楽を聞こうとイヤホンを探すと、、、片耳ない。片耳だけない。え、まじ?そのイヤホンはかなり気に入っていたので本当にショックだった。しかも一万円もする。学生の一万円は、もう、やばい。本当にショックだった。空港についてから、昨日イヤホンを失くしてしまっていそうな店に片っ端から電話をかけても、もちろん見つからず。急にしょんぼりしてきた。イヤホンを失くしたことで一気にシンガではなくなってしまった。しかしシンガポールはそんな私を待ってはくれない。飛行機はすぐに飛び立つ。今思い返すとここで飛行機が離陸してから、5日後の日本に帰国するまでは一瞬の出来事だった気がする。
 イヤホンを、失くしてあまり気分は乗らなかったが羽田の入国審査を抜けていよいよシンガポールへと旅立つ。もうずっとワクワクしてた。ここらへんの時はワクワクとシンガが止まらなかった。その気持ちのまま飛行機に乗った。この時もワクワクが止まらないので機内では隣にすわる友達にずっとダル絡みを続けていた。途中でちゃんとキレられた。そんなこんなで日本を離陸をしシンガポールへと旅立つ。実は私は海外に行くのは初めてなので長時間のフライトも機内食を食べるのも初めての経験だった。ダル絡みをキレられ気分が落ち着いた所で、映画を見ることにした。約7時間のフライトだったので時間はたくさんあった。機内ではたくさんの映画が見れたが、私は是枝裕和監督の「怪物」を見た。カンヌ国際映画祭で脚本賞を受賞した映画だ。内容の詳細は割愛するがこの時は映画がおもしろすぎてシンガを一瞬忘れた。映画を見終わったがまだ時間は山ほどある。周りを見回すとみんな寝ていた。自分も少し眠気があったので寝た。目を覚ますともう、フィリピンを超え東南アジア上空にいた。ここで機内食が出された。初めての機内食だった。

なんか、料理名とかはわからないけど美味しかった。そこからもまだまだ時間はあるので、今度はネットフリックスのトークサバイバー2を見た。千鳥の二人が主役で、ドラマが進みながら振られるお題にあったエピソードトークをし毎話で一人づつドラマの中で消えていく。ここも詳細は割愛するがかなり面白かった。かなり長時間のフライトをなんとか終えて、やっとシンガポールについた。

チャンギ空港に到着

 飛行機を降り、空港の中に入ると当たり前だが全ての表記が英語だった。ここで私は本当に外国に来てしまったということを改めて自覚した。それらを見ながら歩いていくと手荷物検査場についた。初の現地の人とのコミュニケーションだ。検査場の人も私が日本人であり、英語を喋れないのが分かったらしく「Any computer?」と一言。そして私はポケットから、スマートフォンとモバイルバッテリーを取り出した。するとモバイルバッテリーの方は不要だったらしく、「No」と言われ、自分の荷物の番号札を無言で渡された。ただ、私はそれが受け取っていいものなのかわからず、その検査場の人を見ていると、めっっっっちゃ睨まれた。

