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ブラックボックス・ラヴァーズ / 長編小説 -3-

▼前話(第2話)


 数日後、学校にて。
 その日は体育の授業があり、亜麻はいつも通り真子と組んでストレッチを行っていた。その間に、約束していた瀬戸和真に関する経過報告を済ませることにした。
「ふぅん。つまり亜麻は、瀬戸の優しさに絆されて部屋に入れた挙げ句、家具の配置まで手伝わせて部屋の隅々まで把握させちゃったわけね」
 ストレッチをこなしながら、亜麻の話を整理する真子。
 亜麻は少しだけ不機嫌になり、
「なによ真子、その含みのある言い方」
「含みなんて、別にないけど?」
「嘘よ。なんだか少し、言葉尻が刺々しく感じられたわ。大体あたし、あの男に絆されてなんか」
「でも、多少はイメージアップしたわけでしょ? じゃなきゃ部屋になんか絶対入れないだろうし」
「それは、その、労ってあげただけのことよ。下心があったにせよ、手伝ってくれたことは事実なんだから」
「部屋に入れることがご褒美だとでも?」
「そうよ。あたしみたいな学校一の美少女の部屋に足を踏み入れて、その上インテリアにまで関われたのよ? 男の子からしたら一生ものの名誉じゃない」
「はいはい。そういうことにしといたげる」
 真子は溜め息混じりの苦笑を挟み、
「そんで? 瀬戸に関して分かったのはそれだけ? 今の話だと、やっぱり亜麻に惚れてるって確証には乏しいと思うんだけど」
「そうね。結局お風呂も覗きに来なかったし、どういうことなのかしら。まったく意味が分からないわ」
「意味が分からんのはこっちなんだが。そもそもなんで瀬戸が覗きに来るって思ったわけ?」
「年頃の男の子はみんなそういうものでしょう? 性欲で動く生き物なんだし、好きな女子のお風呂くらい覗きに来て当然よ」
「仮に、百万歩譲って、瀬戸が亜麻に惚れているにしたって、風呂を覗きに来るとは限らんじゃん。そんくらいは分かりそうなもんだけど」
「どうしてそう言い切れるのよ? 美少女が一糸まとわぬ姿で湯船に身を浸しているのよ? 来るでしょう、普通」
「なにが普通なのか。それじゃまるで変態の思考回路じゃん」
「そうよ、男というのはみんな変態なのよ。さすがは真子。的を射た表現を知っているのね」
「鈍いってのもここまで来ると長所なんかもね……えいっと」
「きゃっ!」
 突如、亜麻は真子から脇腹を突かれ、甲高い声を上げてしまう。
 一瞬、近くにいた生徒が振り返ったため、亜麻はすぐさま平静を装った。
「あ、ここは鈍くないんだね。むしろ敏感?」
 真子は悪戯をやめる気配もなく、未だにつんつんと脇腹を小突いてきている。
 亜麻はパッと彼女の手を掴み、
「ちょ、ちょっと真子、いきなりどこ触ってるのよ……!」
「ストレッチだからほぐしてあげなきゃと思って。その謎過ぎるほど鈍感な思考回路と一緒に」
「真子の思考回路の方がよっぽど謎よ……っ」
 本当は叱りつけてやりたい亜麻だったが、周囲に聞かれてはまずいと思い自制するほかなかった。
 ――特にこの体育の時間は、普段よりも衆目を気にする必要があった。
 亜麻はちらりと、少し離れた場所にいる男子グループを見やる。
「瀬戸、結構体柔らかいよなー」
「思った。ちょい羨ましいわ」
「そうか? 普通だと思うが」
 何人かで集まって一緒にストレッチをしている男子たち。その中心には体操服姿の瀬戸和真の姿も確認できる。
 落ち着いた口調や表情は普段と変わりないように見えるが、家の中にいる時よりもどこか雰囲気が柔らかな気配があった。
「前屈して両手が地面に着くとか柔らかい方だろ。毎日お酢でも飲んでんのか?」
「それ、科学的根拠ないだろう」
「マジで? 祖母ちゃんに言われてたまに飲んでたんだが」
「その結果がお前なら意味ねえじゃん」
「確かにな」
 クラスメイトの突っ込みに、和真は小さく笑って同調している。
 体育の授業は二クラス合同で行われる。男女で取り組む内容が違うため瀬戸と共になることはないが、ストレッチまでは同じグラウンドのため、亜麻が迂闊に声を大きくすれば話を聞かれる可能性は高い。
 そういう事情もあって警戒のために注意を向けていた亜麻だったが、いつもより自然体な様子の和真を見て、次第に複雑な感情が湧き上がってきていた。
(なによあの男。家であたしと話している時は、あんな風に笑うことなんてないのに……学校一の美少女のあたしよりも、男友達と話す方が楽しいって言うわけ?)
