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ブラックボックス・ラヴァーズ / 長編小説 -6-

▼前話(第5話)


 結奈の尾行を行った日から、およそ一週間後。ゴールデンウイーク明け。
 誰よりも早く瀬戸家に帰宅した亜麻は、ポケットの中で震えたスマートフォンを手に取った。
 画面を見ると、真子からのメッセージが表示されていた。

【真子:妹ちゃん、海浜公園に到着。また漫画を読むみたい】
【亜麻:ありがとう。もし動きがあったら連絡して】

 端的に返答し、スマホをポケットにしまう亜麻。
 それから二階へと上がり、――結奈の部屋の前までやってくる。
(誰もいないとは分かっていても、無断で入るのはやっぱり気が引けるわね……)
 わずかばかりの罪悪感が胸をつつく。
 しかし手段を選んでなどいられなかった。
(もし本当に瀬戸和真が、結奈のパソコンを利用してあたしの部屋を盗撮しているのだとしたら……勝手に部屋に入るくらいでためらっている場合ではないわ。多少の無茶は許されるはずよ)
 奮い立たせるように自分に言い聞かせ、亜麻は初めて触れるドアノブに手をかけた――。


 亜麻が考えていたプランBとは、強硬手段の類いだった。
「……つまり亜麻は、あの結奈って子が家にいない時を見計らって部屋に入って、勝手にパソコンの中を見ようってわけ?」
 真子からそう訊き返された亜麻は、「その通りよ」と頷き、
「結奈は放課後、本屋へ行って漫画を買い、岬の灯台まで行って読書をして帰る習慣があることが分かった。その日を狙えば、結奈に見つかることもなくパソコンの中を覗ける可能性が高いわ」
「そりゃ理屈はそうだけど。さすがに無断で部屋に入るのはどうなんよ」
「こっちは裸よりも恥ずかしい姿を見られているかもしれないのよ? そんな悠長なこと言っていられないわ!」
「いや、それだって亜麻の妄想……もとい、憶測でしかないわけだが」
 真子は短い溜め息を挟み、
「あの子がいない時間を見計らうのはいいとしても、ほかの家族はどうすんのさ。瀬戸とか、母親もいるんでしょ?」
「瀬戸家は一週間に一回程度、夕方に誰もいない日があるのよ。瀬戸和真は部活、奈々子は定期的にある特売の買いものでね。で、結奈はこの灯台に来る習慣がある。この三つが上手く揃う日を狙えば、誰にも怪しまれることなく結奈の部屋に侵入できるわ」
「そうそう上手くいくもんかね」
「いくわよ。いってみせるのよ。そのために真子の協力が必要というわけ」
「……まさかとは思うけど、その絶好の日が来るまであの結奈って子を見張ってろとか言うわけ?」
 その質問に、亜麻はにっこりと破顔する。
 真子の口から「はーっ」と長い溜め息が吐かれた。
「わざわざそんなことまでさぁ……張り込みをする刑事じゃないんだから」
「そんなに難しく考えることでもないわ。結奈の中学まで行って校門から出てきたところを尾行しろ、なんて言わないから」
「じゃあどうしろと?」
「簡単よ。放課後にさっきの本屋に行って、結奈が来店するか見張っていればいいのよ。で、もし漫画を買ったら、また灯台まで来る可能性が高いでしょう?」
「つまり、放課後は毎日、あの本屋に行って見張ってろと」
「そうよ」
「普通にめんどいじゃん……」
「ずっと待ってることもないわ。小一時間くらい本屋に寄り道して、結奈が来なかったら帰ってもいいから。それなら大丈夫でしょう?」
「いやなにが大丈夫になったのか分からんレベルなんだけど」
 真子は溜め息混じりに突っ込みつつも、首を横に振ることはなかった。
「……まあ、別に用事があるわけでもないし。本屋で立ち読みしてるついでってことなら、やれるかな」
「ええ、それでいいわ。だけどもし結奈を見つけたら、ちゃんとあの岬まで行くか見届けてほしいの」
「はいはい。最後まで付き合うって言っちゃったしね。もう亜麻の気が済むまで好きにしてくださいな」
「ありがとう真子……必ず、証拠を見つけ出してみせるから」
 そう誓って、真子の両手をぎゅっと握る亜麻。
 真子は「ちょっと、恥ずいって」と、はにかむように苦笑していた。


