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短編小説「オフィス」



 今さっき廊下ですれ違った新入社員の陰口を耳にした時、私は不意に妻との会話を思い出した。




 窓の外の季節もうろ覚えであるリビングで展開された出来事である。「会社のオフィスは学校みたいで楽しそう」と、若い顔立ちのよい男性がテレビでそんなことを話していた。テレビの正面に配置された空色の3人掛けのソファに妻と私は腰をかけ、ただぼんやりとその番組を眺めていた。その番組の趣旨は芸能人が企業訪問のような体で色々な会社を見学するものであった。




 私の右隣で携帯をいじり、テレビを見るのではなくラジオのように聴いていた妻が呟いた。「オフィスが学校なんて堂々と言える人は幸せ者だよね」「なんでそう思うの?」「だって、そんなことが言える人は、学校で何のストレスもなく生きてこれた人なんだよ。『学校と同じ職場ですね』ってもし私が言われたら、胸が苦しくなるもん」妻は私との会話中も携帯から目を離さずに答えた。私は妻の意見に納得し、「なるほど」と小さく相槌をした。





 妻は私の相槌が嬉しかったのか、少し得意気になり、こう続けた。「でも、きっとあの子が言うように学校と同じ部分もあるよね。オフィスにはあるよね———」





 「それは〝イジメ〟かい?」私は給湯室で楽しそうに談笑していた女性社員2人に向かい、ストレートな質問をぶつけた。「どうしたんですか係長?」2人のうち年上の女性社員が少し困惑した顔で答えた。「いや、今ここにくる途中に先月入社した新人の子とすれ違ってね。そしてここに着いたら、君達が彼女について話している声が聞こえたんだよ」私は毅然とした態度で2名を睨みつけた。





 「私達、何も言ってませんよ?」「はい、ただ先輩と話していただけです。何かの誤解だと思います」2人のあくまでしらを切る見苦しい態度が、私の内心に波風を立たせた。「いや、すまんが聞こえてきてしまったんだよ。言っていたじゃないか、『新人の子、もう辞めちゃえばいいのに』と、確かに話していた。そして、私が懸念しているのは、彼女もその内容を聞いてしまい、居た堪れなくなりこの場から離れた。そして私とすれ違った可能性があるという点だ」私の自信な満ち溢れた考察を聴き終わると、申し訳なさそうに年上の女性社員が話し出した。




 「係長、すみません。確かに話しておりました」「やっぱりそうじゃないか」「しかし、違うんです」「何が違うんだ?」「私たちが話していた言葉は正確にはもう少し長く、気を悪くしないでくださいね」「何を訳のわからないことを言っているんだ?」「私たちが話していたのは『係長のお茶汲みなんて、新人の子、もう止めちゃえばいいのに』です。係長が彼女にいつも頼むお茶汲みに対しての苦言だったんです」私はすれ違った彼女が手に持っていたお盆と私の湯呑みを思い出した。そして、オフィスも学校と同じようにイジメが存在し、イジメるる側は無自覚ということを再確認させられた。





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