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普通の日々が続くと思っていた30代前半。病気、不妊治療などを経て感じたことなどを記録。…

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普通の日々が続くと思っていた30代前半。病気、不妊治療などを経て感じたことなどを記録。歩き旅、地域の文化と食が好き。

マガジン

  • 女性・30代前半で膀胱癌が見つかった話

    高齢男性の病気と思われがちな膀胱癌。30代前半だった自分(女性)という全く当てはまらない属性にも起こった記録。

最近の記事

体外受精の記録(3)移植前のポリープ除去手術

人生2回目の手術採卵をして、移植をする前に行った内視鏡検査。そこで、子宮内にポリープがあることが報告された。画面にうつった、でろんと垂れた赤いそれは、私の気分を萎えさせるのに十分だった。 膀胱癌が見つかったときも、こんな感じだった。映像に、なんか違うものが映る。「あぁ、また何かあったんだな」と思う。 「ポリープがあったので、移植前に取りましょう」 「提携している病院があるので、そちらへ」 ということで、提携先の病院に行った。 もうすでに手術をすることは決めていたので、手

    • 体に残る森の湿り気と香り(映画:アイヌモシリ)

       「アイヌモシリ」とは、アイヌの人たちが自分たちの生活領域を呼ぶ時に使った言葉。(出典:国立民族学博物館)  母方が北海道で、小さい頃から北海道には親しみがあったし、訪れる中で親にアイヌの博物館に連れて行ってもらったこともあった。ニュースでも度々目にしていたし、大人になってからも北海道をフィールドにして遊んだり、東北まで続くアイヌ文化に関する本も読んでいたりもしていたので、興味はあった。1つ1つに意味のある言葉、不思議な音、自然からいただく、共生することを前提に育まれた文化

      • 若くて瑞々しい才能に圧倒された(映画:泣く子はいねぇが)

         2020年の12月頃、同年代の界隈で、話題になっていた「泣く子はいねぇが」。 秋田をフィールドに、若いチームと地元が一体になって作り上げた映画、エネルギーを感じる。そんな友人の間での前評判をチラ見しながら、映画館に足を運んだ。  映画が終わった第一声は、「良かった」だった。  若くて、瑞々しい。画面に飛び交うすべてのことがらが、とても瑞々しかった。20代の登場人物の、どうしようもない幼さやエネルギー、踏ん張り、10代から持っている子どもっぽさを超えようとする意思、親・家

        • いわき裏ツアーを自分で回ってみた記録(後編・完結)

          いわき裏ツアーを自分で回ってみた記録、後編。前編、中編は以下。 前編では、なぜこのツアールートを回ってみようと思ったかということ、中編では、ロッコクを中心におもにエネルギー関連のことについて回った場所、感じたことを書いた。後編では、新復興論でも触れられていた文化面について記録を書いていく。 まちの文化についての前提の個人的な考え方 新復興論の中で、復興とはなんぞやという問いかけに対して、残っていくもの、語り継がれていくものとして「文化」が重要であるという指摘があった。 私

        体外受精の記録(3)移植前のポリープ除去手術

        • 体に残る森の湿り気と香り(映画:アイヌモシリ)

        • 若くて瑞々しい才能に圧倒された(映画:泣く子はいねぇが)

        • いわき裏ツアーを自分で回ってみた記録(後編・完結)

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        • 女性・30代前半で膀胱癌が見つかった話
          15本

        記事

          約束の地、読了

           2008年よりアメリカ大統領を2期務めたバラク・オバマ元大統領の回顧録。 上巻下巻ともそれなりのボリュームがあり、上巻を読み始めてしばらくしてもいつ読み終わるんだろうか・・・と思ったりもしたが、大統領に選出された段になってからは、息をつく暇もないほどの難問続きに、読んでいるこちらまで、オバマ氏と家族、閣僚、スタッフのタフな毎日を追体験するようで、緊張とともに一気に読み終えてしまった。 全くまとまっていないけれど、読んだ記録を残しておく。 改めて、オバマ氏が大統領に選出され

