もしも誰か1人に、好きな書類にサインをさせることができるなら
誰に、どんなサインをさせるだろうか?
ビル・ゲイツに小切手を書いてもらうか。それともバイデンに核兵器撤廃の署名を求めるだろうか。ハーバード大学の卒業証書なんかも悪くない。地中海のボートの上で震えている難民ならビザを欲しがるだろうし、離婚届に妻がサインすることを望む人もいるかもしれない。
紙きれ1枚は、ただの紙切れ。しかし、特定の人物がサッとペンを走らせるだけで、命を救ったり、国境線を書き換えたり、人生を狂わせたりするような、魔法の効果が生まれる。
僕にはそこまでの魔力はないものの、初歩的な魔法なら使うことができる。銀行や役所で手続きをしていると、自分が魔法使いになったような気分になる。
サインをして印鑑を押せば、巨大な官僚機構の歯車が回りはじめ、お金を振り込んだり、住所が移ったり、子どもが生まれたりする。
書類に不備があると突き返されるときは「おっと呪文を間違えたようだ」という感覚だ(「1-2-1じゃなくて1丁目2番1号と書いてください」)。
レヴィオサーじゃなくて、レヴィオーサーだったよ、ハーマイオニー。
顔写真付きの身分証を提示するときに「マスクを外せ」と言われないのは、顔をチェックすることなんてどうでもいいからだ。ただ単純に顔写真がなければ、魔力が弱いわけだ。うん。同じ人に保健証を提示して反応を見てみよう。
このように考えると、電子署名とかそういうものを拒む気持ちもわかる。だってデジタルじゃ魔力が弱いもの。
(「儀式に使う八尺瓊勾玉は非効率なので、ビー玉にしません?」と言われているような気分だ。天皇陛下は怒るだろうなぁ。)
でも、デジタルじゃダメな理由も説明するのは難しい。魔力が足りないからですと言えば僕は納得できるが、みんな納得するのだろうか。改めて考えれば人間は不思議だ。地球の外側に生命体がいたとすれば、紙切れに固執する僕達を笑うのだろうか?
その生命体はどんなフィクションを信じてるのだろう。
とかそんなことを考えている人が人類学者になるのかもしれない。エキゾチックで不可解な儀式に固執する狩猟採集民が、何を考えているのか知りたくなるわけだ。そして僕たちもエキゾチックだということに気づく。
さて今日も、魔法の世界へ出かけよう。
1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!