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ブラックボックス・ラヴァーズ / 長編小説 -7-

▼前話(第6話)


 翌日。朝のホームルーム前の時間。
「それで、昨日の成果とやらはどうだったの? なんか見つけられたん?」
 登校してきた真子が早速と言わんばかりに訊ねてくる。少々からかうような調子で。
 対して亜麻は、得意げに「ええ」と答え、
「真子にあれだけ協力してもらったもの。なにも見つけられなかったわけないでしょう?」
「え、まさか本当に盗撮したデータがあったとか?」
「残念ながらそれは発見できなかったけど、これを見つけたのよ」
 亜麻はスクールバッグの中を漁り、件の成果物を机上に置く。
 真子は小さく首を捻り、
「USB? この中になにか入ってたとか?」
「さすがは真子、察しがいいわね……このUSBには、どう考えても普通じゃない怪しげなワードのファイルが入っていたのよ」
「ワード? 文書データってこと? まさか盗撮を自供する内容でも綴ってあったとか?」
「いいえ、正直言って中身自体は、あたしには読み解けないものだったの。でもね、そのファイルにはおかしな点がいくつかあるのよ」
 亜麻は神妙な顔つきで、人差し指を一本立て、
「まず一つが、そのファイルがあった場所。パソコン上じゃなくて、このUSBの中に入っていたの。しかもそのファイルが一つだけ。ちょっと変だと思うでしょう?」
「まあ、変と言えば変かな……それだけじゃなんとも言えんけど」
「そうね。あたしもここまでだったら変だとは思っても、怪しむほどではなかったわ。でも、次におかしな点がね……なんとこのファイル、鍵がかけられていたのよ」
「鍵? またパスワードってこと?」
「そう。つまり誰でもは開けられないファイルにされていたってわけ。これだけでもなんだか怪しいって思うには充分でしょう?」
「うーん、まあ。気になりはするかな。わざわざワードのファイルに鍵までかけてるってのは……って、それじゃあ亜麻、ファイルの中身なんて見られなかったんじゃ?」
「いいえ。パスワードは解くことができたの。もちろんその場では時間がなかったから、ひとまずそのUSBだけ持ち出して、夜に自分のパソコンの方でなんとかアンロックさせたんだけど」
「アンロックって、ワードファイルにかかってたパスワードを? どうやったわけ?」
「ネットで調べたら、載ってたのよ。ワードファイルにかかっているパスワードを解除する方法って。悪用するためじゃなく、自分でかけたパスワードを忘れてしまった人のために紹介されていた情報を活用したの。原理はチンプンカンプンだったけど、サイトに書かれている通りにやったら本当に解除できたわ」
「へえ……なんだかよく分からないままそんなハッキング紛いのことができるとか。さすが無駄に要領いいじゃん」
「無駄には余計よ。これでもかなり苦労したんだから……まあとにかく、ファイルは無事開けて、中身は拝めたんだけど。その内容が最大のミステリーだったのよ」
「ミステリーって、暗号とか?」
「ある意味そうかも。でもちょっと不気味なの。これを見て」
 亜麻はスマホを取り出し、一枚の画像を真子に見せる。
 それは件のワードファイルを表示させたパソコンの画面を、スマホのカメラで直撮りしたものだった。

 万波まんば理沙りさ ◎
 黒羽根くろばね裕美ゆみ 〇
 井納いのう 〇
 安達あだち真奈まな ◎
 曾澤あいざわ彩香あやか △
 甲斐野かいのりん △
 上茶谷かみちゃたに小春こはる 〇
 下水流しもずる夏海なつみ △
 森福もりふく麻耶まや △
 岩嵜いわさき陽葵ひまり 〇
 藤堂亜麻 ◎

「これだけ?」
「ええ、この一ページだけよ。十一人分の名前が羅列されていて、それぞれ横に記号が添えられているだけ。ほかにはなんの文言もなかったわ」
「ファイルの名前は?」
「英語で、――ブラックボックス、よ」
「ブラック、ボックス……中身が見えない箱、か」
「見えない? どういうこと?」
「外見はどんなものか見れば分かるけど、その内部がどうなっているのか見えないようになっているものをブラックボックスって呼ぶことがあるんだよ。元は確か、IT用語だったと思うけど……」
「IT用語……そう聞くとますます怪しいわね」
「まあ、そういう意味でつけられたファイル名なのかは、この文書の内容を見ただけじゃ全然分からないけどね」
「確かにそうね。今の段階だとはっきりしたことはまったく分からないわ。ここに書かれてある名前もあたしの名前以外は一人も知らない……ただ、文書の内容から最低限読み解ける情報と、このデータにパスワードがかけられていたという事実から、あたしが導き出した一つの仮説があるの」
「仮説?」
「ええ。注目すべきなのは、書かれている名前が恐らくすべて女性のものであること。加えて名前に併記されている記号が、なんらかの評価を表すものであること。◎はとてもよい、〇はよい、△はいまいち、みたいな三段階評価ね。それが名前の横にそれぞれあることから……恐らくこの文書は、誰かがここに名前を書かれている女性のことを評価したもの、と推測できるわ」
「誰かって、瀬戸がってこと?」
「恐らくね。わざわざパスワードまでかけているわけだし……それで一体なんの評価なのかってことだけど、あたしに◎がついていることからして、間違いなく女性として魅力的かどうかってところでしょう。理由はあたしが」
「学校一の美少女だから、でしょ?」