いや怖っっっっっっっ

体が固まり自分の硬直した右手に番号札がぐいっと押し込まれた。そしてなんとか荷物検査を抜けることができた。あー海外の人ってこんな態度悪いんだという新たな学びを、恐怖という代償の末手に入れた。とすぐに今度はパスポートを見せる。また、あんなに睨まれるのは嫌だと思ったが、幸いこちらはコンピューターにパスポートを挿し込むだけで手続きが完了するタイプだったので一安心。やっと硬直がほぐれてきた手にパスポートを持ち、コンピューターに挿し込む。すると何故か私のパスポートだけ認識されず、また違う場所へと行けという指示がでた。うっわ、最悪だよマジで、行きたくね〜と思ったが入国しないと来た意味もないので仕方なく、その違う場所へ。もちろんそこはコンピューターではなく人がいる。列に並んで自分の番を待つが前の人がめっちゃぶちギレられてるのが見えて一気に体が強張った。そして自分の番。ハローという挨拶を言おうとして口が動いたが声が出なかった。めっちゃ睨まれてる。パスポートを渡し、その後指紋を認証。その後「Do you have Arrival card?」と聞かれたアライバルカード(Arrival card)というのは、シンガポールに、行く前に事前に申告しておくもので、これは学校のみんなも、もちろん私もやっていた。しかし、私は焦りまくっているのでそれが何なのかも分からず、「No I haven't」と答えた。まず持っているのにNoと言ってしまっているし、Do youで聞かれているのでNo I don'tが正しい答えなのに焦り過ぎてるのでDo you haveのhaveに反応してNo I haven'tという現在完了形で答えてしまっていることなんかにこの時は気づいていない。そして、はぁ??みたいな顔をされてまた違う所に移動、あっもう入国できないんだな俺と思った。もう周りに学校の友達はいない。ここで帰国を覚悟する。そこに偶然旅行会社の人がいた。その人に助けてもらいなんとか入国ができた。その後バスに乗り夕食会場へ移動。バスは貸し切りなのでやっと心が落ち着いた。と同時にこの日やったことが、イヤホンを失くし、外国の人々にキレられ、ありえない英語を使ってしまったということだけだと知って全くシンガポールが楽しみではなくなってしまった。夕食は中華料理で日本とは全く違う味付けや食材を味わった。そしてやっとホテルに帰着。ホテルは風呂に浴槽がないこと以外、日本と変わっている場所はなかった。そうしてシンガポール初日が終了した。
 2日目はいきなり班別の研修。2日目にしてシンガポールの街に数人で放り出される。しかし、一人強い味方がいた。それは一緒に同行してくれる現地の大学生の人だ。私達の班はその大学生がなんと日本語が話せる方だったので、はっきりいって2日目は楽勝だった。まずはホテルから徒歩10分のところにある駅に行く。しかし現地の大学生がバスに乗った方が早いと言ってきた。徒歩10分だからバス乗らなくても良くないか?と思ったが、現地の人が言ってるんだから従うしかない。バスに乗るとまー徒歩10分で着くだけあって本当に一瞬で駅に着いた。そこから電車に乗り、ガーデン・バイ・ザ・ベイという植物園に行った。最寄り駅に着き、電車を降り、駅の出口を抜けると吹き抜けの大きな建物の中にいた。そしてその大きな建物を出て、外からその建物を見るとそれはなんと日本の人々もしっているマリーナベイ・サンズだった。とても大きくて圧倒された。

マリーナベイ・サンズの中

そこから少し歩いて植物園の方にいく。ふと後ろを向くと大きすぎるマリーナベイ・サンズがあった。

マリーナベイ・サンズ

めっっっちゃシンガだった。そして植物園であるガーデン・バイ・ザ・ベイへ。ここも綺麗でとてもシンガだった。

ガーデン・バイ・ザ・ベイ

そして、そこで現地の大学生がオススメするSHAKESHACKというファストフード店にいった。そこのシェイクがとても美味しいらしい。そこの店で私はPandan shakeという飲み物を頼んだ。どうやらこれはシンガポール限定の味らしく現地の大学生にお前センスいいねみたいなこと言われた。別に偶然だろ。ちなみに味はめっちゃシンガだった。

現地でしか飲めないPandan shake

 それから我々一行はチャンギ国際空港へ。電車を使う予定だったが現地の大学生の助言のおかげでタクシーを使うことに。タクシーって俺らそんなお金ないけど!?と思ったが、日本と違いシンガポールのタクシーは比較的安い。時間も電車を使うより早く着くので一石二鳥。車に揺られながらシンガポールの町並みを眺めること約30分。チャンギ国際空港に到着。ここでは昼食をとることと、この後に予定されていた企業訪問への時間の埋め合わせとしてきた。シンガポールは東京23区と同じくらいの大きさなので空港はチャンギ空港の一つしかない。しかしこの空港はとてつもなく大きいので世界で一番大きい人口滝など何でもある。

チャンギ空港の人口滝

昼食はなにを食べるか。空港を歩きながら皆で考えていると現地の大学生がシンガポールに来たならチキンライスは食べないとと提案してきた。確かにシンガポールに来たならシンガポールの食事をしようと一行はチキンライス店へ。シンガポールのチキンライス店には鳥の丸焼きがそのまま2、3個ぶら下がっていてそれを切って振る舞ってくれる。