「亜麻、どうかしたの?」
 真子に呼びかけられ、亜麻はハッと我に返る。
 見ると、真子はすでに立ち上がり、ストレッチ後のランニングのために移動しようとしていた。
「いえ、なんでもないわ」
 亜麻もおもむろに腰を上げる。
 真子は「ふーん」と相槌を打って、
「もしかして瀬戸のこと見てたの?」
「別にそんなんじゃないわよ」
「じゃあ見惚れてたの?」
「な、なんでそうなるのよ!」
 また声高になりかけるのを必死に堪えて言うと、真子は「冗談冗談」と軽やかに笑った。
 女子はグラウンドを五周ランニングすることになり、教師の号令に合わせてクラスメイトたちが気怠げに走り始める。亜麻と真子も群衆に紛れ、ジョギング程度の速度で並んで走った。
「それで、さっきの話の続きなんだけど」
 亜麻は、真子にしか聞こえない程度の声量を努め、
「確かに真子の言う通りなのよ。今のところ、瀬戸和真があたしに惚れているという決定的証拠は見出せていない。覗きにも来なかったし、荷物運びや荷解きを手伝ってくれたというだけでは弱いわよね」
「惚れてるって前提は譲らないわけか」
「当然よ。あれは完全に脈ありだわ。だけど奥手なのか消極的なのか……。
 まあ、あたしのような美少女と突然同じ屋根の下に住むことになって、接し方に戸惑っているという可能性もあるけれど。もう少し時間が経てば、もっと向こうから仕掛けてくるかしら」
「ああ、亜麻は仕掛けてもらいたいんだ。ふぅん」
「なによ、そのふぅんって」
「いや、そこだけ取ってみたら、片思いの告り待ちみたいな感じに聞こえたからさ」
「はあ? そんなわけないでしょう。あたしはただ、瀬戸和真があたしに惚れているって証拠を掴みたいだけよ」
「名探偵の恋愛事情は色々と複雑なんね。まあ聞いてる分には面白いから、もうちょっとだけ付き合ってあげてもいいかな」
「当然よ。真子にはしっかりとした証拠を突きつけて、納得してもらわなきゃなんだから」
「はいはい。にしても本当に面白い話だね。もし亜麻の妄言……もとい推理が当たっているんだとしたら、瀬戸は図らずも本懐を遂げた●●●●●ことになるわけだし」
「え――?」
 亜麻はぴたりと、足を止めた。
 周囲のクラスメイトたちが不思議そうに走り去っていく中、真子も踵を返して亜麻のもとまで向かい、
「どしたの亜麻、急に止まって」
「真子、今なんて言った?」
「どしたの亜麻、急に止まって」
「今過ぎるわ。その前よ」
「こないだタンスの角に右足の小指ぶつけて爪割れちゃったんだけど」
「痛過ぎるわ。真面目に答えなさいよ」
「亜麻の推理が当たっているんだとしたら、瀬戸は図らずも本懐を遂げたことになるわけだし?」
 疑問符を添えて、真子は言った。
 亜麻は「それよそれ」と指差しつつ、
「どういうこと? 本懐って」
「だって亜麻の考えだと、瀬戸は亜麻に気があって、あわよくば荷物運びにかこつけて、亜麻の部屋に上がり込もうと企んでいたわけでしょ? 結果的にそれ、成し遂げられてるわけじゃん」
「それは、そうね……」
「正攻法で手伝おうとしたら亜麻の遠慮によって断られた、だから亜麻がお風呂に入っているうちに部屋の前まで荷物運びを終わらせて、サプライズ感を演出することで亜麻の警戒を解いた。
 もしそこまでが瀬戸の計算通りだとしたら、中々の策士かなって……なんて、そんなことあるわけないけど」
 肩をすくめるそぶりを見せる真子。どうやら冗談のつもりで言ったらしい。
 が、――亜麻は両腕を組み、真子の言った可能性を真剣に考慮していた。
(あれがすべて、あの男の計算通り? だとしたら……)
 推理脳をフル回転させる亜麻。
 なぜ瀬戸和真は、自分の部屋に入りたかったのか――。その理由を、亜麻は男性的欲求によるものと片付けていた。年頃の男子なのだから、好きな女子の部屋に入りたいと思うのは当然の欲望であると。