「さすがは真子、ご明察ね。ただその場合、あたしと同格の女性が二人もいることが腑に落ちないけど、そこは三段階評価みたいだし大目に見るべきかしらね。それに、三重丸の記号はパソコンじゃ打てないみたいだし」
「で? この十一人が女性として魅力的かどうかの評価を記録して、瀬戸は一体なにがしたいって言うわけ?」
「記録を残すことの理由については、あたしもまだ推測できていないわ。あたしの仮説はあくまで、この女性たちが瀬戸にとってなんなのか、ということよ」
「つまり全員、瀬戸と関係がある人たちってこと?」
「そうね、表面的な関係性はどういうものか分からないけど……恐らくここに書かれている女性たちは全員、瀬戸和真の盗撮被害にあった人たちなのよ。つまりこの評価は、瀬戸和真が盗撮した彼女たちのお気に入り度●●●●●●を表したものってことよ!」
 きっぱりと、自らの仮説を言い切った亜麻。
 対して真子は、
「……………………」
 神妙な面持ちで黙り込み、スマホの画面を見つめているだけ。
 これには亜麻も拍子抜けし、
「真子? どうしたのよ、黙りこくっちゃって。普段の真子ならなにか不服そうにして、あたしの推理にケチをつけようとするのに」
「え? ああ、ケチをつけたいのは山々というか、そんなわけないじゃんって言いたいところなんだけどさ……ただちょっと、亜麻の話をかなぐり捨てられない部分もあって」
「なんですって? 真子もなにか気になるところがあるの?」
「気になるっていうかさ……知ってる名前があるんよ、この中に」
「あたしの名前以外にってこと?」
「うん。この、安達って子なんだけど」
「安達……ああ、安達真奈ね。あたしと同じ◎の。もしかして真子の知り合い?」
「知り合いってほどじゃないけど、中学が同じだったから名前は知っててさ。喋ったことはほとんどないんだけど」
「え、ちょっと待って。真子と同じ中学だったって、それじゃあこの安達って子……瀬戸和真とも同じ中学ってことよね?」
「うん、そうなる。で、ちょっとうろ覚えなんだけど、確かこの子……」
 記憶をたどるような間があったのち、真子は言った。
「――バスケ部●●●●、だったと思う。瀬戸とおんなじで……」


 話し合った末、二人は女子バスケ部の誰かに話を聞きに行くことにした。
「女バスなら同中の子が多いから、その中の誰かに聞けば安達のことは分かると思う」
「じゃあ放課後に体育館へ行くわ。休憩中に行けば邪魔にもならないでしょう」
「放課後? 昼休みとかに聞きに行けばいいじゃん」
「いいえ、できれば部活中、人が多い方がいいの。その方が色々な情報が手に入るかもしれないでしょう?」
「情報ねえ……本当に、それだけが理由?」
「なによ。なにを疑うことがあるって言うのよ」
「別に。私はどっちでもいいけどさ」
 真子はやや腑に落ちない様子だったが、それ以上はなにも言及してこなかった。
 ――日が暮れて、放課後。
 亜麻は真子と共に、学校の第二体育館を訪れていた。
 第一体育館よりも新しいその体育館は放課後、バスケ部専用の練習場となっている。
 第二体育館内にはバスケットコートが二面あり、入口から向かって手前側のコートを女子バスケ部、奥のコートを男子バスケ部が使用している。窓などは極力開けられ風通しはよくされていたが、それでも部活動生の熱気で館内は蒸し暑く、ただいるだけでも汗が噴き出しそうなほどだった。
 と、二人が入口からコートに足を踏み入れた時、
「あれ、霧崎じゃん。……と、そっちは、藤堂さん?」
 壁際で休んでいた部員が声をかけてくる。スタイルのいい亜麻よりも背が高く、いかにもバスケット部員らしい体格をした女子だった。
 真子が「やあ、あや」と応答したことで、亜麻はその女子の名前が『彩』なのだと読み取った。
「練習中にごめん。今、ちょっといい?」
「八分五十二秒の間に終わるならいいよ」
 コートの隅にあるデジタルタイマーを見ながら、おどけるように言う彩。
 真子は「充分充分」と答え、
「安達って覚えてる? 安達真奈」
「真奈? そりゃ覚えてるよ。同じバスケ部だったし」
「あ、やっぱそうだったよね。その安達なんだけど、今どこにいるか分かったりする?」
「進学先ってこと? 真奈は隣町の女子高だけど。なんでそんなこと知りたいの?」
「まあ、ちょっと込み入った事情があってさ……」
 ちらりと亜麻を見る真子。つられてか彩も視線を向ける。
 亜麻は「初めまして」と、遅ればせながらも一応挨拶をして、
「藤堂亜麻と言います。真子とはクラスメイトで」
「あ、はい、知ってます。すっごい美人で有名だから……」
 彩は少しだけ、緊張した声で答えた。
 亜麻は満更でもない笑みを浮かべて、
「そういえば、同級生なんだから。敬語じゃなくてもいいわよね」
「あ、そだね……でもなんか、緊張しちゃうな。目の前で見るとほんと、めちゃくちゃ可愛いから」
「ありがとう。あなたは、彩さんでいいのよね?」
「あ、うん。斎藤さいとう彩」
「そう。彩さんも背が高くて綺麗なスタイルよ。羨ましいわ」
 白々しいほどのお世辞だったが、彩は「や、いやいや」とはにかむように手を振っていた。
「安達真奈さんに会いたいのは私なの。真子が、女子バスケ部の誰かに訊けば分かるだろうって言うから、ちょっとお話を聞きに」
「あ、そうなんだ。でも、なんで藤堂さんが真奈に?」
「どうしても、直接会って訊きたいことがあるの。彩さんから連絡を取れないかしら? 日時や場所はあちらの都合に合わせられるから」
