見出し画像

短編小説「心象」


 


 「他の職員が何度も話しているようですが、登校される児童並びに近隣の方からのクレームが来ております。このままですと我々の対応としましても警察の方へご連絡をしなければいけなくなりますので、何卒お引き取りください」スーツ姿の若者は、身に纏う服と同く折り目正しい言葉を路上に座り込む一人の男に語り掛けていた。若者の背には校門があり、それに接する塀が校舎を一周し取り囲んでいる。そして塀の上からは歩道へ少し身をよじらせるように、幾つかの裸木はだかぎが伸びていた。それらはすべて桜の木であり、本来は来訪者を歓迎するように植樹されているが、今日はその限りではないようである。
 

 

 
 

 つまり、若者が対応している男の身なりや主張が、あまりにもこの教育機関に似つかわしくないのである。男の履いているダメージジーンズはこれ以上のダメージには決して耐えられないほど重症化しており、上半身は生地の薄い上着を何枚も身に着け、髪の毛は散切ざんぎりり頭と称することもできないほど、雑に短く刈り揃えられていた。それらを総合的に判断するに男は浮浪者で間違いないのであろう。
 

 

 
 
 「お前ら教師ってのは本当に馬鹿なんだな。俺は誰にも迷惑はかけてねえって、昨日も一昨日も他の奴に何度も話してやってるぞ?いいか、お前はよく聞いておけよ?俺の可愛い姪っ子が、4月からこの高校に通う〝かもしれないんだ〟。だから、悪さしている奴がいねえか見てやってるだけなんだよ。それくらいいいいだろ?今の学校は腐ってるから、いじめとか自殺が起きるんだ。だから今のうちに変な奴に目星を付けて4月からは、姪っ子のボディーガードを毎日してやるんだよ」と、男は痩せた頬を上げ、煙草により黄ばんだ歯を若者に向けた。若者は男の発言を受け、なんとも言い表せない厭気を感じた。しかし、若者は事前に他の職員から聞いていた男の事情と、いま直接聞いた説明とは少しばかりの齟齬があり気になっていた。若者は少し間を置き、表情を崩すことなく気になる齟齬の部分を確かめるため、質問を投げかけた。
 
 

 
 
 
 

 
 「姪っ子さんがこの高校に〝通うかもしれない〟ってのはどういうことなんですか?」「あ?……なんか俺はよくわからないんだけど、補欠で受かったとからしいんだ。だから、誰かが入学することを辞めれば、代わりに入学することができるヤツなんだってよ」男は右手の指で眉間を摘み、記憶を探るようにゆっくりと話した。そしてその言葉は若者にとって、いや学校にとって重要な意味を持っていた。
 



 
 「補欠合格だったんですか、あの、因みに何ですが甥っ子さんのお名前を伺ってもよろしいでしょうか?」若者はやはり表情は崩さず質問をした。しかし、悔やむべきは若者にとって、このような場面における経験値が少なかった点である。目指すべき答えに向かう道順をもっと丁寧に進むべきであった。極端な話、若者は天気の話でも一つ間に挟み、男に対しもう少し歩みよるべきであった。その手間を省いた結果、それが違和感となって男にも伝わってしまった。「……お前、姪っ子をわざと合格させない気じゃないよな?」男の声は低く地を這ってから、若者の耳へと届いた。
 
 


 
 
 若者は職員室に戻ると、教頭先生へ男に対する報告を行った。「そうですか、あの人の姪っ子は補欠合格だったんですか」若者の説明を受けた教頭先生は、そう短く答えた。「はい……。そして、深い意味はないんですが、一応姪っ子のお名前を伺ったんですが、教えてはいただけませんでした」若者は、これから教頭から追及されるであろう質問に対し、先に答えた。叱責を受けるかと身構えたが教頭先生は若者の予想とは裏腹に笑って話し出した。「名前など、どうでもよいじゃないですか。姪っ子に間違いないのは私たちは既に把握しています。確か、今年度の補欠合格は男女ともに1名ずつでしたね。そして、残念ながら毎年補欠合格から繰り上げ合格となるのは1名ほどです。どちらが優先的に繰り上げ合格となるんでしょうね」教頭先生は、断定はしなかった。しかし若者は繰り上げ合格と発表される生徒は、男子で間違いないだろうと強く感じとった。
 

 

 
 
 ———その日の深夜、あるビルの一室にてこんな会話が展開されていた。「うちの息子は繰り上げ合格になりますかね?」「お父さん、そんな心配しないで大丈夫ですよ。ここ数日で、他の補欠合格である生徒の心象を最悪に飾り付けておきました。今の世の中、将来大きな問題となりえる火種を抱えるようなリスクは取りたがりません。それは勿論学校も同じです。そこを上手く利用すれば、相手の足を引っ張ることなんて簡単ですからね」と、上質なスーツに身を包んだ男は、机の上に置いてあった煙草を一本、黄ばんだ歯で加え不気味に笑った。







この記事が参加している募集

恋愛小説が好き

よろしければサポートをお願いいたします。いただいたサポートは創作費として新しいパソコン購入に充てさせていただきます…。すみません。