 だが、そういう事情も当然あるとして、もしほかの理由が和真にあったとしたら。
「そうか、――そういうことなんだわ」
 亜麻の中で、いくつかの点が一本の線で繋がった。
「亜麻? どうかしたん?」
「見えたのよ、真子。瀬戸和真の本性、それを紐解く糸口が」
 亜麻はごくりと生唾を飲み込み、
「これは間違いなく、事件よ。それもとびきり凶悪なね」
「事件? なにそれ、正気で言ってるわけ?」
「もちろんよ。この線でもう一度、瀬戸和真について調査してみるわ。場合によっては、警察に突き出してやらなきゃならないんだから」
「あっそう。……まあ、ほどほどにね」
 疲れたように嘆息する真子。
 そんな彼女を意に介することもなく、亜麻は今後の計画を考えながら小さくほくそ笑んでいた。


 真子に大それた宣言をしたおよそ一週間後。夕方。
 亜麻が瀬戸家に帰宅すると、奈々子がちょうど玄関から出てきていた。
「あら亜麻ちゃん。おかえりなさい」
「はい、ただいま帰りました」
「私、ちょっとお買いものに行ってくるから。短い時間だと思うけど、お留守番よろしくね」
 時間帯からして、近くのスーパーの特売を狙っているのだろう。
 それはともかく、亜麻には気にかかる言葉があった。
「留守番? ほかに誰もいないんですか?」
「和真は今日部活だし、結奈もまだ帰ってきていないのよ。どこかで寄り道でもしているのかしら」
「そうですか。結奈ちゃんは真面目そうだから、まっすぐ帰ってくるばかりだと思っていましたけど。寄り道をすることもあるんですね」
「ええ。まあ寄り道と言っても本屋だと思うんだけど」
 奈々子の言葉で亜麻も合点がいき、
「ああ……そうですね、今年は受験生なわけですし。きっと参考書でも選んでいるのでしょう」
「そうだったら褒めたものだけれど、きっと違うわ。あの子って漫画を読むのが好きだから」
 奈々子は困ったように笑っていた。
「それじゃあ行ってくるわね。早くしないと特売終わっちゃうから」
「はい、いってらっしゃい」
 亜麻は奈々子を見送り、玄関に入ってドアを閉める。
 家の中は静寂に満ちていた。亜麻は満足そうに口角を上げる。
(ようやくこの時が来たわね。この家で、あたしが一人きりになれる時が)
 それはこの一週間、亜麻が密かに待ち侘びていた瞬間だった。
 亜麻はすぐさま自室へと上がり、動きやすい部屋着に着替える。
 それから、ネット通販で取り寄せたカメラ探知機●●●●●●を手にし、一階へと下りた。
 ――亜麻が真子に話した『事件●●』とは、すなわち『盗撮●●』のことである。
 瀬戸和真が家のどこかにカメラを仕掛け、亜麻のあられもない姿を盗み見ているのではと考えたのだ。
(こんなこと、いきなり真子に話したって突飛に過ぎると一蹴されるだけでしょうね……だけど)
 一人きりの廊下で、亜麻は「ふふっ」と笑みをこぼす。
 彼女はすでに、瀬戸和真が盗撮に及んでいると確信するだけの状況証拠を掴んでいた。
(一番疑問だったのは、なぜあの男はあたしが入浴中のところを覗きに来なかったのか。一般的な男子高校生なら絶対に覗こうと考えるはずだわ。同い年の女の子というだけでも儲けものなのに、入っているのがほかならぬあたしなのよ? 学校一の美少女である藤堂亜麻なのよ? 普通なら性欲を抑え切れなくなって、衝動的犯行に及んでもおかしくなかったはず……。
 それなのに、瀬戸和真は覗きに来なかった。驚天動地の事態だと思ったわ。男子高校生としてあるまじき行為とも思えた。
 だけど、もしもその必要がなかったら? わざわざ覗きに来ずとも、あたしが入浴中の光景を秘密裏に覗くことができていたら、――つまり、前もって設置しておいた隠しカメラで盗撮していたとすれば……)
