短編小説「式辞」


 暖冬の影響により例年より桜の開花が早い、というセリフがテレビから聞こえてきた。壁掛けのテレビは観るために付けているのではない。沈黙により聞こえてくるアナログ時計の音を、打ち消すためである。最悪、話題をテレビに向ければ、気が紛れるかもしれないという薄い望みもあった。




 しかし、その望みは叶わないどころか、暖冬による情報を知ることにより、より一層の重圧が部屋の空気を支配した。向かい合う形で配置されているソファに、それぞれ腰掛ける初老の男性2名は話さない。お互いどちらが先に話しかけているか、読み合いしているようである。




 「やはり、下げてから上げるのがベストだと思うんだ。往年のスタイルだ。その振り幅が大きいほど、上げた時の感動もひとしおというものだ」「しかし、お言葉ですが校長先生、これではあまりにもといいますか……。卒業式で披露する式辞としてはいかがなものかと」2人の男性は教職者であった。それも会話の役職が物語るに、熱心な教職者であることに間違いはない。




 「いいですか校長先生、気をてらう事ばかりに集中してしまっているのが、この話し合いを長引かせている原因だと私は思うのですよ。相手は高校生です。いくら悪ぶっている奴だろうが卒業式は決まって感動し涙する。その涙をせき止める防波堤に、校長先生自身がなってしまってもよろしいのですか?」教頭先生に責められ、校長と呼ばれた恰幅かっぷくのよい男性は、机の上にあるノートパソコンの画面を見ながら、渋々答えた。




 「私個人の意見なんだが、私はこの式辞の内容でも正直問題ないと思う。でも、今日は文章の推敲のためのわざわざ教頭先生に時間を取ってもらい、校長室でこんな缶詰の様なことをしているんだ。もう少し、具体的にどの部分が悪いか教えてくれ」校長はしぶしぶ、教頭の目を見ない様にしながら答え、ノートパソコンの画面を教頭へと向けた。教頭はパソコンの画面に映る何度も黙読した式辞の下書きから、問題と思われる箇所を見つけると、「私はここがまず第一にまずいと思います。『今日の卒業式をもって君達は泥棒になってください』ってのはいかがなものかと……」そこまで話すと、教頭は銀縁メガネの奥から眼光鋭く、校長を射抜いた。




 「教頭先生は最後まで読んでいなかったのですか?その後に『泥棒の得意なことはもちろん盗むことです。同級生、先生、社会に出たならば先輩や上司の〝いいな〟と思ったものをどんどん盗んで、自分のものにしてください』と書いてあるじゃないですか?」校長は、教頭の発する威圧感に当てられ、少しばかり早口になって答えた。




 「それが問題なんですよ。これでは、もう盗むことを許可してるみたいに思われるじゃないですか」教頭の追求は止まらない。しかし、生徒の将来を案じ、少しでも実りあるものとなる様にと、熟考した式辞にそこまで難色を示された校長は、少しばかり怒りの気持ちも湧いてきていた。「君は読解力がないな。これはどう見たって、良いところやスキルといったことを指してるに決まってるだろ!」




 「大人はそう感じますが、相手は高校生です。もう少し補足と言いますか、言葉をつけて誤解を与えないようにしてください」「わかったよ。詳しく書けばいいんだな。君は優秀だが変に繊細というか気が小さいところがあるな」「校長の身を案じてのことです。今のご時世、簡単に録画などできます。変にネットとかに流布されてしまってはたまりません」




 それからも、校長と教頭による式辞の推敲は深夜まで続いた。卒業式で読む式辞という、ある程度のフォーマットを心得ている二人ではあったが、今回の式辞の文章については大いに心を砕いた。




 「来賓として呼ばれ、少年院で式辞を読むのは初めてですからね、細心の注意を払って間違いありませんよ」パソコンで文章を書き直す校長に、教頭は優しく声をかけた。校長のパソコンの打鍵音とテレビの音のみが校長室を満たしていた。




この記事が参加している募集

よろしければサポートをお願いいたします。いただいたサポートは創作費として新しいパソコン購入に充てさせていただきます…。すみません。