 ――結奈の部屋は、思ったよりも散らかっていた。
 汚いわけではなかったが、本棚に入り切らない漫画本が至るところに積まれているため、足の踏み場が少なかった。
(なんというか、ある意味で想像通りの部屋というか。本当に漫画が好きなのね)
 亜麻としては、それほど驚くこともなかった。ほとんど毎週のように漫画を買っているのであれば、部屋の中に漫画が溢れる方が自然だと思ったからだ。
(漫画本が積まれている以外は特に変わったところもないわね。まあ部活もしていないならこんなところでしょう)
 タワー状に積まれている本を崩さないよう、細心の注意を払いながら部屋の中を進んでいく亜麻。
 今回の目的はパソコンであるが、それは探すまでもなく学習机の上に置かれていた。
(結奈のはこのノートパソコンね……にしても子供っぽい机! 小学生が使っているやつみたいだわ)
 鼻で笑いつつ、亜麻はノートパソコンの蓋を開いて電源ボタンを押す。
 しばらく待っているとサインイン画面となり、【Yu17a】というアカウント名が表示された。
(変わったアカウント名ね。たぶん結奈と読むんでしょうけど……まあなんでもいいわ。あとはサインインをクリックすれば……ん?)
 ――ここで亜麻は、この計画における重大な見落としに気づいた。
(これは、ちょっと、計算外だわ)
 すぐさまスマホを取り出し、真子に電話をかける。
『亜麻? どしたの、妹ちゃんならまだ動く気配ないけど』
「緊急事態よ、真子」
『緊急事態? まさかまた、パソコンが見当たらんかったとか?』
「い、いえ。パソコンはあって、起動も上手くいったんだけど……」
『いったんだけど?』
 心配そうに訊き返す真子。
 亜麻はぎゅっと唇を噛んだのち、言った。
「サインインができないのよ――鍵がかかっているせいで●●●●●●●●●●●!」
『……は?』
 スピーカーから、真子の酷く訝しげな声が鳴った。
『鍵って、もしかしてパスワードのこと?』
「そう! だからパスワードが分からないとサインインできないのよ!」
『…………』
「な、なによ黙っちゃって……なんとか言ってちょうだいよ、一大事なのよ!」
『いや、呆れて声も出ないことって本当にあるんだなって、一周回って感動しちゃって』
 真子は皮肉っぽく答え、
『今になって言うのもあれなんだけどさ、パスワードがかかってるなんて当たり前じゃん。そういう可能性は全然考えてなかったの?』
「ええ、まあ……あたしは、自分のパソコンにパスワードなんてかけてないから」
『はあ? なんで?』
「別に、見られて困るようなものもないし……それに、もし忘れちゃったら開けなくなるんでしょう? だったらかけない方が安全だって思って」
『ええ? まさかとは思うけど、スマホも?』
「スマホって、ああ、最初に1を四回押すやつのこと? あれはパスコードと言うんじゃなかったかしら?」
『…………』
 スマホの向こう側で真子が沈黙する。
「ちょ、ちょっと。何度も黙らないでよ。なにか言いなさいよ」
『いや、亜麻がここまで情弱っていうか、セキュリティ意識が低い人間だとは思わなかったからさ』
 真子はわざと小馬鹿にしたように言って、
『とにかく、パスワードが分からないんじゃ今日の計画はおじゃんじゃん。私もう帰るからね』
「ま、待って真子! 今日を逃したらまた一週間後とかになるわよ? いいえ、場合によってはもっと先になるかもしれない。それでも諦めるって言うの?」
『いやいや、計画の抜本的な見直しが必要なレベルじゃん。ていうかパスワードの問題は当然クリアしてんのかと思ってたのに。そこがダメじゃお話にならんじゃん』
「そ、そうだけど……とにかく待ってちょうだい! なにか方策を考えるから!」
 慌てて答え、画面と睨めっこを始める亜麻。
 が、パスワードをこじ開ける技術など持ち合わせているわけはなく、今から考えて思い浮かぶものでもない。
 それでも、この絶好機を逃すわけにはいかなかった。
(考えるのよ亜麻! このパスワードを解く術を……結奈だって決してパソコンに詳しい子じゃないんだから、どこかに必ずつけ入る隙があるはず!)
 ――と、食い入るようにパソコンの画面を見つめていた時。