 すべての辻褄が合う――。
 亜麻はそう考えた。
(お風呂のことだけじゃない。今思えば、あれほどあたしの荷物運びを手伝いたがったのも不自然よ。好感度を上げたいから、と理由づけするのは簡単だけれど……もしも真子の言っていたことが本当なら)

 ――『だって亜麻の考えだと、瀬戸は亜麻に気があって、あわよくば荷物運びにかこつけて、亜麻の部屋に上がり込もうと企んでいたわけでしょ? 結果的にそれ、成し遂げられてるわけじゃん』

 先日、真子から聞かされた話が脳裏をよぎった。
 彼女の言う通りである。
 瀬戸和真は亜麻の荷物運びを手伝うことで、まんまと部屋に侵入できていた。
 その結果、どういうことになるか。
(あの男が、荷物運びを買って出た本当の目的――それが本当に、あたしの部屋へ上がり込むことだったとしたら。なぜあの男はそうしたかったのか。それも全部、『盗撮』するためと考えれば納得できる。お風呂場だけではなくて、あたしの部屋にも隠しカメラを取りつけるために……。
 お風呂場には、あたしが居候を始める前にあらかじめ設置することができる。けれど部屋は、中々そうもいかないわ。どこにどんな家具や電化製品が置かれるのか把握しなきゃならない。せっかく仕掛けたカメラの前に棚やテレビを置かれたら、意味がなくなってしまうんだから)
 もしもカメラを発見することができれば、亜麻に好意を抱いている決定的な証拠となるばかりか、瀬戸和真の凶悪な本性を暴くことにも繋がる。真子を納得させるのにも充分過ぎるほどだと考えた。
 そもそも本当に盗撮されていたのだとしたら、到底許されることではない。徹底的に糾弾して警察に突き出し、盗撮した録画データなどを残しているならば絶対に消去させなければならない。
(今に見てなさい瀬戸和真。このカメラ探知機で、あなたの凶悪な本性を一つ残らず暴き出してあげるんだから!)


 結論から言うと、隠しカメラは一つも見つからなかった。
 亜麻の部屋、風呂場、トイレ、リビング、玄関――。
 そのほか、亜麻が利用する場所を洗いざらい調べ尽くしたが、カメラ探知機が反応することはないのだった。
(おかしいわね……これだけ探し回って一つも見当たらないなんて。この探知機、まさかパチモンなんじゃないでしょうね)
 そんなことを疑いつつも、その可能性は低かった。
 亜麻がカメラ探知機を購入したのは、大手通販サイトのアマゾン。商品概要藍にはプロ仕様と記載されていたもので、特殊なフィルターとLEDライトの点滅によって生じる反射点によって隠しカメラを発見できる代物だった。価格はおよそ五千円。類似品がいくつもあったため、レビューや商品説明などを慎重に見て選んだものだった。
 また亜麻は一応、カメラ探知機が本物かどうかを確かめるため、一緒に超小型のカメラも購入していた。それを実際に隠してみて、探知機がちゃんと反応するのかも確認していたのだ。
 結果、カメラ探知機は正常に反応していた。
 とすると、今回探知できなかったのは単純に、隠しカメラなど仕掛けられていなかったからだと考えられる。
(カメラ探知機に引っかからないカメラを潜ませているという可能性もあるけれど、そんなステルス性の高いカメラなんてそうそう手に入れられるはずがないわ。あたしが用意した試験用のカメラだって充分小さくて見つけにくいのに……)
 それ以上にいいカメラが仕掛けられている、とは考えにくい。
 となると、亜麻は自身の推理を見直す必要があった。
(瀬戸和真はなぜ、あたしのお風呂を覗きに来なかったのか。隠しカメラがあるから覗く必要がないのだとばかり決めつけてしまっていたけれど……少なくとも今のところ、カメラがないことだけははっきりしている。
 ということはあの男、盗撮なんてしていなかったということ……?)