          約束の地、読了

          体外受精の記録(検査、採卵、移植・・!とは行かず)

          専門病院だからこその早さなのか、どんどん進む治療。ステップとして、人工授精(AIH)は前の病院で完了していたこと、また年齢を鑑みても、基本は体外受精で進めようと言う認識は医師と共有した。 その上で、どのような方法で進めるのが良いのか、また治療をできる状態なのかを確認するために、以下のような検査が行われた。 ・私自身に病気はないか(子宮頸癌や梅毒など) ・卵ができる機能は年相応か ・夫のコに問題はないか 結果、 ・私自身の病気はなし ・卵巣の年齢も年相応である ・ただし、

          体外受精の記録(検査、採卵、移植・・!とは行かず)

          いわき裏ツアーを自分で回ってみた記録(中編)

          なんとなく行けていなかった福島県沿岸(浜通り)。震災のあの日から10年。新復興論を読んで、追体験ができたこともあり、今行かなくていつ行くんだとパートナーと2人でいわきに出かけた。(前編はこちら) 出発前に、新復興論を元にしたツアーマップを作った。本にあった通り、確かに1日で回れそうだったけれど、折角なので1泊して2日かけて回ることにした。 セルフツアーの記録 - 泉駅前に降り立つ 常磐線に揺られ数時間、福島県の泉駅に降り立った。駅の前に可愛らしい絵柄が書いてあるタクシーが

          いわき裏ツアーを自分で回ってみた記録(中編)

          体外受精の記録 (はじまり:病院選び)

          病院選びのあれこれ AIHを行っていた病院では高度医療にあたる体外受精は実施できないということだったので、体外受精に進むという決断をした時点で新しい病院を探す必要があった。 AIHで比較的頻繁に病院に行かなければいけないことが分かっていた、かつ新型コロナウイルス感染症の関係で子夫を持ち運ばなければいけなかったので、家から遠くても1時間圏内で探した。 また、できれば人口が密集している地域には出たくなかった。 これだけ、選択肢があるということをありがたいと思いつつ「体外受精」

          体外受精の記録 (はじまり:病院選び)

          リモートワーク継続決定。個人的な「これからの家探しの条件」

          少ない部屋での2人リモートワークの限界パートナー共々よく働き、よく遊びという言葉を体現するような夫婦だった。 なので、現在の住居に引っ越すときも家の中は最低限の広さとコミュニケーションを取れる場所があればよく、周囲の環境(飲食、歴史文化、自然環境等)を自分たちがどのくらい遊び倒せそうかという基準で選んでいた。 結果、選んだ場所はものすごく楽しかった。 江戸の五街道である街道沿いの文化が栄えたことを思わせる石門や縦に長細い敷地。昔からある町だからこその個人店の多さ、集まってい

          リモートワーク継続決定。個人的な「これからの家探しの条件」

          いわき裏ツアーを自分で回ってみた記録(前編)

          2011年の記憶2011年の3月11日、私は日本にいなかった。たまたま海外に短期で遊びに出ていた。 街を歩き回ってホテルに到着すると、ホテルスタッフの方から「日本の方ですよね、今日本で災害が発生しています」「何かできることがあったら連絡を」と伝えられた。 何のことか分からず、部屋に上がってテレビをつけた。 日本で大きな地震が発生していた。一緒に来ていたパートナーと双方の親きょうだいに連絡をとり、無事を確認した。一安心して、不安は少しあるものの親族の無事を確認し、家屋等被害も

          いわき裏ツアーを自分で回ってみた記録(前編)