 亜麻はふと、あることに気がついた。
「ねえ真子、よく見たらこれ、パスワードじゃないわ」
『は?』
「パスワードじゃなくってね、PIN? というのを求められているみたい。これ、なんだか分かる?」
 そう訊ねてみると、真子は「ああね」と納得し、
『PINも似たようなもんだよ。パスワードを簡略化した感じのやつ』
「簡略?」
『パソコンのパスワードって、大抵長くて、英数字が入り混じってる感じじゃん? だから複雑になっちゃうけど、PINは普通、数字四桁とかで設定するから覚えやすいんよ』
「数字四桁……それならパスワードと違って、頑張ればこじ開けられるんじゃないかしら?」
『いやいやいや、それでも0000~9999まで一万通りはあるじゃん。絶対無理だって』
「言われてみればそうね。なら、四桁に設定しそうな数字を当てずっぽうに入れてみるしかないかしら」
『四桁ねえ……定番なのは誕生日だと思うけど、亜麻、妹ちゃんの誕生日とか把握してんの?』
「いいえ、知らないわ。祝われているところを見たことがないから、まだなのは確かだけれど……」
『まあ、たぶん誕生日も違うと思うけど。知ってる人なら誰でもサインインできちゃうわけだし』
「それもそうね。ほかになにか、結奈にまつわる数字……」
 と、画面を見つめ直したところで。
(数字……そういえば、これは……)
 亜麻はあることを思い出した。
 このサインイン画面を開いた時に覚えた違和感について。
 ――同時に、閃く。
「……ふ、ふふふ。そう、そういうことだったのね」
『亜麻? どしたの、急に笑い出して。遂に気でも狂ったん? 救急車呼ぶ系?』
「呼ばない系よ。ていうか遂にってなによ」
 亜麻は冷静に突っ込みつつ、
「今まさに、すべての謎が解けたのよ。それで思わず笑みがこぼれただけ」
『解けたって、え、四桁の数字が分かったん? 妹ちゃんの誕生日を思い出したとか?』
「いいえ、違うわ。恐らくこれは誕生日じゃない、でも結奈に関係のある四桁の数字よ。絶対に間違いない」
『どゆこと? 関係のあるって』
「実はね、パソコンを立ち上げてサインイン画面になった時、変だなと思ったことがあったのよ。――結奈が設定してる、アカウント名でね」
『アカウント名?』
「ええ。結奈って分かるようにはなってるんだけど、表記が独特なのよ。ただローマ字で【Yuina】じゃなくて、【Yu17●●a】って書いてあるわけ。変わってると思わない?」
 そこまで聞くと、真子も『なるほど』と相槌を打ち、
『そのアカウント名に含ませてある【17】って数字が、四桁の数字に使われてるんじゃないかって言いたいわけか』
「そうよ。四桁の数字と言えど、忘れてしまう可能性がゼロではないから。ヒントとしてアカウント名に入れたんじゃないかと思って」
『でも、それでもあと二桁足りんじゃん。亜麻は残りの数字まで分かったってわけ?』
 真子の疑問に、亜麻は「当然」と即答し、
「これくらいはごく簡単な推理よ。四桁の数字を名前の読みになぞらえて作っているのだとしたら、残り二桁についてもすぐに察しがついたわ」
『名前の読み……あっ』
 なにかに気づいたように声を上げる真子。
 亜麻は不敵に微笑み、
「真子も分かったみたいね……そう、結奈という名前から【17】を取っているとすれば、残り二桁は当然、瀬戸という苗字から●●●●●●●●●取られているはずなのよ。そしてその瀬戸の読みから取れる二桁の数字は……瀬戸の【と】、すなわち十で【10●●】!
 すなわちPINは、【1017●●●●】なのよ!」
 高らかに宣言し、導き出した四桁の数字を入力していく亜麻。
 果たして、――サインインは成功し、『ようこそ』の文言からデスクトップ画面へと移行した。
「やった、やったわ真子! パソコンが開いたわ!」
『嘘、マジ……?』
 にわかには信じがたいといった声を出す真子。
 亜麻は「ふふん、大マジよっ」と有頂天な具合に答え、
(さあ、本題はここからよ! 必ず瀬戸和真の悪行に繋がる証拠を見つけ出してやるんだから……!)
 そう意気込んで、ご機嫌なマウス捌きでパソコンの中を調べ始めた――。


