「有難う御座います」の気持ち悪さ
何でもかんでも漢字にしたがる人っているよね。まぁ勝手に漢字にする分には好きにしてくれれば良いんだけど、たまに行き過ぎて、迷惑をかけてくる人もいる。
例えば僕が、「〜する事」ではなく「〜すること」みたいに平仮名の表記をあえて採用した原稿を送ったとき。「こと× → 事○」みたいに、わざわざ赤入れしてくるような人だ。
まるで、僕が「事」という漢字を知らなかったり、変換のミスをしていたりするかのように。
「好みの問題だ」ということがわかっている上で、「あなたの好みはそっちなのだろうけれど、私の好みはこっちだから変えて欲しい」という依頼なら構わないのだけれど、どうもそうではないような雰囲気がある。
「漢字に変換できるものは全て漢字に変換することがマナーである」的な顔をしながら指摘してくるのだ。
マナー教えてくれる系の人は、こういうカルト臭いところがあるから嫌いなんだよなぁ。
慇懃無礼という言葉を教えてやりたい。「丁寧にしておけば良いんでしょ?」的な浅ましい考えが透けて見えるのだよ。
でも問題があるとすれば(これは結構な大問題だと思っている)、慇懃無礼の意味を理解していない人同士なら、慇懃無礼な態度が通用してしまうということだ。つまり「丁寧にしておけば良いんでしょ?」と考えている人と接するときは、「丁寧にしておけば良い」のだ。そして、慇懃無礼な人が再生産されていき、慇懃無礼ウイルスが増殖していく(「マナーもちゃんとしていない人が、仕事ができるわけがない」という何の根拠もない論理は、「マナーがちゃんとしていれば、仕事ができる」という風に簡単に倒錯する)。
その結果、「こと」を漢字に変換するように指摘してくる人が誕生するのだ。
一方で「全てを漢字にすると読みにくいし、固い印象を受けるし、漢字の意味が強すぎて本来の日本語の意味が把握しにくい場合もあるので、あえて平仮名を使うことも有効だ」という考えは、ウイルスのような繁殖力はない。このような多様性を尊重する判断をする人は、全てを漢字表記している人のことも「まぁ、そういう人もいるだろう」と理解を示す可能性が高い。だから、漢字を多用する人のこともあえて指摘することは珍しい。それに、あくまで好みの問題であるということを理解しているが故に、その部分だけでその人の能力を評価しようともしないだろうから、わざわざ平仮名表記にするインセンティブも働かない。
そして、徐々に慇懃無礼を嫌う僕のような人間は、マイノリティと化していくだろう。いつの日か「有難う御座います」が多数派になる日が来るのかもしれない。
マナーのディストピアの誕生だ。あぁ、くたばれアマチュアマナー講師ども。
1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!