チキンライス

現地のチキンライスは炊き込みご飯的な感じではなく、チキンとライスが完全に別の皿に盛られている。シンガポールの米は日本の、ように小さく粘り気はなく、細長くてパサパサしている感じだ。はっきり言うとご飯は日本の方が断然美味しいが、シンガポールのご飯もシンガだった。
 最後に私達は企業訪問へ行った。学校の全ての班がそれぞれアポをとっている日本の企業を訪問し、現地でどういったことをしてるのか企業の方にお話を聞く。私達が訪問した企業の詳しい企業名などは伏せるが医療系の企業へ行った。日本の企業なので日本人の方が案内してくれた。1日中英語を聞きっぱなしだったので久しぶりに聞く流暢な日本の言葉に何故かものすごく安心した。その方はお菓子を振る舞ってくれたりして、日本のおもてなしを感じた。
 そこから私達は班別研修のゴールとなる学校が決めた集合場所へ。そこでご飯を食べてこの日は終わった。1日中シンガポールの街を案内してくれた現地の大学生とはここでお別れ。1日中私達に付き添ってくれて本当に感謝だった。そこからホテルまでは徒歩約5分ほどだったが最後の最後も彼は私達にバスで行ったほうが早いと言ってきた。こいつどんだけ歩きたくないんだよと思ったが、現地の人が言ってるのでバスに乗るしかない。バスに乗って、ドアが閉まりお互い手を振り合う。バスが出発し感傷に浸りかけていたら、他の学校の友達達、数百人が長蛇の列をなしてホテルまで歩いている。数百人の生徒達がバスに乗ってる私達を見て、え?この距離バスなの?みたいな顔をされてめっちゃ恥ずかしかった。
 ホテル到着後、私は同じ部活の友達Tくんと、去年日本を離れシンガポールに旅立ったIくんに会うことに。彼も日本にいた時は同じ部活だったので久しぶりの再開にワクワクしていた。ロビーでIくんを私とTくんで待っていた。ドキドキと同時になんかちょっとだけ会うことをためらいそうになった。Iくんを待つ数分が長く感じた。窓から外を眺めていると、手を大きく振りながら歩いてくる七分丈のズボンを着た青年が。間違いなくそれはIくんだった。久しぶりの再開が嬉しかった。Iくんはツーブロックになったこと以外、あの頃と何も変わっていなかった。シンガポールでもコテコテの関西弁は健在だった。私とTくんとIくんで夜のシンガポールへと繰り出し、現地のフードコート?みたいな場所で軽食を摂った。Iくんが話すシンガポールの生の生活は日本とは全く違うものだった。いろんな事を話し、時間がとても早く経過していた。すぐに別れの時間に。久しぶりの再開はとてもかけがえのないものだった。
 3日目。私達はシンガポール大学で講義を受けた後、日本で作ってきたパワポをシンガポール大学の大学生へプレゼンする。これは日本の月曜日よりも退屈だったので手短に書かせてもらう。まず全てが英語の講義で、グローバル化、それに経済や環境を関連づけた講義だった。まず英語なのであまりわからない。スライドの画像とかを見てしか理解できない。各テーブルに置いてあるメントスが美味しかった。それだけ食べ続けていた。隣の友達がテーブルクロスをこたつの要領で肩までかけて寝ているのにドン引きしながらも私もウトウトしながら講義を受けた。なんとか最後までうけた後、大学生が来てプレゼンを行った。何の練習もしていないので最悪なプレゼンになってしまった。そして大学生のプレゼンに対するアドバイスタイムになった。てっきり英語についてアドバイスされるのかと思ったら、パワポのデザインでゴタゴタ言われ、じゃーもう英語依然の問題と逆に開き直れた。
 その後はバスに乗りナイトサファリへ。サファリに行くのはいつぶりか。ワクワクしながらバスに乗るも、眠気に負けて寝てしまった。友達に起こされサファリパークへ到着。まずそこの食事会場まで歩いていると、