 腕を組んで考え込む亜麻。
 ちなみに彼女が持っている探知機は盗聴器に対しても有効で、モードを切り替えればビープ音を鳴らして知らせてくれる。だがそれすらも反応はなかった。
(まあ、盗聴器は最初からないと思っていたけれど。あたしが生活している音声なんて聞いてなにが楽しいのってなるだけだし。
 いくら瀬戸和真が稀代の変態だとしても、生活音だけで性欲を満たせるほどの猛者ではないでしょう。やはり盗撮用カメラくらいの、実利が見込めるものを仕込んでおくのが自然だわ)
 しかし、そのカメラが見当たらない。
 カメラを仕込まなければ盗撮などできるはずがないのだから、亜麻の推測が外れたことになる。
 そう、カメラがなければ――。
(いえ、待って。待つのよ、亜麻)
 刹那、亜麻の脳内に電流が走る。
(カメラがあれば盗撮ができるのだとすれば、もしかしたら……!)
 閃き、思わずぽんと手を叩く。
 亜麻は急いで二階へと上がり、自室の机に置いているパソコンを調べた。
(――やっぱり、あった)
 画面の上部、黒い縁の部分を確認して、亜麻は戦慄した。
 そこには確かに、小さなレンズがきらりと光っている。
 パソコンのディスプレイに内蔵されたカメラ●●●●●●●●●●●●●●●――これこそが、亜麻がたどり着いた盗撮用のカメラの正体だった。
(迂闊だったわ。まさかあたし自身が、カメラを設置してしまっていたなんて)
 亜麻はパソコンに明るいわけではない。
 むしろスマホ以外の電子機器には疎い方で、パソコンも父から譲り受けたものだった。父曰く動作的に気に入らない機種だったらしく、そのおかげかほとんど新品の状態で亜麻のものとなった。
 しかしスマホを持っているため、使う機会があるとすればアイチューンズでスマホに入れている曲の管理か、ユーチューブで動画を視聴するくらいだった。
 ゆえにカメラ機能などまったく使っておらず、今の今までパソコンにカメラが備わっていたことさえ忘れていたほどだ。
(これがノートパソコンみたいに、画面を蓋みたいに閉じられるタイプだったらよかったのだけど、これはいわゆるデスクトップ型だから閉じられないのよね……)
 パソコンについてあまり詳しくない亜麻でも、パソコンにはデスクトップ型とノート型があることくらいは知っている。
 ――が、今の亜麻の発言にはやや誤謬があった。
 亜麻のパソコンは正確に言うと、普通のデスクトップ型ではない。彼女が使用しているのは2013年に発売された東芝のダイナブックD513で、ディスプレイとパソコンが合体している液晶一体型のタイプだった。
 一般的なデスクトップ型パソコンの場合、ディスプレイにカメラが内蔵されていることはあまりなく、別にウェブカメラを買ってディスプレイ上部などに取りつけるのが主流である。
 けれど亜麻の使っている一体型や、あるいは近年のノートパソコンであれば、画面にカメラが標準装備されていることもめずらしくない。
 もしノートパソコンであれば、使用しない時は画面を閉じていればカメラのレンズが剥き出しになることはなかった。
 が、一体型のパソコンは違う。
 据え置きで画面が隠れないため、カメラのレンズも常に剥き出しの状態にあり――、
 亜麻の室内をはっきり見渡せる位置に存在している。
(もしこのパソコンのカメラを使って、瀬戸和真があたしの部屋を盗撮しているのだとすれば……)
 不可能な話ではない、――亜麻はそう思った。
(あたしもよく知らないけど、確か外部のパソコンから侵入して遠隔操作できるって聞いたことあるわ。ハッキングだかクラッキングだかとかで……。
 実はあたしのパソコンも遠隔操作されていて、盗撮のためにカメラを悪用されているのだとすれば、筋が通る!)
