「他人に迷惑をかけない限り自由」とは「何も自由ではない」に等しい

「他人に迷惑をかける」なんて、自由自在に解釈できる。

「金髪に染めた大人は見ていて不愉快」
「若者が夜に遊び回るのは、子どもの教育に悪い」
「大手企業に就職をしなければ、親に心配をかける」
「スーツを着ないことは、取引先に不快感を与える」

うん。すべて「迷惑」で解釈できる。これがまかり通るならば、いったい何が自由だというのだろうか?

本当に自由を求めるのなら、原則は次のようであるべきだと思う。

他人に迷惑をかけようがなんだろうが、自由。

うん。最高だ。

そもそも、「他人に迷惑をかけない限り」という前提がおかしい。

なぜ、人は自由になった途端に、好き好んで他人に迷惑をかけると想定しているのだろうか?

僕は完全に自由になったとしても、他人に迷惑をかけたいとは思わない。

別に誰も殴らないし、何も盗まないし、そこそこ他人を思いやって生きていくと思う。

たいていの人は、僕と同じではないだろうか?

(そりゃあごく一部のサイコパスは好き放題やるだろうが、どうせ今の社会も合法的に一部のサイコパスが好き放題やっている社会なのだから、別に問題ではない。)

もちろん、不意に迷惑をかけられることもあるだろうが、当事者同士で話し合えば良い。仕返しに殴っても良いし、罵っても良い。

迷惑が存在しないユートピアは、同時に全てがコントロールされたディストピアでもある。住みたいかね?

適度な迷惑は健康な証拠。人間だもの。

みんな、僕に好きなだけ迷惑をかけてくれ! 

1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!