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いわき裏ツアーを自分で回ってみた記録(後編・完結)

いわき裏ツアーを自分で回ってみた記録、後編。前編、中編は以下。

前編では、なぜこのツアールートを回ってみようと思ったかということ、中編では、ロッコクを中心におもにエネルギー関連のことについて回った場所、感じたことを書いた。後編では、新復興論でも触れられていた文化面について記録を書いていく。

まちの文化についての前提の個人的な考え方

 新復興論の中で、復興とはなんぞやという問いかけに対して、残っていくもの、語り継がれていくものとして「文化」が重要であるという指摘があった。
私自身それには全面に同意する。津波被害が大きかった街を歩いた時に、巨大な防波堤の内側に建設された、やたらに広い道路と整備された区画を見て、断絶のようなものを感じた。もちろん文化というのは、一朝一夕でできるものではないし、以前の風貌を全くなくしてしまったような場所にも、人さえいれば新たな文化はできていくだろう。
 でも、私は文化というのは、長らくその土地を取り巻く気候風土によって出来上がっていったものであると思っている。それが、東北を作ってきたし、各エリアを作ってきた。特徴付けてきた。だから、あの、巨大な防波堤の内側の建築物に、その土地に住んでいた方達の想像だにできない葛藤と時間がない中での意思決定をする必要があったという制約があったということはわかりつつも、違和感を覚えたのだった。

 この話は復興に限らない。所有者が代替わりして昔ながらの家敷地や商店ではなく、単なるマンションが立ち並ぶ街に移行していく、まさに今日の日本全体に当てはまると思っている。東京のまちにさえ、歴史はある。その歴史は日本を縦横無尽に走る河川と山々、都と地方などの間でできあがった道、気候や土地の形によって「そうせざるを得なかった」まちの形。

でも、そうせざるを得なかった町の形だからこそ、まちの特徴が形作られた。食文化もつくられた。現代の技術をもってすれば、多くのまちは平均化できてしまうだろう。便利で、そこそこ快適で、現代の人が好むようなまち。

でもそんな、似たようなまちばかりになったとしたら、50年後、100年後、どんな風になっているだろうか。人が減っていく中で100年後も文化的に豊かな場所であるために、わたしは、「まち」は、その場所独特の文化を育む余地を残し続けるべきだと思っている。

一大エネルギー生産地としてのまちの文化

「カハツの前がいい」そう話した女生徒がいたように、私たちは滞在中あらゆるエネルギーの生産現場を目にしたし、遺構も見た。縦軸にも横軸にも無尽に「エネルギー」がいわきにはあった。
私は、この力強く動きつづけるこのエネルギー生産地自体が、もはやいわきの文化を作り始めているだろうと感じた。きっと、いわきで育って、外に出た子どもは思うはず。「えんとつも、格好いい港も、何もない街があるんだな」と。

 そして、著者が書いていた「エネルギー産業があったからこそ」のソープ街や、お湯が水道と同じように流れるなんていう歴史。なんとも面白い。実際に、紹介されていたソープ街も真昼間に歩いてみた。イオンの道路向かいにある普通の住宅街の中にあるソープ街。本当にふつうに住宅街の中にある。

なんというのか、静かなエネルギーを感じた。向かいの道路を超えたところでは、ショッピングや食事を楽しむ家族や旅行者。それをちょっと引いたところから見ているような。見え隠れするような。面白いコントラストだった。

いろんな場所から見える力強いエネルギー、そのエネルギー産業に付随してできた商売、人の気質。これはもう立派な文化だ。そう感じた。

アートや個人の発信するギャラリーなど

本でも紹介されていた回廊美術館にも行った。あいにくの雨の中だったけれど、周りには誰もおらず、ちょっと湿った板の上をゆっくり歩いた。
回廊美術館が作られた経緯や、海外での展示の記録などをゆっくりと、ぐねぐねとした道を歩いていく。湿った木と、少し時間が経った埃っぽい匂いと、周りの土草の匂い。全部が合わさって1つの美術館になっているような。
階段を登ると、そこにはオルガンとノート。人が集まれる場所だけれど、そこにはその日誰もいなかった。

現代美術を見るのはとても好きで、色々な国際芸術祭にも行ったし海外でも現代美術館があれば訪れる。そこで、飾られている「誰かがいた雰囲気」よりも圧倒的に、こちらの方が不思議な残り香があった。

最後まで登ると、そこには引き上げられた船の残骸が街に向かって、空に向かってその姿を晒していた。朽ちていくのも作品のうち。10年後に訪れたらどんな風になっているだろうか。

他の町で、震災後に建てられたギャラリーなども訪れた。そこには、新たに人が集まり、あらたなエネルギーが溜まっていた。双葉のまちの壁面に描かれたグラフィックも。全部無くす、ではなくて合間に新しいエネルギーの流れが発生するようにつくる、人が集う場をつくる。あるものを壊さずに、あらたな意味を加える。

そうしたことが、全て新しいいわきや浜通りの表情を作り出していると感じた。

やっぱり、5年後、10年後に訪れるのが楽しみだ。

終わりに

全部で1泊2日の裏いわきツアー。
まずは、新復興論のおかげで、肩肘張らず、ソトモノとして福島を訪れる機会を作ってくださった小松氏には感謝しかない。震災があった場所というだけではなくて、まちそのものを多重に楽しむことができた。
感染症のことがあったので、極力人との接触は避けて行動してしまったので、この時期を超えたらぜひもっと地元の飲食店とか、そういうところにも訪れてみたいと思う。

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