「連絡を取るのは全然いいけど……うちが頼んでも、会ってくれるかは分かんないよ?」
「そうだったら別の方法を考えるわ。とりあえずは彩さんから、頼むだけ頼んでほしいの」
「まあ、藤堂さんがそこまで言うんだったら」
 と、彩が了承しかけていた時。
「――こっち、パスだ!」
 奥のコートから、聞き覚えのある声が勢いよく飛んでくる。
 ハッと亜麻が振り向くと、――ちょうど、瀬戸和真がプレイしている瞬間が目に入った。
 和真は味方からパスをもらい、小気味のいいドリブルからの華麗なスピンムーブで敵をかわす。
 ゴールに接近したところで背丈の高い選手が阻みにきたが、和真はボールを抱えると同時に大きくバックステップして距離を取り、フェイドアウェイ気味のジャンプシュートを放った。
 和真の手元から放れたボールは高い孤を描き、遅れて飛んできた敵のブロックなど意にも介すことなくリングのクリアランスを射抜く。同時にスパッと、ボールがネットを貫く音が鋭く響いた。
「……亜麻、ねえ、亜麻!」
 ――真子の声で、亜麻はようやく我に返り、
「え、え? なに?」
 と、慌てて応答する。
 真子は呆れたように溜め息をついていた。
「なに、じゃないよ。急に男バスの方を向いたと思ったら、呆けちゃってさ」
「い、いえ、別に呆けては……」
 そう誤魔化しながら、亜麻も本当は自覚していた。
 ――先ほどの一瞬、自分が瀬戸和真のプレイに目を奪われていたことに。
「まあ、瀬戸はめちゃくちゃ上手いしね。しかもイケメンだし、見とれちゃうのも分かるかなぁ」
 フォローするように彩が言う。
 見とれてなんかいない。そう否定しようとした亜麻だったが、それよりも早く彩が「そういえば」と口を開き、
「真奈のことだけど、もしかしたら瀬戸に頼んでもらった方が会えるかもしんないね」
「え……?」
 彩は冗談を言うような口ぶりだったが、亜麻には捨て置けない台詞だった。
「瀬戸君に? どうして?」
「あれ? 霧崎から教えてもらってないんだ、藤堂さん」
 不思議そうに、彩は言った。
「瀬戸は中学時代、真奈と付き合ってた●●●●●●ことがあるんだよ。そんなに長い期間じゃなかったけど」


 第二体育館をあとにして、駐輪場まで来た時。
「ねえ、真子。どうして瀬戸和真と安達真奈が付き合っていたこと、あたしに隠していたの?」
 と、亜麻は問いただした。
「別に隠してたわけじゃない。忘れてただけ」
 真子はやや、うんざりしたように答える。
 その態度がまた亜麻の感情を逆撫でた。
「本当に? あたしの推理を妨害するために、言わないようにしていたんじゃないの?」
「妨害? なんで私がそんなこと。理由がないじゃん」
「だって真子、あたしが仮説を話したりしても、否定ばっかりするじゃない……」
「だからなんだって言うのさ。ていうか妨害するつもりなら、ここまで亜麻に協力することなんてしないでしょ。人聞きの悪いこと言わないで」
 真子は語気を強めて言ったのち、気を落ち着かせるように一息ついて、
「瀬戸と安達が付き合ってたことは、ほんとに忘れてたんだよ。彩に言われて私も思い出したくらい」
「どうしてそんな大切なこと、今まで忘れていたって言うのよ?」
「しょうがないじゃん。私は別に、瀬戸や安達と仲いいわけじゃないし、正直どうでもいいことだもん。大体あの二人が付き合ってたのって、確か中三の秋頃で、それもたったの数ヶ月くらいだったと思うし」
「なによ、そんなことまで覚えているんじゃない……それで、安達真奈ってどんな女なのよ。あたしよりも可愛いの? 綺麗なの? スタイルいいの? 瀬戸和真とどれくらい仲がよかったの? なんでたったの数ヶ月で別れたって言うの?」
「ちょっと、なにむきになってんのさ。落ち着きなって。そんないっぺんに訊かれたって私にも答えられないし」
「だ、だって……気になるんだから、仕方ないじゃない」
 途端にしおらしくなる亜麻。
 めずらしい感情を晒した親友を見て、真子は「もしかして」と呟き、
「亜麻、安達にやきもち焼いてんじゃないの?」
「や、やきもちですって?」
「そうだよ。瀬戸が安達と付き合ってたって聞いて、安達に嫉妬しちゃったんじゃないの? だからそんなに怒ったり、必要以上に気になったりしてるんじゃないの?」
「どうしてあたしが、嫉妬なんて……まるで根拠がないことだわ。突拍子のないこと言わないでちょうだい」
「なに言ってんのさ亜麻。嫉妬してしまう根拠なんて一つしかないじゃん、――亜麻が瀬戸に、惹かれているからだよ」
「なっ……!」
 焦ったようにたじろぐ亜麻。
 真子は冷静に続ける。
「さっきだって、瀬戸が凄いプレイしてるのに見とれてぼけっとしてたし……わざわざ部活やってる時に聞き込みに来たのだって、本当は瀬戸が部活してるとこを見てみたかったからじゃないの? 情報がいっぱい得られるからなんて誤魔化してさ。その証拠に亜麻、彩以外には話を聞こうとしてなかったし」
「そ、それは、彩だけで充分な情報が得られたと思ったからで。それに時間も限られていたから。決して、瀬戸和真がバスケをしているところが見たかったからなんて、そんな理由があったわけじゃ……」
 整然と答えるはずが、どこかしどろもどろな調子になる亜麻。
 どうして自分がこんなにもうろたえているのか、亜麻自身もよく分かっていなかった。
(でも、さっきのあたしは確かに変だったわ……必要以上に真子に当たったりして。それに、体育館から戻ってきてから、ずっと全身が火照ったままみたいな)