 結論から言うと、証拠らしきものはなに一つ見つけられなかった。
(おかしい……一体どういうことなの?)
 亜麻は困惑していた。もう三十分は探しているが、それらしい痕跡は一向に見当たらない。
(遠隔操作している証拠を探すのは難しいとしても、せめて盗撮の録画データなんかをどこかに隠していると思ったんだけど……)
 録画データどころか、動画ファイルすら一つも見当たらない。
 事前にネットで調べて身に着けておいた、隠しフォルダを表示する設定も駆使してみたがダメ。
 それが現状だった。
(大体なんなのよこのパソコンは! 全然データが入ってないじゃないのよ! これ、結奈は本当に使っているのかしら……?)
 そんなことを疑ってしまうほどに、パソコン上にはほとんどデータが見当たらない。
 ピクチャフォルダにいつ撮ったか分からない家族写真などはあったものの、それらは亜麻が欲しているものではない。恐らく瀬戸和真の父親がこのパソコンを使っていた時に残したものだろう。
 写真に写っているのは四人。今より少しだけ若々しい奈々子、幼い姿の和真と結奈、そして見覚えのない男性……亜麻は会ったことがないが、きっとこれが瀬戸和真の父親だろう。
 和真は、今では考えられない満面の笑みでピースサインしていて、その後ろに半身を隠した結奈は気恥ずかしそうに俯いている。二人とも面影はあるものの、現在とはかなり違った雰囲気が感じられる写真だった。
(へえ、瀬戸和真って子供の時はこんな感じだったのね。今と違って活発そうな感じだったんじゃない。逆に結奈は、今と変わらず人見知りっぽそうな感じかしら……って、興味深く見ている場合じゃないわ!)
 そうこうしているうちにも時間は刻々と過ぎていく。
 もはや今日中になんらかの証拠を見つけ出すのは至難に思われた。
(よくよく考えたら、盗撮したデータなんて危ない代物、結奈のパソコン上には残さないかしら……なにか別の場所に保管しているということも)
 結奈がグルになって盗撮を容認しているのであれば、データが残されている可能性もあったかもしれない。
 が、今のところ見当たらないということは、結奈はあくまでパソコンを利用されているだけの、間接的な共犯者でしかない、――亜麻はひとまずそう結論づけた。
(だけど、瀬戸和真はパソコンを持っていない。別の場所に保管すると言っても、パソコンのデータを一体どこに隠せるというのかしら……)
 などと不思議に思っていた時、真子から電話がかかってきた。
『亜麻? どう? 妹ちゃん、そろそろ帰るみたいだけど』
「そ、そう」
 覇気のない声になってしまう亜麻。
 ここまで協力させてしまった手前、なんの証拠も見つけられなかったとは言い出せなかった。
「ありがとう真子。今日のところはもういいわ。こっちも切り上げるから」
『なんか収穫あったん? 瀬戸が亜麻のこと盗撮してた証拠とか』
「成果についてはまた学校で話すわ。今は早く後処理をしなきゃだから。じゃあまた明日」
 そそくさと言って、亜麻は電話を切った。
(これだけ調べてなにも出てこなかったなんて、言い訳の仕様もないわ……なにか、なにかないのかしら、確固たるものでなくても、ちょっと怪しいだけのものでも!)
 などと念じたところで、パソコンから怪しいデータが湧いて出てくるわけではない。
 歯がゆさに顔をしかめる亜麻は、なにを血迷ったかパソコンの画面ではなく、学習机の上に目を走らせ始める。
 当然怪しいものなどなく、今度は机の引き出しをそれぞれ開き、縋る思いで証拠に繋がるなにかを探り出そうとした。
 そうして、右袖二段目の引き出しを開けた時――、
(……ん? これって……)
 亜麻の目に気になるものが映った。
 二段目の引き出しにはいくつかの学習ノートと共に、一つの黒いフラッシュドライブが収納されていたのだ。
(これ、確かUSBって言ったかしら……パソコンのデータを保存できるものよね)
 パソコンに明るくない亜麻でも、USBが記憶装置であることは情報の授業を通して知っていた。パソコンのUSBポートに挿せば使えることも。
(これを使えば、パソコン以外の場所にもデータを残せるわね。なるほど、盲点だったわ)
 思わぬ棚ぼたにほくそ笑む亜麻。
 おもむろにUSBを手に取り、ノートパソコンの側面にあるポートに挿してみる。
 すぐにフォルダ画面が立ち上がったが、やはり動画ファイルは見当たらなかった。
 その代わりに入っていたのは、――奇妙なファイル名の文書データが、一つだけ。

 Black_Box.docx

(ブラックボックス……? ワードのファイルみたいだけど、なんでこれ一つだけしか入っていないのかしら)
 そう訝しみながら、亜麻はそのファイルをクリックし、開いた。


▼次話(第7話)


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