          AIHに3回挑戦して諦めた記録

          不妊治療についての話し合い「不妊治療を始めてもいいかもしれませんね」という婦人科医師からの提案から1ヶ月ほど経った。 医師からの提案は、少し考えてから夫にも伝えた。 私は「先生から人工授精を始めても良いのではと言われたよ」「自己負担にはなるけれど、ファーストステップは体への負担も少ないし、そうして考えると始めても良いのではと思う」と伝えた。 その時の夫の反応はとってもナチュラルで、「どんなことするの?」「どのくらい大変になるの?」「どんな仕組みなの?」と質問重ね。 少し

          AIHに3回挑戦して諦めた記録

          AIHの記録と不妊治療から学んだこと

          30代前半、自然妊娠実らず癌発見、2年治療期間を経て30代後半にAIHへ 癌が発見される前に、1年の期間に自然妊娠ができず 何か問題があるのではと調べていたところ、1点だけ甲状腺の値が「流産しやすい」橋本病に近い傾向にあることが発見された。 通常に生活している分には問題がないけれど、妊娠を望む場合には数値をコントロールしておいた方が良いということで、癌の経過観察中もチラージンを飲み続けていた。 経過観察期間が終わり、再度婦人科を訪れると以下のようなやりとりが。 先生「

          AIHの記録と不妊治療から学んだこと

          ディエゴ・マラドーナ 二つの顔 - 映画

          閑話休題的な。2月に見た映画のことなど。 ーーーーーーーーーーーー 県を超えた移動もできないし、アウトドア遊びもあまりできないし 舞台もやっていないので、映画を見始めたらハマり始めた映画ループ。 最近見た映画の中から1つ。「ディエゴ・マラドーナ 二つの顔」(原題:DIEGO MARADONA) 小学校時代に地域の女子サッカーに入っていて 小学校の頃がJリーグの創成期に重なり、だいぶサッカーが盛り上がっていたこともあり 今も親しみがあるスポーツといえば、サッカー。 めっ

          ディエゴ・マラドーナ 二つの顔 - 映画

          癌の発見から、1年が過ぎた

          あれから1年。 2018年11月のある日、母から「1年経ったね」というメッセージが届いた。 そうだ、1年経った。 子どもを授かれなくて、授かるという希望を頼りに生きるのが怖くて転職活動を始めた。 始めた矢先に「膀胱にできものみたいなものがある」と言われた。 腫瘍だった。考える間も無く、入院の準備、手術、入院、退院、腫瘍は悪性であることの知らせ。 気丈に振る舞っていた母だったが、きっと「なぜ、なぜ」とずっと思っていたに違いない。 その後の検査では何も見つからず 退院後

          癌の発見から、1年が過ぎた

          BCG後、初の内視鏡検査

          春の雰囲気を素直に受け入れられない検査前2018年、最後のbcg治療が終わってから2週間かそのくらいで新しい年度が始まった。至るとこで桜が咲き乱れ、まちには出会いと別れ、新たな旅立ちが溢れる。  春の空気は好きだ。つぼみが膨らみ始め、春の空気が漂い始める2月。 虫や動物が、植物が蠢き始める3月。そして、春の陽気がそこかしこに溢れ、新た旅立ちの季節となる4月。  毎年毎年、春は大好きで新たな季節と出会いにワクワクするのに、今年はずっと気持ちが晴れなかった。 年度の仕事を終え

          BCG後、初の内視鏡検査

          病理検査の結果を知った日、堰き止めていたものが溢れ出した

          結果の記録病理検査結果を知る日。 多分悪性だろう。と思ってる。 でも半分、血尿出てないし、細胞診でもグレーだったし、良性ってこともあるかもしれないと、少し期待してた。 待合スペースでまつ。 こんなこと、考えてもしょうがないんだけど 泌尿器科の隣が産婦人科。 女の方がたくさん、旦那さんもいらしたりして。ぷっくりとふくれたお腹で歩いてる。 もちろんいろんな事情の方がいらしてるから、私が偏った見方をしてることも分かってる。今になってみれば、そう思う。妊娠だって一筋縄じゃない。

          病理検査の結果を知った日、堰き止めていたものが溢れ出した