 熱っぽい体。
 まとまらない思考。
 頭の芯にまで響く強い拍動。
 そのどれもが、亜麻にとってはおかしなもので、けれど不快とも言い切れなかった。
 ふと気を許すと、脳裏には先ほどの光景、――瀬戸和真が見せた一連の流麗なプレイが蘇って、亜麻の熱をより確かなものにさせる。耳たぶの先まで熱くなって、夕方の風がよりひんやりとしたものに感じられるほどだった。
 亜麻は間違いなく自身の異変に気づいていた、――が、だからと言って認めるわけにはいかなかった。
 自分が瀬戸和真に惹かれているなど。
 安達真奈などという、顔も知らない女子に嫉妬しているなど。
(そうよ、絶対にそんなわけないんだから。体が熱っぽいのだって、体育館の中にいたせいなんだから。瀬戸和真のプレイを思い出してしまうのだって、あたしの長所であるところの観察眼と記憶力が機能し過ぎているだけなんだから。別になんでもないわ、なんでもない……)
 そう、心の中で自分に言い聞かせ、
「とにかくね、真子。あたしの目的はただ一つ、――瀬戸和真があたしに惚れている証拠を突き止める、それだけなのよ。その過程で盗撮をしているかもしれないと推理して、事実かどうかを確かめるための一環として安達真奈と接触するの。ただそれだけのことよ。他意はないわ」
 きっぱりと言って、自分の自転車を押して歩き始める亜麻。
 真子はしばらく黙っていたが、ほどなくすると隣まで並んできて、
「それを聞いて、安心した」
 どこか安堵したように、答えるのだった……。


 数日後。
 彩から連絡があり、安達真奈も亜麻たちに会ってもいいとのことだった。
 指定された日時は土曜日の午後一時半で、場所は安達真奈が通う女子校のすぐ近くにあるファミリーレストランだった。
「お願いしたあたしが言うのもなんなんだけど、安達真奈もよくOKしてくれたわよね。普通知らない女子二人が理由は明かせないけど会いたがっている、なんて言われて素直に会おうとするなんて。なんだか不思議な気がするわ」
「彩が上手く話をつけてくれたんだと思う。まあ私は同中だったわけだし、全然知らないってわけじゃないだろうから。安達も逆に、なんで自分に会いたいのか気になったとかじゃないの?」
「まあ会えるのならなんでもいいわ。この機会をフイにしてしまったらあの文書の謎を解く手がかりも無くなってしまうわけだし、必ずなにか掴んで帰らないと」
「ねえ亜麻、本当に文書について訊ねるだけなんだよね? 変な真似、起こさないよね?」
「なに、また嫉妬がどうとかって話? 真子もしつこいわね。安達真奈にはあの文書について心当たりがあるかどうか訊くだけよ。大体変な真似って、あたしがなにをしでかすことを心配しているのよ?」
「それはまあ、修羅場というか、キャットファイト的な?」
「一周回って面白い冗談ね。だけどそんなことは絶対にありえないから。そもそもあたしは瀬戸和真のことなんてなんとも思っていないし、その元カノだったとかいう安達真奈に嫉妬なんて、するはずがないんだから」
 隣町のファミレスまで赴いた二人は、先に入店して安達真奈が来るのを待っていた。
 予定時刻を十分ほど過ぎた頃、店内にジャージ姿の女子が一人で入ってくる。真子が「あ」と気づき、小さく手を振ってその女子をテーブルへと招いた。
「ごめん、霧崎さん。ちょっと遅れちゃって……そっちが藤堂さんね。初めまして。安達です」
 手短に挨拶を済ませ、テーブルに着く安達真奈。
 亜麻も「初めまして」と応答しつつ、活発そうな雰囲気を持つ安達をジッと見定める。
(この子が安達真奈……瀬戸和真の、元カノ。バスケ部だって聞いていたから、彩みたいに背が高くてスタイルのいい女の子かと思ったけど……拍子抜けね。なんだかまだ中学生みたいだわ。本当にこんな子が瀬戸和真の元カノで、あたしと同じ◎の女なのかしら)
 容姿の節々にあどけなさを漂わせている安達を見て、疑いを募らせる亜麻。
 そんなことを疑問視されているなど露ほども思っていないであろう安達は、いかにも社交的な笑みを二人に向け、
「それにしても驚いたなぁ、彩から連絡もらった時には。霧崎さんが会いたいらしいって聞いて、ちょっと失礼な話、誰だっけってなっちゃった」
 と、おどけたように話す。
 これには真子も「仕方ないよ」と苦笑し、
「お互い、そんな話したことなかったから……でも、本当に会いたいのは私じゃなくって、こっちの亜麻なの」
「うん、そう聞いてる。これもびっくりしちゃった。まさかこんなに可愛らしい人が私に会いたいなんて」
「あら、嬉しいこと言ってくれるんですね」
 亜麻は努めて慎ましく微笑み、
「急に呼び出したりしてごめんなさい。どうしても安達さんに直接会って、訊かなければならないことがあって」
「あ、その前にさ、ご飯食べちゃってもいいかな? 実は部活終わって直行してきたから、お昼まだなの」
「ええ、構いませんよ。こちらのお願いで来てもらったわけですし。お代は私が持ちますので、好きなものを好きなだけどうぞ」
「マジ? 藤堂さん太っ腹だね。そういうことならお言葉に甘えてっと」
 いそいそとメニュー表を取り出し、爛々とした眼差しで眺め始める安達。
(なんだか本当に子供みたいな子ね。瀬戸和真はこういう子が好みだったのかしら)
 ふと、そんなことを考える亜麻。
 が、すぐにぶんぶんとかぶりを振り、
(って、なんでいちいちあの男のことが頭をよぎるのよ! 元カノを相手にしているからと言って、今は瀬戸和真のことなんて考える必要はないわ!)
