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2021年10月の記事一覧
「タダほど高いものはない」は自己成就的な予言
「タダほど高いものはない」と思っているから、相手に負い目を感じてしまう。そして、何か頼まれると断れなくなる。
「タダ? ラッキー」というフリーライド気分を満喫すれば、負い目を感じることはない。何か頼まれても平気で断ることができる。
「え? この前、●●あげたやん?」「いや、それとこれとは話が別だし、気にしないでいいって言ってたやん?」「・・・」
で、終了というわけだ。
実際のところ、過去の
「有難う御座います」の気持ち悪さ
何でもかんでも漢字にしたがる人っているよね。まぁ勝手に漢字にする分には好きにしてくれれば良いんだけど、たまに行き過ぎて、迷惑をかけてくる人もいる。
例えば僕が、「〜する事」ではなく「〜すること」みたいに平仮名の表記をあえて採用した原稿を送ったとき。「こと× → 事○」みたいに、わざわざ赤入れしてくるような人だ。
まるで、僕が「事」という漢字を知らなかったり、変換のミスをしていたりするかのように
「他人に迷惑をかけない限り自由」とは「何も自由ではない」に等しい
「他人に迷惑をかける」なんて、自由自在に解釈できる。
「金髪に染めた大人は見ていて不愉快」
「若者が夜に遊び回るのは、子どもの教育に悪い」
「大手企業に就職をしなければ、親に心配をかける」
「スーツを着ないことは、取引先に不快感を与える」
うん。すべて「迷惑」で解釈できる。これがまかり通るならば、いったい何が自由だというのだろうか?
本当に自由を求めるのなら、原則は次のようであるべきだと思う
もしも誰か1人に、好きな書類にサインをさせることができるなら
誰に、どんなサインをさせるだろうか?
ビル・ゲイツに小切手を書いてもらうか。それともバイデンに核兵器撤廃の署名を求めるだろうか。ハーバード大学の卒業証書なんかも悪くない。地中海のボートの上で震えている難民ならビザを欲しがるだろうし、離婚届に妻がサインすることを望む人もいるかもしれない。
紙きれ1枚は、ただの紙切れ。しかし、特定の人物がサッとペンを走らせるだけで、命を救ったり、国境線を書き換えた
男女雇用機会均等法なんて廃止してしまえ
だって、誰も守る気がない法律なんだもの。
僕は求人広告の仕事をしているけれど、求人広告を制作するときに最初に教わることは「女性歓迎と書いてはダメだから、女性活躍中と書きましょう」というルールだ。
この時点で、差別する気満々だ。
求人広告の営業も、制作も、当たり前のように「採用したいのは男性ですか? 女性ですか?」と質問し、企業の人事担当者も「30代後半の女性を採用したいですね〜出産で抜けられ
名詞ではなく、動詞で自己紹介をしよう
名詞はステレオタイプ化を避けられない。なぜなら、名詞とは対象をステレオタイプ化したものだからだ(カント構文)。
ステレオタイプ化されることを望む人は、あんまりいないんじゃないだろうか。実態以上に評価されると気持ち悪いし、実態以下に評価されると気分が悪い。
名詞(例えばプロゴルファーとか、専業主婦とか、デスメタルオタクとか)をその人に張り付けて、その人を評価するということは、その人の自由を奪うと
「お前らのために怒ってるんと違うで。ムカつくから怒ってるんや。」
どんな文脈で言われたのか忘れたけれど、このタイトルは高校生のとき数学の先生が言った言葉だ。
僕はこれを聞いたとき、「この人は誠実な人だなぁ」と思った。当時の僕は、その理由を説明する言葉を持っていなかったけれど、とにかくそう思った。
僕たちは大抵「お前らのため」に怒られる。これが嘘だということは誰しもが知っていることだけれど、嘘ではないと信じるフリをしなければならないと憲法に書いてある。不文律と
人に本を勧めて、それを読ませる唯一の方法
「オススメの本ない?」という質問に答えることは、世界で最も無益な営みの一つだ。
人に本を勧めてそれが読まれる確率は、雷に打たれる確率より低く、宝くじの一等に当たるよりは高いくらいだと、ネイチャーの論文に書いてあった。
本人の自発的な購買行動を待つ場合であっても、「え、面白そう、貸してよ!」と言われて、貸した場合であっても、その確率は変動しない。
つまり、本を貸してしまった場合、それが返ってく
20冊の読書を犠牲にして、1冊の本を読む
そんな読書をしている。カント、お前のせいだよ。
いま、『純粋理性批判』を読んでいる。僕は哲学というものを歴史的な文脈に沿って理解することは少なくて、あくまで今の自分と一対一の関係で読むことが多い。要はマイナーな哲学書でも興味があれば読むし、メジャーでも自分に関係ないと思ったら読まない。
どうやらカントは文脈から言えば超重要らしく、人文学系だけではなく、自然科学系の本にもちょくちょく引用されてい
タピオカ屋はおっさんに包囲されている
大阪市内の北東側、京橋という街がある。大阪から京都に向かう方向にかかる橋があるから京橋と言うのだろうか。知らないけれど、とにかく京橋という名前がついている。
京橋を特徴づけるものの1つは、昼から空いている立ち飲み屋だ。仕事をしているのか、していないのかよくわからないおっさんたちが、そこで野球中継を観ながら焼酎を飲んでいる。
どういう経緯かは知らないが、京橋界隈は小さな工務店のような会社が多い気
自由とは、他人に評価されないこと
「人は自由から逃走する」とか「人は自由の重みに耐えられない」とかそういうことを言う人は多い。自由というのは自立した強い個人でなければ耐えられないし、自由になることを恐れる人もいる、というわけだ。
僕はこの言説にずっと違和感を持っていたが、その正体がわからず、明確な反論を思いつかずにいた。しかし今日、街をぶらついているときに、「自由を恐れる人もいる論」の過ちに気づいた。
そもそも‥子育てをしたこ
人は老いるのではなく、老いさせられる?
生物的な年齢と、社会的な年齢は違う。生物的に人は老いるけれど、それとは別のスピードで社会的に老いていく。
生物的に言えば29歳と30歳の差に、大した意味はない。たまたま10進数を採用している僕たちが、たまたま区切りの良さを見出しただけだ。
それでも、社会的には大きな断絶がある。20代には可能性が与えられるが、30代は徐々に閉ざされていく世界を生きている。すでに一定の地位や財産を確保し、人生の方
親ガチャの議論をしている人は全員、僕のnoteを読め
親ガチャの議論には、根本的に足りていないものがある。それは職業格差の問題だ。
ちょっと順を追って説明しよう。
親ガチャという言葉を使う人がボヤいていることは大抵は次のようなことだと思う。
親が底辺なせいでお金がなく、まともに教育を受けられなかった。そのおかげで低学歴で底辺な仕事にしかつけなかった。
あるいは
奨学金の返済で生活が苦しい。
とか、そんなところだろうか(ルックスの問題はちょ