アーティストの能力は、感情の見える化と聞こえる化と言語化とわかる化

近年は、「言語化」という単語を目にすることが多い。
私も言語化を意識しているが、その背景には、心理学要素と仕事の能力判断の2つがあると感じている。

前者の心理学要素について話していく。
前者については、もちろんメンタルに関する部分だが、自分の感情に名前が付くことによって安心感を得られることに気付いたことが大きな分岐点だと思う。

ADHD、ASD、強迫性障害、愛着障害
パワハラ、セクハラ、モラハラ
承認欲求、等

上げればキリが無いが、名称が付いたことで安心感を得た人が多くいることは確かだと思う。
そして言語化とは、それを更に詳しく知ろうとした結果であり、自分の状態と比較する為に必要な手段になっている。

対して仕事の能力判断とは何か。
これも心理学要素で話した歴史と類似してくる。

自分の仕事の能力判断に不安を持っていた人が、名前が付くことによって安心感を得たのだと思う。

IQが高い、EQが高い、早口
レスが早い、地頭が良い、センスが良い、等

ここからは説明せずともわかると思うが、名前が付いた自分の状態を更に詳しく知る為の言語化、それを正確に比較する為の言語化、と繋がってくる。

ここまでは、前提知識として「言語化」について話したが、題名とは少し逸れているので戻そうと思う。

アーティストは、この2つの内の「心理学要素」において必要な存在を担っている。

自分の状態を言語化して安心していくのでは無く、自分の状態を1つの絵の中に全て描き込んでいく。
音楽も同じだ。
自分の状態を1つの曲の中に全て落とし込んでいく。

すると、到底「日本語」という言語だけでは足りない自分の微妙な感情の絶妙な複雑さをその1つに折混ざったこととなる。

それは、あらゆる感情と言語化が入り混じった作品であり、到底「日本語」という言語に落とし込めるような大雑把な物では無くなっている。

最後に何が言いたいかと言うと、「言語化」して自分を見つけることも大切だが、言語化されずとも「見るだけで安心する作品」を探してみてほしい。

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