親ガチャの議論をしている人は全員、僕のnoteを読め

親ガチャの議論には、根本的に足りていないものがある。それは職業格差の問題だ。

ちょっと順を追って説明しよう。

親ガチャという言葉を使う人がボヤいていることは大抵は次のようなことだと思う。

親が底辺なせいでお金がなく、まともに教育を受けられなかった。そのおかげで低学歴で底辺な仕事にしかつけなかった。

あるいは

奨学金の返済で生活が苦しい。

とか、そんなところだろうか(ルックスの問題はちょっと無視しよう)。

で、ここに隠れている願望は明らかに次のようなものだ。

俺もまともな親に生まれて、いい大学を出て、高収入の仕事がしたかった。

なるほど、その気持ちはよくわかる。

でも、本当の問題を君は見逃している。それは学歴がなければ高収入を得られない社会システムの問題だ。

なぜ、高学歴の方が給料が高く、低学歴の方が給料が低いことを、当たり前のことと受け入れているのだろうか?

僕が言いたいのはこういうことだ。

中卒でも就ける職業であっても、十分な収入が得られるような社会システムがあれば、教育格差なんて問題ではない。

高学歴というのは主にブルシットジョブ(ホワイトカラーのサラリーマン)に就くような人たちだ。ブルシットジョブは社会にとってクソの役にも立たず、ただ謎の儀式に骨身を削りながら不当に搾取をしている集団であるということは、『ブルシット・ジョブ』を読めばわかる。

分かりやすく言うと、学歴が高ければ雨乞いの能力が高いということになっていて、運よく雨乞いの仕事に就けば、大量の米をゲットできるようになっているような感じが今の社会だ。

ホワイトカラーが雨乞いに終始している傍ら、実質的に社会に富を生み出しているのは、(主に)高卒のブルーカラーだ。しかし残念ながらそういう人たちは収入が低く、子に投資できないため、親ガチャにおいてはハズレだとみなされる。子に投資できなければ、子もブルーカラーになる傾向にあり、貧困は再生産される。

じゃあ、低学歴と高学歴の収入に差がない社会になればどうなるか?

わざわざ大学に行く必要があるだろうか? 勉強したい人だけが行けばいいだろう。

親が高学歴だろうが、低学歴だろうが、気になるだろうか?

そんなことはどうでもくなるはずだ。

つまり、教育の格差など枝葉末節に過ぎない。教育を受けなければ富にアクセスできないという仕組みが問題なのだ。

みんなが勉強しなければ社会が進歩しなくなる!

とかいう人は、大卒が増えるにつれて経済成長が止まっているという事実で論破できるんじゃないかな? 最近はテクノロジーの発展も停滞気味だし(いつまでたってもAIはゴミだし、量子コンピュータもゴミだし、宇宙エレベーターも空飛ぶ車もない。初めて人類が月に行ってから60年たったなら、そろそろオリオン座に到達して欲しいものだ)

給料というのは、スキルの希少価値で決まるべきだ!

という人は、価値と希少価値を混同している。1秒間に10キロのうんこができる人はジェフベゾスよりも希少だけれど、ジェフベゾスよりも高い給料を得るべきというのだろうか?

役に立っている人が高い給料を得るべきだ!

という人はあなたの会社の上司でも思い浮かべればいい。会社員なら、上司というのは部下の仕事の邪魔をするご褒美として給料をもらっているじゃないか?と感じた事は一度や二度ではないだろう。たぶんその通りだ。邪魔な人が高い給料をもらっている実例なんて、無限に思いつくんじゃないだろうか。実際のところ、そういう社会の仕組みになっているのだ。

結局、いまの社会は椅子取りゲームなのだ。給料が高い椅子が、必ずしも社会に役立っているとは限らない。むしろ逆だ。

もちろん椅子取りゲーム自体もブルシットジョブの巣窟だ。受験産業も大学も、クソの役にも立たないペーパーテストとか「考える力を養う」とかどうでもいいことをやっている。

ならば、椅子取りゲームなんて無駄なことは、社会全体で無くす方向に向かうべきだろう。

繰り返すが、底辺職でも十分な収入が得られる社会なら、無駄な椅子取りゲームはなくなる。マクドナルドのバイトで庭付き一軒家に住めるなら、最高だ。

どうすればそんな社会になるのか? それはわからないけれど、家賃と食費と水道光熱費をゼロにするか、適当にベーシックインカムでも配ればいいんじゃないかな?

で、金持ちから死ぬほど累進課税しとけばいい。もちろんピケティスタイルで資本からも課税だ(「金持ちが海外に逃げるじゃないか!」とかいう奴は2つの意味で間違ってるが、めんどくさいので説明はしない)。

死ぬほど課税すれば、格差も無くなるし、劣等感も消える。

そして、未来永劫、子々孫々まで、生活が保障されるとわかれば、家庭内暴力をするような理由もほぼなくなるだろうし、見た目もそんなに気にならなくなるんじゃないかな?

つまり親ガチャの問題は100%解決する。最高だ。

もちろん、こんなにうまく行くことはないと思う。色々と問題も起きるだろうが、まぁなんとかなるやろ。


何が言いたいのかと言うと‥

親ガチャの問題が起きるのは、親が悪いんじゃなくて、社会が悪いのだ。まぁこれは努力しない言い訳と言われればそれまでなのだが、その「努力」とやらは結局クソみたいな社会システムを維持する方向の努力なのだ。

そんな努力はする必要はないと思う。

なので、社会を転覆する努力をしてもらえると僕としては嬉しいのだが、みんながみんなそんなことができるわけではない。

ならば合理的に幸せを追求すればいいんじゃないかな?

真面目な話、年収400万を越えれば、あとはいくら稼いでも幸福度は大して上がらないらしい。ならば年収400万を超えて金を求める奴はバカと思って差し支えない。金を求めるのはコスパが悪いのだ。

400万円が夢のように感じる人なら、破産したり、刑務所に入ったり、田舎に逃げたり、色々やれば幸せになれるだろう。別にマクドナルドのバイトでも生きていけるし、努力なんてせずにマインドセットを切り替える方向に舵を切ろう

あぁ、社会が悪いよ社会が。誰が努力なんてするかバーカ。偉くて賢い人たちは、われわれ凡人のためになんとかしてくれよ。

1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!