 邪念を振り払うように、気を取り直していた。


 安達真奈は小柄な見た目とは裏腹に大食らいだった。
 ハンバーグ定食に大盛りポテトフライ、追加で注文したミックスピザまで食べ、デザートにはチョコレートパフェも平らげていた。食事中はほとんど喋ることもなく、無我夢中という言葉が似合う勢いで料理を食べ尽くしていった。
 好きなものを好きなだけ、と言った亜麻も安達の食べっぷりには驚かされ、
(どんだけ食べるのよこの子……瀬戸和真もそうだけれど、部活動生ってこんなに食べなきゃいけないものなのかしら。ていうかこれだけ平らげてその体型って、食べたものは一体どこに消えているのよ……)
 と、軽くドン引きするほどだった。
 ――そうして、食事後。
「ふう、食べた食べた。ごちそうさまです」
 律儀に両手を合わせると、安達は溌剌とした目を亜麻に向け、
「いやぁ、ごめんね。部活終わったばかりでお腹空いてて。奢ってもらえると思ったらついたくさん食べちゃった」
「い、いえ、いいんですよ。それだけ豪快に食べていただけると、奢り甲斐があります」
「そう? やっぱり藤堂さんは太っ腹なんだね。彩から話を聞いた時はちょっと不安だったけど、奢ってもらえただけでも今日は来てみて正解だったよ。お母さんたちと来たりすると女の子なんだからもうちょっと控えなさい、なんて小うるさいこと言われてこんなに食べられること滅多にないからさ」
「そう。とにかく、お腹いっぱいになったのならよかったです。……それで安達さん、そろそろ本題に移りたいんですけど」
 やや強引ではあったが、亜麻は話頭を転じるよう試みる。
「あ、そうだったね。ごめんごめん、私に話があるんだったっけ。食べるのに夢中で忘れてたよ。……で、なんの話?」
「ええ、実は今、とある事件について調べているんです」
「へ? 事件?」
「はい。と言っても警察沙汰になるような大事じゃなくて、身近で起こったちょっとした問題を解決しようとしている、くらいに思っていただければ結構です」
「あ、そうなんだ。びっくりしたー。なんか一瞬ドキっとしちゃった」
 安堵したように言う安達。
 真子はやや訝しげな眼差しだったが、まもなく亜麻の思惑に気づいたのか、なにも言うことなく安達に視線を戻していた。
 もしも瀬戸和真が本当に悪事を働いていたのだとすれば、警察沙汰になってもおかしくない事案である――が、亜麻があえて軽い問題かのように言ってみせたのは、安達を過度に緊張させないためだった。
「安達さんが不安に思うことはありません。ちょっと、見てもらいたい文書があるだけですので」
「文書?」
「はい。その事件に関与しているかもしれない子が持っていた文書データなんですけど、そこには十一人の女性と思しき名前が書き込まれていて、私や安達さんの名前があったんです」
「私の名前? 藤堂さんも? なんで?」
「分かりません。私は自分以外の名前は知らなくて……だけど安達さんならもしかして、ほかの子の名前を見てピンと来ることがあるかもしれないと思ったの。とりあえずその文書を見てもらえますか」
 亜麻がスマホを取り出し、例の直撮り画像を見せる。
「ほんとだ、私の名前がある……あ、最後に藤堂さんの名前もあるね」
 安達は興味深そうに呟くも、なにかに気づいた気配はない。
 この時点で亜麻と真子は顔を見合わせていた。安達からも有意義な情報は得られそうにない……そう確信してしまったからだ。
「この、名前の横にある記号はなに? 私や藤堂さんは◎だけど」
「それは私たちにも分からないの。安達さんはなにか、思うところはない?」
「うーん、ちょっと分かんない。ほかの名前も、見たことがあるようなないような?」
「そう……」
 その台詞に、亜麻は思わず溜め息をこぼした。
(嘘をついているようには見えないし、本当に分からないみたいね……弱ったわ。彼女がダメとなると、もうほかに手がかりもない)
 亜麻の気落ちした様子は安達にも伝わってしまったらしく、
「ごめんね。力になれそうもなくて」
「そんなことはないです。話を聞いてもらえただけでも」
「その事件について、もっと詳しく教えてもらえたら、なにか分かることがあるかもしれないけどさ……そういうわけにはいかないの?」
「それは……」
 押し黙り、視線を逸らす亜麻。
 ちらりと真子を見てみたが、彼女もこれ以上聞き出せることはないだろうと諦めている様子だった。
(仕方がないわ……せめて文書の出所くらいは明かして、それでこの子がなにか気づきそうなら、盗撮のことも話してみようかしら)
 密かにそう決断した亜麻は、再び安達と目を合わせ、
「じゃあ、改めて聞いてもらいたいことがあるんですけど、いいですか?」
「ん、なに?」
「この文書なんですが、実は瀬戸結奈ちゃんという中学生の部屋から出てきたものなんです」
「……瀬戸?」
 安達の天真爛漫な顔つきが、変わった。
「やっぱり、知っていますよね? 結奈ちゃんというのは瀬戸和真君の妹さんで」
「私帰ります」
 安達は席を立った。
 バッグを肩にかけ、足早にテーブルから離れようとする。
 亜麻は反射的に立ち上がり、
「ちょっと待ってください。急にどうしたんですか?」
 パッと安達の腕を掴む。
 引き留めようと出した手は、――「やめて!」と、即座に振り払われ、
「私に、関わらないで!」
「そんな、急に……」
「もう、たくさんなのっ……思い出させないで!」
 安達は体を震わせていた。
 両目には涙を溜めていて、そこにはないなにかを怖がっているようだった。
 怖がっている? ――一体、なにに対して。
(まさか、瀬戸和真に……?)
