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うつ闘病日記2024.5/18〜5/19

この2日間は大変でした。



5/18(土)

まず5/17(金)の帰宅後に1週間分の疲労がピークに達し、お恥ずかしい話ですが大泣きしていました。

なぜ自分はすぐに疲れるのか
なぜ人とまともに話せないのか
なぜこんなにも生きているだけで疲れ、制限が多く、自由に自分の人生を動かせないのか

そのどれもが周囲の障害を持っている同僚たちを見渡しても私が最も程度が酷い気がし、余計に自分が酷くだめな存在に思えました。

同じうつ仲間に話せば「そうじゃないよ」と否定してくれたでしょう。
けれど私の思い込みは強固なもので、今は友人の優しい言葉も届かない気がしてひたすら床を見つめていました。

泣くだけ泣いて済めば良いのですが、そこは手強いうつ。
夜が明けた5/18(土)も抑うつと自責の念とが手強く、1日中ベッドから起き上がれずにいました。
泣きながら寝ていました。 

食事は一度。
非常食用に置いていたパンを一つ。

そして眠剤を流し込むところまではまだ良かったのですが、ここで足元がふらついてスマートフォンを落とし、かなり嫌な音がしたので確かめてみました。
スマートフォンの画面が割れていました。
人生で初めてのことでした。

私はASDの特性もあるため、良いことでも悪いことでも初めてのことや久しぶりのことに遭遇すると焦り、混乱し、自分でもどうして良いのか分からずどこまでも膨れ上がる不安に囚われます。

この時もそうでした。

壊れていたらどうしよう
新しいスマートフォンに変えて慣れるのにどれくらい時間がかかるだろう
週末には理解ある友人と会う約束をしていたのに連絡手段がなくなる

いつもあるものがなくなるという恐怖と混乱

「いつも通り」じゃないということ

その事実一つに次々と悪い考えと未知への不安が押し寄せ自分を飲み込むようでした。

どうにもならないので頓服を飲みました。
息が浅くなるとパニック発作が起こりやすいことは経験上、分かっていた事と混乱していても自分で解決する他になかったからです。

5/19(日)

朝から慣れない修理の手続きに駆けずり回りその後なんとか見通しはつきました。
しかしそれでエネルギーを消耗した私に舵をする気力は残っていませんでした。
正直あまり記憶がなく、ただひたすらぐったりしていた気がします。

それに元は自分の不注意で落としてしまったこと。
画面が割れた時のリスクや対処を全く考えずに日々を暮らしていた自分のリスク管理や生活能力の低さ。
それらにどうにも落ち込み日曜もまた活動性の低い休日を過ごしてしまいました。

今もまだ不安と落ち込みの中、何とか身支度を整え仕事をしています。

ただ今回の良かった点もありました。

操作までは壊れていなかったようなので、修理のため連絡が通じなくなるリスクを周囲に伝えることができたこと。
また経験者もいたため「こういう失敗は自分だけじゃない」と更なる自責を回避できたこと。

私の性質上、失敗はしないに越したことがないのですが、今失敗をすることで得たものもあると思いたいです。

失ったものと引き換えに得たもの。

それらをかき集め、また明日へと繋げられたらと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました。
特にADHD性質の方は事故が多い傾向にありますが、これを読んで「自分だけではない」と思えることがありますように。

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