クジャクが隣を歩いていた。これは、、、、、、期待できるやつ。ご飯を済まし、いよいよサファリへ。サファリのバスに乗る時に気づいたのだが、檻の中に乗って、そこから餌をあげるみたいなやつではなく、普通に外と中になんの隔てもないタイプのバスだ。動物は放し飼いではなく。動物園と同じで堀越しに展示されている。夜なので余り見えなかったが、普段見ることない動物達は立派だった。ライオンがめっちゃ吠えてきてファンサが教育された良いサファリパークだった。楽シンガだった。
 4日目は二度目の班別研修。しかしこれには重大な問題が。行き先は事前に決めて置かなければいけないのだが、事前に決めたところは一度目と同じガーデン・バイ・ザ・ベイだった。実はガーデン・バイ・ザ・ベイは一度目の班別研修で行ったし、また5日目のクラス別研修でも訪れる。つまり今日訪れるとなると計3回ガーデン・バイ・ザ・ベイに行くことになる。じゃあそれってシンガポールじゃなくてガーデン・バイ・ザ・ベイ見にきてるじゃん。この懸念は私だけではなく班員全員が持っていたらしく、行き先はすぐに変更に。幸いシンガポールに住んでる先ほど話したIくんにオススメの場所は聞いていたので、簡単に話は進んだ。まず我々はアラブストリートへ。シンガポールは多民族国家なので様々な宗教の建物が同じ土地にある。

アラブストリート

アラブストリートにはお土産屋さんや飲食店、そして大きな建物があった。すごい景色だった。その後我々はシー・アクアリウムに行った。なんか、世界で見てもすごい水族館らしい。

クラゲ
小さすぎる水槽を掃除する人

余りいい写真を撮れていなかったが、とてもシンガだった。
 その後はIくんにオススメされたブギスストリートへ。物価の高いシンガポールでもここなら安くお土産が帰ると聞いてもちろん直行した。シー・アクアリウムからブギスストリートに行くまでの道の途中、駅兼ショッピングモールとなっている所を歩いているとサッカーユニフォーム専門店を発見。日本には中々ない。

サッカーユニフォーム専門店

画像を見たらわかる通り、サッカーファンなら唸る品揃えだ。数日間シンガポールを歩いて思ったのがシンガポールではサッカーユニフォームを私服で使っている人がいたりコンビニではサッカー選手のグッズが置いてあったりと日本よりもサッカーが人気なスポーツなのだろう。ここで、知らない外国人に話しかける。サッカーの話だったので余裕に喋れた。めっっっっちゃワード降りてきた。サッカーだから。相槌とか打てた。サッカーだから。そうして自分へのお土産だ。と暗示をかけ、サッカーユニフォーム107$(日本円だと11000円くらい)を買った。他の班員を待たせヘコヘコした。大満足のまま改札口に行くと、なんとそこにIくんが!!!これは本当に偶然だ。お互いに仰天した。Iくんの現地の友達とも軽く話すことができた。驚きの再再開もあり、電車に乗ってようやくブギスストリートへ。着いてブギスストリートの中に入った瞬間、あぁ海外にいるわと思った。

ブギスストリート

ブギスストリートは日本の商店街のようだった。お店に入る度いろいろ気前良く話しかけてくれた。サービスにキーホルダーをくれたり、つたない日本語で「ありがとうございます」と言ってくれたり。Iくんが言っていた通り値段も安く、Tシャツ4着で14$(約1400円)だった。サッカーユニフォームの大きすぎる出費があったのでありがたかった。ブギスストリートの町並みや海外の人情を満喫し、2度目の班員研修は終了。
 ホテルに帰着後、クラス別のナイトクルーズに。クルーズなんて何が楽しいの?と思っていたが、このナイトクルーズがシンガポール研修、いや高校生活の中でも一番に記憶に残るものになったんじゃないかと思う。船に乗りながらシンガポールの夜景を眺める。本当に、本当に綺麗だった。

This is !!This is シンガ!!って感じだ。この景色は本当に死ぬまで忘れない気がする。
そして、あっという間に最終日。本当にすぐだった。シンガポールはとても小さく、山もないので水がない。隣国マレーシアから水を貰ったり、雨水を貯めたりしてなんとか水を得ている。日本とは全く違う環境だ。そこでマレーシアのダムにいった。ダムと言っても山の中ではなく、海に流す水を制限するためのものだ。

そこからシンガポールの海をみた。世界有数の貿易国なだけあって海上には無数の船が浮いていた。
 その後、馴染みのガーデン・バイ・ザ・ベイへ。ここではクラスの友達に、現地の大学生に教えてもらったSHAKESHACKのPandan shakeを飲ませた。みんなからも好評だった。
 次ははシンガポール国立博物館へ。シンガポールは戦時中、日本に占領されていたこともあり、意外な形で日本との関わりを感じた。日本では教わらない、占領された側からの戦争を知ることができた。他にもプロジェクションマッピングやシンガポールの生活の歴史なども知ることができた。そしてここでクラスの女子達とツーショットを撮ったりした。めっっっっぅちゃ嬉シンガだった。
 そしてニューウォーターファクトリーへ。ここでシンガポールの水の作り方を知ることができた。
 最後は空港。いよいよ出国の時だ。22:00発の飛行機までの数時間。空港の中で最後のシンガを味わう。現場のスーパーに行ってお土産を買ったり、友達とご飯を食べたりした。あっという間に時間は過ぎた。