 新たな仮説を立てた亜麻には、少しだけ心当たりがあった。瀬戸和真がこのパソコンを遠隔操作しているのではという疑惑について……。


 ――それは、一週間以上前。
 亜麻が初めて、瀬戸和真を自室に踏み入れさせた時にまで遡る。
 一通りの家具を配置し終え、本や小物、電化製品などが入った段ボール箱を荷解きしていた時だった。
「藤堂さん、パソコンも持っているのか」
 箱の中からパソコンを取り出している和真が何気なく言ってきた。
「これは、机の上でいいか?」
「ええ、そこで大丈夫よ。ありがとう瀬戸君」
「いや、別に」
 それだけ言って、和真は黙々と設置に取りかかる。
 その返答一つ取っても、亜麻にとっては不満だった。
(あたしが感謝してあげてるのに、なんなのよその薄い反応は! 男ならもっと照れたっていいはずなのに……。
 しかもなに? あたしと二人きりってシチュエーションなのに、黙ったまま作業しようって言うわけ? なんて不埒な男なの! いきなり口説くはいかないまでも世間話の一つでもしてあたしを楽しませようとしなさいよ……!)
 密かに憤然とした気持ちが湧いてくる。
(いいえ、落ち着くのよ亜麻。瀬戸和真だって男なんだもの、あたしのような美少女と二人きり、なにも感じていないはずがない……そうよ、緊張し過ぎて声も出せないなんて、この手の男ならよくありそうなことじゃない。あるいは、どんな世間話をすればいいか思いつかなくて困ってるとか。
 仕方ないわね、そういうことならあたしから助け舟でも出してあげましょうかしら)
 亜麻は「ねえ瀬戸君」と呼びかけ、
「私のパソコンって、ちょっと変わってるわよね」
「え?」
「普通のパソコンって、画面と本体が分かれているでしょう? でも私のパソコンって、一体型というタイプらしいの。私はあまり詳しくないのだけど、これはいいパソコンと言っていいのかしら」
「一体型は、場所を取らないのがいいな。設置も簡単だ」
「そうなの? 瀬戸君はパソコンに詳しいのね」
「いや、別に……と言うか、藤堂さんがこだわって選んだパソコンじゃないのか?」
「いえ、お父さんがいらなくなったものをもらっただけだから。私自身はパソコンに明るくないから、見た目以外の違いなんてよく分からないの」
「そうか。ならこのパソコンもあまり使っていないのか?」
「機能的にはたぶんほとんど使いこなしていないと思うけど、時間的には結構使っているんじゃないかしら。専らユーチューブを見るだけなんだけど」
「ああ、なるほど」
「瀬戸君は、なにか動画を見たりはしないの?」
「スマホでバスケのプレイ集を見るくらいだな」
「そうなの。瀬戸君って本当にバスケが好きなのね」
「まあ」
 相変わらずぶっきらぼうな具合に相槌を打つ和真。
 しかしどことなくはにかんでいるようにも見え、亜麻も思わず「ふふ、そう?」と笑みをこぼした。
 ――この時の亜麻は、瀬戸和真に対する警戒心を少しだけ解いてしまっていた。
 いつもの亜麻であれば、
(どうせバスケの動画だけじゃなくて、性欲を満たすための卑猥な動画だって見ているんでしょう? それで夜更かししちゃうことの方が断然多いのでしょう? それくらいお見通しなんだから!)