 そうとしか考えられない。
 が、なぜ?
 先ほどまで子供のような表情を見せていた安達が、今では化けものでも思い出しているかのような目で怯えている。
 明らかに尋常ではない変貌の理由を、亜麻は突き止めなければならないと思った。
「ねえ安達さん、一旦落ち着きましょう。私でよければ話を聞きますから、だからもう一度席に座って。それにできれば、瀬戸君についても訊きたいことがあって……」
 再び安達の手を取る亜麻。これ以上逆撫でぬよう優しい手つきを心がける。
 しかしそんな配慮も虚しく、
「ひっ……!」
 またもや即座に振り払い、怖気立つ安達。
 そのまま取りつく島もなく、出入り口へと駆けていった。
「あの、お客様。どうかされましたか?」
 一部始終を見ていたのか、まもなく女性の店員が心配そうに訊ねてくる。
 亜麻は「いえ、なんでも……」と答え、ファミレスから去っていく安達の小さな背を、呆然と見つめていた。


 帰り道。
 駅へと歩く二人の足取りは重かった。
「まさか、あそこまで拒絶されるなんてね……思いもよらなかったわ」
 沈黙の中、亜麻から話を切り出す。声には明らかな落胆が滲んでいた。
 真子も重々しい溜め息をついたのち、
「それで、これからどうすんの?」
「どうするって……」
「頼みの綱だった安達も分かんないって言ってたし、あの文書を解く手がかりはなくなったわけじゃん。もう八方塞がりなんじゃないの?」
「で、でも、収穫はあったでしょう? 安達真奈は瀬戸和真の名前を聞いた途端、態度を豹変させた。それも尋常じゃないほど嫌悪している感じだったわ」
「だから? それがなんの収穫になったわけ?」
「それは、ほら、瀬戸和真の悪徳な本性を暴くための間接証拠になりえるというか」
「それ、本気で言ってるわけ?」
 どこか突き放すように、真子は問いただす。
「確かに瀬戸の名前を聞いてからの安達はおかしかった。でも、そんなの単に元カノの名前出されて気まずかったからかもしれんじゃん」
「それは、そうだけど……でも、あの怯えようは」
「ねえ亜麻、亜麻にとっての本当の収穫は、証拠がどうとかってわけじゃないんじゃない? 本当はほかにあるんじゃないの?」
「ど、どういう意味よ」
「亜麻、ホッとしてるんじゃないの? ――安達が、もう瀬戸とはなんともない、寄りの戻しようがないほど終わった関係なんだって確かめられて」
「なんでそうなるのよ? 安達真奈と瀬戸和真の関係なんて、あたしは別に……」
 きっぱりと否定しようとした亜麻だったが、その声はどうしてか尻すぼみとなる。
 それは真子の指摘が、わずかとは言え当たっているからでもあった。
(確かにあたし、少しだけホッとしていた気がするわ。安達真奈が瀬戸和真を嫌悪しているのを見て。だけどそれは、あくまで瀬戸和真の本性を暴くために有益な情報が得られたかもって思ったからであって、それ以外の意味なんて……)
「分かるよ、亜麻。どうせ亜麻は、どれだけ瀬戸のことを考えたって、それは事件を解くためだとか、瀬戸が自分に惚れている証拠を突き止めるためだって言うんでしょ? あくまで向こうが自分を好きなんだって」
 亜麻の心を見透かすように、真子は言った。
「でも本当は、亜麻が瀬戸に惚れているから、そんなに拘るんじゃないの? 瀬戸のことを好きになりかけているからこそ、あの手この手を使って調べようとしているんじゃないの? ……最近の亜麻を見ていると、私にはそうとしか思えないんだよ」
「真子……」
「私は、別にいいんじゃないかと思うよ? 亜麻は確かに可愛いし、美人だし、学校一の美少女かもしれないけどさ。でももし誰かを好きになったんなら、素直に好きと認めたっていいんじゃないかって。こんな探偵ごっこみたいなことして相手のことを知ろうとしなくたって……ちゃんと、恋だって認めて、向き合ってみてもいいと思う」
「恋だと、認める……」
「そうだよ。それとも、亜麻にはなにか、認めたくない理由でもあるの? 自分の恋心を誤魔化していたいわけでもあるの?」
 真子の訴えるような台詞に、亜麻は当惑した。
(恋……この感情が、瀬戸和真があたしに惚れているかどうか知りたいと思うこの心が、恋だと言うの?)
