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短編小説「幼稚園教諭」


 私の勤める幼稚園の朝は大変せわしない。決まった時間になると、組毎で朝のご挨拶を行う。そして子どもたちと元気よくお歌を歌った後、時期によっては壁面へ飾る制作活動を行ったり、園内の2倍はある園庭で外遊びを存分に楽しんだりするのが常である。しかし、私個人が幼稚園教諭として最もやりがいを感じる保育は、それらの予定の後に訪れる。自由保育だ。



 自由保育とは、異年齢同士の関わりは勿論、子どもたちが主体となって好きな遊びを好きな場所で行う保育である。私たち幼稚園教諭も子どもたちの遊びの輪の中に入るが、他の子どもたちへの注意は怠ってはいけない。そのため、私のようにある程度保育に慣れたベテランとなると、子どもたちからの遊びの提案をうまく断り、現場全体の様子を見るのである。この時間が私はたまらなく好きなのだ。




 先生という大人を抜き展開される、空想と現実の境目が曖昧な会話や、自己都合を友達に押し付けないように、少ない語彙量で気持ちを懸命に伝える姿など、私はそんな子どもたちの、今まさに成長をしている姿を身近で見るのが堪らなく好きなのである。




 しかし、今起きた出来事についてだけは、私はいつものように傍観ぼうかんを続けることができなかった。しかし、そんな心の決断を無視し、私は傍観を続けるべきだったのか……、泣き出す子どもたちの姿を見ても、わからない。




 「あのね、好きな子をね、たすけるんだよ。悪いやつらにね、やられて大変そうだったら、守ってあげるとね、好きになってもらえるから、そうしたらできると思うな」と、元気よく宣誓するかのように話したのは、お遊戯室の端にいる年中となる男の子だった。短く刈り揃えられた髪は、彼の右手に持つおもちゃのジャガイモによく似ていた。私はそこからそんなに離れていないところで、女の子グループのおままごとに参加していた。参加はしていたが、私に与えられた配役は犬であり、グループの少し離れたところで正座をして座ってるだけの役であった。そのため、私はいつものように周りの子どもたちの安全を配慮することができた。そして勿論、ジャガイモ頭の男の子の声も勿論聞こえていた。




 「違うよ、知らないの?足が速いといいんだよ。足が速いとね、かっこいいからね、好きになってもらえるよ、そうするのが一番いいんだよ」ジャガイモ頭の意見を聞いて、同じような声の高さで叫んだのは線の細い、同じく4歳の男の子であった。彼はジャガイモ頭よりは髪が少し長く、まるでナスのヘタのような少し元気のないような髪型であった。彼らの言い合いは、少し過激さを含んでるように私には感じられ、(もしかして喧嘩になるかな?)という思いが頭をよぎった。しかし、チラリと2人の表情を私が確認すると、意外にも頬は下から迫り上がる口角により緩やかな丘を作り、目は筆で書かれた平仮名の〝へ〟のような線を作っていた。笑っている。と、言えなくもないが、そんな微笑ましいものではなく、どちらかというと———ニヤけている。そう表現するのが適切な笑みを2人は浮かべていたのだ。




 そして、そのニヤけ顔はその場にいたもう1人の男の子、彼らより1つ年上となる年長の子に向けられていた。しかし、年長の男の子は真剣な顔で彼らのニヤけ顔を受け止めている。その姿は一つ年上だから出せる雰囲気ではなく、例えるなら親と子、上司と部下、そして先生と生徒といった関係性を感じずにはいられなかった。そして、私のそんな視線には気づくことなく、年長の男の子は静かに話し始めた。





 「2人ともまちがいなんだなー。正解はね、どぅるるるるるるー……。じゃん!好きな子に、折り紙を教わるでした。そして風船を作ってもらうんだよ。これが一番簡単に、好きな子とキスできるんです」と、得意そうに話し終えると続けて、「この方法を思い付いたのはね、先生が女の子の作った風船を『もっと膨らませてあげる』って言って、口を———」




 「ふざけた話ばかりするのはやめなさい!」




 と、私の怒声がお遊戯室に響きました。私の声は普段よりとても低く、おままごとをしていた女の子グループの子たちは怯え、私の視線の先にいる3人の男の子達は泣き出してしまったのです。しかし、泣き出したいのは私のほうなのです。私の善意の行動が、あらぬ誤解を生み更には子ども達がよからぬくわだてを行なっていたのですから。男性である私は、この手の噂が変な曲解により、親御様まで広まるのをどうしても止めたくて仕方なかったのです。考えが浅はかだったのかもしれません。結果として、私はお遊戯室へ駆けつけた他の職員へ、更なる誤解を植え付けてしまったように感じてならないのです。



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