 などと邪推していただろう。
 しかし今回ばかりは、そこまで悪しざまに考えてはいなかった。
 部屋の中に重たい荷物を運び入れて、なおかつ荷解きまで手伝ってくれている相手に対して、つっけんどんに接することは亜麻にはできなかったのだ。それくらいの良心は彼女も持ち合わせている。黙々と作業し始めたことに苛立ちを覚えながらも、助け舟を出したことが気の緩んでいる証拠だろう。
「そういえば、パソコンでもネットを使うなら、またワイファイの設定もしないといけないのかしら?」
「ああ、そうなるな」
 セッティング作業を行いながら頷く和真。
 瀬戸家にワイファイがあることは亜麻も知っており、居候を始めたその日のうちにパスワードなどを教わっていた。そのため、スマホについてはネットに繋がっている。
 が、パソコンは今日荷解きをしたばかりのため、こちらも設定する必要がある。
「私、パソコンのワイファイ設定ってやったことがないの。家ではお父さんがいつの間にかやっておいてくれたから」
「そうか。なら、その設定もついでにやっておく」
「瀬戸君、そんなこともできるの?」
「そんなことと言うほどでもないが……」
 謙虚に答える和真。
 なにはともあれ、亜麻にとってはありがたいことだった。彼女はパソコンを使うばかりで、実はディスプレイや本体などを繋ぐ配線関係についてもよく知らない。
 その辺りまで一緒にやってもらえるというのであれば、亜麻としては好都合だった。
「じゃあ瀬戸君、お願いできるかしら」
「分かった」
 和真は端的に答え、配線が整ったパソコンを立ち上げ始めていた。


 ――というやり取りがあったことを、亜麻を思い出していた。
 おかげでパソコンは実家にいた頃と同じように、快適に使うことができている。
 しかしこの時、――瀬戸和真がパソコンのセッティングを行っている過程については、亜麻はほとんど関与していない。ほかの荷物の整理に没頭していた。
 瀬戸和真がどんな操作をしていたのかは、まったく把握していない。
(もしもこの時に、あたしのパソコンを遠隔操作できるような細工を施していたのだとすれば……ありえない話じゃないし、むしろ絶好の機会とも言えるはず。ワイファイの設定をすることを買って出たのも、親切心からではなくカメラ目当ての下心からかも……であればパソコンの使用頻度とか目的とか、さりげなく探りを入れてきたことも頷けるわ)
 亜麻が主にパソコンを使う目的は、ユーチューブで動画を視聴するため。
 だが、ただ動画を見るだけであればスマホでも事足りる。
 わざわざパソコンを使うことがあるのは、亜麻が見ている動画の性質にあった。
(まさか、綺麗なボディラインを保つために活用しているエクササイズ動画が、この時ばかりは裏目に出るなんてね……)
 じとっと、全身に嫌な汗が噴き出す。
 そう、――亜麻がよく見ているのは、トレーナー系ユーチューバーが無料で公開しているエクササイズ動画。
 亜麻はこれを参考にしながら、毎日のように部屋の中で体を動かしている。女性らしい肉体美を更に磨き上げるために。
 しかしその際は、動きやすいようにと肌を多く晒した格好であることが多い――時にはスポーツブラとスパッツしか身に着けていないこともある。部屋に一人きりで、誰も見ていないと思っているからこそのラフさだ。
 裏を返せば、亜麻はほとんど毎日、そんなあられもない姿になってパソコンの画面の前に長々といる。
 もしその様子が、ディスプレイのカメラを通して盗撮されていたのだとすれば――、
「じょ、冗談じゃないわっ!」
 身の毛がよだち、亜麻は思わず叫んでしまう。
(スマホの画面だと小さくて見づらいから、あえてパソコンで見ていたのだけど……まさかこんな弊害があったなんて! 考えもしなかったわ……)
 ギリリ、と歯ぎしりする亜麻。
 彼女の顔は分かりやすく真っ赤になっていた。
(単に裸を覗かれるだけなら、百歩譲ってまだ許せるわ。それだけあたしに好意があるって証拠だし、むしろあたしの完璧過ぎる肉体美を見て恍惚とした顔になるところはぜひ拝んでみたいものだわ。もちろんその上で血祭りにあげるつもりだけど。
 でも、でもね、……その肉体美を作り上げている過程を覗き見ようだなんて、冗談じゃない! それだけは絶対に許せないわ!)