 そんな疑問が浮かびながらも、解消させる術を亜麻は持たない。
 なにせ彼女は、――恋をしたことがないのである。
 ゆえに、判断がつかない。
 しかし――、
(真子の、言う通りなのかもしれない。あたしは今まで、ある特定の男子に対してこれほど真剣に考えたことはなかった。知りたいとは思わなかった。……恋をするという感情がどんなものか分からないけど、異性のことをこんなにも意識してしまうことが、恋をしているということの証左なのかしら……)
 心の中は揺らいでいた。
 今、胸のうちに渦巻くこの感情こそ恋なのか。あるいはただの好奇心なのか。
 その答えはまだ見出せそうにはない――が、
「……そうね。真子の言う通りかもしれないわ」
 亜麻は俯き、普段より幾分暗い声音で言った。
「あたしはきっと、認めたくない。いいえ、認めてはいけない気がしていたんだと思う。だってそれが、あたしが作り上げてきた完璧を、自ら崩してしまうことになりかねないから」
「完璧を、崩す?」
「初めて会った時、真子はあたしに訊いたわよね」

『――疲れない? 自分を演じるのって』

「今更その問いに真正直に答えるとすれば、疲れる、というのが本音よ。お淑やかに振る舞ったり、人当たりをよくしたり、告白をなるべく誠実に断ったり、理想のボディラインを維持するためにトレーニングを欠かさなかったり……すべて、自分が求める完璧のためにやっていることだけど、好きでやっていることだけど、それらはやっぱり重荷なの。本当はそんなことなんてせず、ありのままに振る舞えるのが正しいし、気が楽なことは分かっているの」
「じゃあ、なんで」
「あたしは、今の自分が好きなの。学校一の美少女だって自負できるくらい、完璧に振る舞えている自分がね――だけど、あたしの本性は嫌いなの。振る舞おうとしなければ、演じようとしなければ完璧になれない、純粋とはほど遠いあたし自身は、好きになれないの。この本性だけが、今のあたしの中で完璧じゃない」
 一息ついて、亜麻は俯かせていた顔を上げ、
「あたしは完璧な女の子でいたいの。外見から心根まで、誰がどう見ても美少女だと思うような、そんな女の子でいたいの。
 だけど、誰かに恋をするというのは、その完璧を崩すことになるんじゃないかって思うの。恋をして、深い仲になったら、さすがに振る舞い続けることなんてできやしない……きっと本性を曝け出してしまう。そうしたらあたしは完璧じゃなくなる。だからこそ、認めてはいけない気がしていたのだと思うわ」
「そんなの、もう今更じゃん。だって私には……」
「真子は親友だもの。あたしの唯一無二の親友。だから本性を見せられる。ありのままのあたし自身で接することができるの。真子はあたしにとってのオアシスよ」
「……なにさそれ。まるで学校が砂漠みたいな言い方じゃん」
 真子はむず痒そうな顔で言い、
「てか、そういうこと真顔で言っちゃうとこ、亜麻って人たらしだよね」
「いつかにも聞いた台詞ね」
「だって言ったことある台詞だもん。ていうか、本性を知ってる私からしたって、亜麻は完璧だって思うけどね」
「どうして? こんなにも激しく裏表があるなんて、醜く思うものでしょう?」
「醜いなんて、真逆でしょ。そこまでして完璧になろうと努力することは、むしろ純粋で、綺麗なことだよ。少なくとも私はそう思う」
 そこまで言い切って、柄にもないと感じたのか、真子はわずかに顔を赤くしていた。
 しかし亜麻は、それを笑ったりはせず、
「ありがとう、真子。やっぱりあなたは、あたしの親友だわ」
 肩の荷が下りたような、気を楽にさせた声で言った。
「真子の言う通り、あたしはここ最近ずっと、瀬戸和真のことばかり考え続けているわ。……あたしはまだ、それが恋かどうかなんて確信は持てないけど、それでも、可能性は充分にあると言っていいのでしょうね。いいえ、あたしとずっと一緒にいる真子が言うんだから、本当にそうなのかもしれない」
「じゃあ、亜麻は認めてしまうの? 瀬戸のことが好きだって」
「少なくとも、今あたしが一番興味のある男子であることには違いないわ。それに、あたしはあの男のこと、嫌っているわけではないの……盗撮の件だって、たぶんあたしの思い過ごしなんでしょうね。もうここまで当てが外れてしまったんだから、さすがに言い訳のしようがないわ」
「ならそっちも認めちゃうんだね。瀬戸は亜麻に惚れてなんかいないってこと」
「そう言わざるをえないでしょうね」
「それでも、亜麻は瀬戸が好きだって言っちゃうわけか……」
 その言葉には、亜麻はなにも答えられなかった。
(そうね、これはあたしの片想いだわ。これまで散々無下にしてきた気持ち……まさか、今になって自分が抱くことになるなんて。皮肉な話だわ)
 亜麻は心の内で悔しがり、両の拳をぎゅっと固めた。
 片想いは成就しない。告白を断り続けてきた亜麻にとってはそれが常識だった。今までたくさんの片想いをされてきた亜麻は、そのどれも叶わせたことがなかった。
 もしかしたら、今度は自分もそうなるかもしれない――そんな経験したことのない恐怖が、亜麻の中に駆け抜ける。
 それでも亜麻は、いつもの自信たっぷりな笑顔を作り、
「でもね、あたしが瀬戸和真に惚れられていないのは、あたし自身が魅力的じゃないことが理由ではないわ」
「え?」
 戸惑う真子に対し、亜麻はきっぱりと言い切る。