行きでぶちギレられた場所を通りかかり、ついさっきのことのように感じた。そしていよいよフライトの時間に。空港を横目に、飛行機が宙に浮いた瞬間、シンガポールが終わった。真夜中のフライトだったので私は気づかずに寝てしまっていた。起きると窓の外からは東京の夜景が見えた。そして日本に着いた。日本はとても寒く、久しぶりに長袖の服を着た。入国審査も何もかも日本語だ。荷物が流れてくる。そこで旅行会社の人が「はい!じゃー荷物受け取った人から解散ねー」と一言。荷物を受け取り空港の出口へ。周りには友達達がたくさんいる。真夜中のフライトだったので羽田に着いたのは早朝だった。このあとどうするかと友達と話したが、全員疲労もピークに。帰宅することにした。



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 羽田から京急線に乗った時、隣の友達と私以外、そこに学校の友達達はいなく、代わりにサラリーマンや学生達がスマホを片手に電車に揺られていた。窓の外には東京のビル。日本語の大きい看板。ここで私は日本に帰ってきたことを実感した。あぁ、もうシンガポールが二度と戻って来ないことがわかった。ものすごく悲しくなった。羽田空港にいる時はまだ旅行気分だった。だが電車のドアが閉まった時、私はシンガポールから一気に何でもない日常へと引き戻されてしまった。ドアにシンガポールと私を絆ぐ糸が切られてしまったかのようだった。確かに俺はあの時シンガポールにいたんだ。その事実は確かなんだ。しかしそれがまるで全て虚構で、長い夢を見ていたかのように感じた。羽田を出て電車に乗った瞬間にシンガポールと私との間に確実な境界ができた。時間的制約でもあり、現地の人々、ガイドやあの大学生、あの時の天気、あの時起こった出来事、その全てはもう二度と起きることはない。絶対に壊すことのできないその境界の外から、境界の中にあるシンガポールでのかけがえのない思い出を見つめている。見つめ続けている。境界があって絶対に中へは入れない。シンガポールのかけがえのない時間を失った喪失感とそれへの執着は止めれなかった。
家へ帰って仮眠をとった。私の帰国日は偶然、弟の海外研修の出発日と重なった。だからもう一度羽田に戻った。出発の日みんなで飛行機を見ていた展望台、出国手続きをしたカウンター、それを見ても私とシンガポールとの境界を壊すことはできなかった。私はそれを見て過去のそれと今を重ねて見ているだけに過ぎない。例えもう一度シンガポールに戻れたとしても同じ事だろう。その境界の外に、境界の中にあるそれに似た何かを作って、さも、それを手に入れたと自分を自分で騙すだけだ。絶対に壊せない、それがわかっているから壊したくなる。絶対に戻れない、それがわかっているからかけがえのないものになるのかもしれない。時間が経つにつれシンガポールでの記憶は薄れゆく。境界が曇っていって中身が見えにくくなる。やがて完全に見えなくなる。そしたら私達はその曇った境界のその奥の何かになぜ執着していたのかわからなくなるだろう。そうなれば逆に幸せなのかもしれない。喪失感も忘れられて執着もしなくなる。だけど絶対に忘れたくない。その境界の中に大切な思い出が詰まっているから。だから私は、私達は、写真を見返したりして、境界の曇りを晴らし、例えその中身が二度と自分に触れられなくても、せめて鮮明に見え続けるようにはしたいんだと思う。やがて境界を壊して、その中身にもう一度触れる事ができないことを受け入れ、喪失感も執着も、薄れていって、ただ境界の外から中身を見つめて、友達とそれを語り、それだけで満足できる日がやってくるだろう。それができて初めて、私はこのシンガポール研修を糧にしてまた生きていけるだと思う。

それがシンガの意味だ。



この研修旅行はとてもシンガだった。

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