 バン、バンッと勢いよく机を叩く亜麻。
 悔しさを露わにさせていた時、――コンコンコンと、部屋のドアがノックされた。
「大丈夫か? なにか物騒な音が聞こえたが」
 外から瀬戸和真の声。いつの間にか帰ってきていたらしい。
(この男、よくもヌケヌケと……クールぶって、裏ではこんな卑劣な真似をして。これだから思春期真っ盛りの男子高校生はお猿さんばかりで困るのよ。性欲の捌け口を求めて、開けてはいけないドアを平気でこじ開けようとするんですもの。絶対に許せないわ!)
 亜麻の憤りはかなりのものだった。
 カメラ探知機を机の中にしまい込んでから、やや乱雑に部屋のドアを開ける。
「どうかしたのか?」
 亜麻を見るなり、低い声で訊ねてくる和真。
 制服姿ではあったが、シーブリーズの匂いがしたため部活帰りなのは明白だった。
「ええ、なんでもないわ。なんでもない」
 素っ気なく答えたものの、亜麻はすぐに怒りをぶつけることはしなかった。
(本当は一刻も早く問い詰めたいところだけれど、今のままじゃなんの証拠もないわ。あたしがもっとパソコンに詳しければ、細工された証拠を見つけるくらいできたかもしれないけど……)
 あいにく、亜麻にそんな技術はない。そもそもそんな芸当ができるなら、もっと早く瀬戸和真の魂胆に気づけていただろう。
「そうか。なら別にいいが」
 それだけ言って、和真は自分の部屋へ行こうとする。
(……こうなったらしょうがないわ。ちょっと強引かもしれないけれど、これも証拠を掴むためよ)
 亜麻は決心する。
 それから、自室に入ろうとする和真の背後に詰め寄り、
「待って、瀬戸君」
「ん?」
「ちょっとお願いがあるんだけど、聞いてもらえないかしら」
 亜麻はどことなく申し訳なさそうな瞳で和真を見つめ、
「瀬戸君のパソコンを見せてほしいの」
 と、直球勝負に打って出る。
 和真は、わずかに訝しげな顔になり、
「俺の、パソコン?」
「そう、瀬戸君のパソコン。別に構わないでしょう?」
「いや、しかし……」
 これまで見せたことのない、どこかバツが悪そうな反応だった。
(この感じ……まさか本当に、核心を突いたのかしら?)
 亜麻は内心でほくそ笑んだ。
 突拍子過ぎたかとも危惧したが、それが結果的に瀬戸和真の不意を突いたらしい。
(このチャンスをみすみす逃すわけにはいかないわ……ここは一気に畳みかけるのよ!)
 自らを鼓舞した亜麻は、ドアの前に立つ和真を押しのけ、
「そういうことだから、ちょっとお邪魔するわね」
 と、強引に部屋の中へと入る。
「ちょ、おい――っ」
(ふふ、慌ててる慌ててる。やっぱりこれはもう黒確定……え?)
 意気揚々と乗り込んだ亜麻――だったが。
 そこには、彼女が予想もしていなかった光景があった。
(なによこれ? 一体どういうこと……?)
 瀬戸和真の部屋は、思ったより片付いているという点を除いてはごく普通だった。
 目立った家具は大きな箪笥やベッド、学習机、バスケの本などが雑多に並んでいる本棚などが置かれている程度。壁にはバスケット選手のユニフォームやポスターがいくつか飾られていて、まさにバスケ好きの男子高校生の部屋そのものだった。
 整理整頓されながらもそれなりにものが多い室内――けれどそこには、亜麻の探しているものだけが見当たらなかった。
「おい、一体なにをしているんだ」
 困惑している和真の声。
 当惑する亜麻をよそに、彼は続ける。
「見せろと言われても……俺は、パソコンなんて持っていないんだが●●●●●●●●●●●●●●●●
 ――瀬戸和真の言う通りだった。
 彼の部屋には、亜麻が期待していたパソコンが、どこにもなかった。


▼次話(第4話)


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