「――きっと、瀬戸和真の性癖●●に問題があるのよ!」
「……は?」
 神妙な雰囲気から一転、口をあんぐりさせる真子。
 亜麻は「ふふん」と得意げに笑い、
「安達真奈を見ていて思ったのよ。あの子、高校生っぽくないというか、あどけない感じの子だったでしょ?」
「まあ、見た目はちょっと幼いというか、ロリっぽいというか……それがなんだって言うわけ?」
「瀬戸和真は短い間とは言え、あの幼い体躯と顔立ちの安達真奈と付き合っていた、すなわちタイプだったというわけよ。つまりあれが、瀬戸和真の性癖的な琴線に触れる異性だったってことなの」
 その言い分を聞いて、真子は「ああ……」と溜め息混じりに頷き、
「つまり亜麻は、瀬戸が自分に惚れていない原因が自分にあるわけじゃなく、瀬戸のストライクゾーンの狭さにあるって言いたいんだ?」
「そう。有体に言ってしまうと、恐らく瀬戸和真はロリコンね。だからあんな幼い見た目の女子を好きになったのよ。……でも、そこには大きな誤算があった」
「誤算?」
「付き合ってすぐ、瀬戸和真は気づいたのよ。いくら見た目が幼くても、やっぱり安達真奈は同い年の女の子なんだって。その事実が真性のロリコンであるところの瀬戸和真にとっては致命的だったのでしょうね。それが破局の原因となり、安達真奈からあそこまで怯えられるほどになったのよ。どう? 完璧な推理だと思わない?」
「…………」
 呆れ顔で黙り込む真子。
 しばらくすると、苦笑混じりの溜め息をつき、
「……ま、このアホみたいなポジティブさが亜麻の取り柄なんかもね」
「誰がアホですって?」
「亜麻のことですって」
「なっ――」
「で、瀬戸が安達のトラウマになるレベルのロリコンだったとして、亜麻はどうするわけ? ロリとはほど遠いスタイルの亜麻からしたら、安達以上につけ入る隙がなさそうだけど? 早々に手を引いた方が身のためなんじゃない?」
「いいえ、まずは瀬戸和真がロリコンかどうかを確かめる必要があるわ。さすがにこんな推理だけで決めつけるわけにはいかないでしょう?」
「それ以前にそんな推理をするのもどうかとは思うけどね……そいで、今度はどうやって確かめようってわけ? まさか瀬戸に、ロリコンですかって正直に訊くとか?」
「まさか。そんなアブノーマルな性癖、真正面から訊ねたって『はいそうです』と認めるわけないわ」
「そりゃそうでしょうね。そんならどう確かめるおつもりで?」
「そうね……性癖なんて日常生活でそうそう晒すものじゃないでしょうし、そもそも同じ屋根の下で一緒に暮らしている今でも、ロリコンかどうか疑える余地なんてさっぱりなかったわ」
「そりゃ、性癖なんて家族にだってバレたくないことだもん。一緒に暮らしてるとか関係なく分かるもんでもなくね? それこそ一日中監視でもしてない限りさ」
「一日中、監視――」
 真子の言葉で、亜麻はなにかを閃き、
「そうか、そうよ、調べられそうな方法があるじゃない! うん、試してみる価値はあるわ!」
「なに? なにか思いついたん?」
「ふふ、秘密よ。今回は真子に手伝ってもらうようなことじゃないから、結果だけ楽しみしておいてくれればいいわ。まあ任せてちょうだい」
 不敵な微笑みを浮かべ、得意げに胸を張る亜麻。
 真子は「あっそう」と、深くは追及してこず、
「亜麻には亜麻の考えがあんだね。……ってなんだか振り出しに戻ったような気がするんだけど。気のせいかな」
「大丈夫よ。着実に前進しているわ。人間は日進月歩する生き物なんだから」
「まあ、亜麻が恋とはなにかを考え始めただけでもよしとするか……たとえどんな結果になろうとも、私は親友としてちゃんと見届けるからね、亜麻」
「ありがとう真子。ついでで申し訳ないんだけど、あの文書に書かれた名前については一応調べておいてくれないかしら? 一応ね、一応」
「やっぱりそれは諦め切れないのか……」
「勘違いしないで。そっちはそっちで気になるだけよ。あれがなにを示している文書だったのかどうか。だってそうでしょ? もしあれが瀬戸和真から見た魅力的な女性を評価したものだったら、ロリコンであるあの男があたしに◎をつけるのはおかしいことになるわ」
「それはそうだけど……調べるったってねえ」
「そこまで大がかりに調べる必要はないわよ。ちょっと知り合いに訊ねてみるとか、中学の卒アル見て文書の中にある名前の子がいないか確かめるだけでもいいから。真子や安達真奈が覚えていないだけで、もしかしたらほかに同じ中学だった子の名前があった可能性もあるでしょう?」
「どうかなぁ。望み薄だと思うけど」
「それならそれでも構わないわ。いざとなったら瀬戸和真に直接かまをかけてみるから。でもまずはその前に、瀬戸和真の性癖が本当にロリコンかどうかってことよね。あたしの見立てならたぶんあの方法でいけると思うんだけど……」
「はいはい。もうやりたいようにやってくださいな、名探偵さん?」
 両手を逆さにして肩まで上げ、茶化すように言う真子。
 対して亜麻は、
(見てなさい瀬戸和真……必ずあなたの性癖を暴き出して、今度こそ学校一の美少女であるところのあたしに振り向かせてみせるんだから!)
 と、健気過ぎるほど乙女な野望を燃やすのだった。


▼次話(第8話)


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