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千と千尋の神棚封じ・偏見的個人の仮説※ネタバレ(小)


はじめに

こちらの投稿はあくまでも、私個人の仮説世界であり偏見的なただの推測です。
こちらを前提におきまして、綴らせていただけましたら幸いです。

それでは
以下から個人的な仮説世界です。




仮説①
息を止めて橋を渡った理由は息をしている=生きている者によりゲームオーバー
回避するためには息を止める必要があったのかと考えられます。

主人公の女の子一人は湯屋でおにぎり等を食べても仕事ををしていたから善良の魂として、暮らせたのかなと自身は思っています。
御両親達が変貌したのは霊魂(悪霊)の一種のレギオンだから(新約聖書内)豚の姿として群がっている、と個人的にふんでいるところです。



仮説②
朱色の橋は個人的に鳥居の役割りを担っているのかなと捉えています。朱色の鳥居(結界)は神社へ通じる門のシンボルで神社の内側にある神聖な場所(神域)として、人々が暮らす外側の場所(俗世間)との境界として橋と門をかけているように私は考えています。

仮説①で記しましたように呼吸をしてしまう事は生きる事。
人が生きてはいけない湯屋では、しだいに女の子が透けていくような描写があったように思います。
透けていくことはつまり、女の子は一人成仏手前だったのかなと自身は解釈をしました。

契約した女の子の名前では、ではなくてのみを残したのは千本鳥居の意味合いで文字結界がかかっていたからだと偏見的な個人の仮説をたてています。

※補足(後付けです)
千という文字は"十を一で留める"意味もあったように覚えてますが湯婆婆から「贅沢な名前だ」という声掛けもある事から本来の人が前に進むという意味であり、昔の中国語で1000を表す言葉の意味を持つ意味は招き入れる(湯屋の客含め)名前でもあったのかとも自身は考えています。
日本では六尺で中国の周代では八尺にあたる千尋の名前を二つ分けることにより"尋"本来の意味である"探り求め・訪れる"その特性を千尋から湯婆婆は奪ったように自身では噛み砕いています。


仮説③

神様達がどんちゃんしてた日程は旧暦10月(神在月)11日〜17日頃であり神在祭前に身を清めにきて前夜祭をしていたかもしれないません、それは日本全国から八百万神達が集まって出雲に行く準備をしていたように考えられるからです。
※日本の神様の会合(祭)は珍しいことから

冒頭の移動する車で通り過ぎた白木鳥居では鳥居の隙間から穢れのない空間俗世の歪みが生じて様々な悪霊の入口が既にできていたのかなと捉えています。

上記から考えられる事

白木鳥居の隙間から入ってしまった悪しき者は
悪霊達=群れる豚(レギオン)の数。こちらではないかと自身では推測しています。


と、いうことは。


千尋達の家族以外にも、もう既に他者も神隠しにあっていたことになります。


こちらふまえまして、ハンドルを本題に戻します。

続きまして…

仮説④
湯婆婆に銭婆は奪衣婆
かもしれないという事。

奪衣婆は三途川(葬頭河)で亡者の衣服を剥ぎ取る老婆のなんですが、鬼と同時に閻魔様の奥さんでもあります。
奪衣婆の他に脱衣婆、葬頭河婆、正塚婆、姥神、優婆尊とも呼ばれ名の知れた奪衣婆は本来二人いるはずなんですね。
これは俗説になりますが、閻魔様それぞれの領土があり暮らしていることと繋がるように思います、この事から流れ的にも奥さんは自然に二人になるかと思います。

カオナシへ放った物や、湯婆婆が自身の右腕的な方へ髪を巻き付けているのも直接的に放った相手への場所が喉元ということからも、閻魔信仰奪衣婆信仰と精通するように自身は考えています。

お気付きの方もいらっしゃるように、鳥に変身できる湯婆婆は日本の妖怪であり、中国から伝わった伝承の妖怪で色黒く灯火のように光る眼をした怪鳥でありの可能性が高いかなと自身では噛み砕いています。
その妖怪は、湯婆婆は実は陰摩羅鬼(おんもらき)でもあるのではと。

※奪衣婆信仰は咳に対してご利益があると昔から言い伝えられています。




以上ここまでが、自身の構築した仮説世界です。


神様達は血や死を穢れとして嫌うだから生と死がある者を嫌っていたように思います。


だから千尋変わる必要があったのかもしれませんよね。人道を神に見せないように神棚封じを行うために湯婆婆は目隠しをする必要があった。

もしかしたら千と千尋の神隠し千と千尋の神棚封じかもと考えるとロマンがあると思いこちらを投稿するに至りました。


最後までお付き合いくださり、ありがとうございます。

終わりに



こちらもあくまで私の個人の仮説なんですが、実際の鳥居に似た場所がありました。
聖地巡礼の候補になるかなと考えまして、こちらに記します。


場所は鳥居杉がある鳴尾の熊野神社大杉でして深い洞窟に幾つかの遺跡、ぼやけた文字がリンクする場面が多々あります。
ぼやけた文字はもしかしたら梵字(古代インド文字)なのかと自身では想いを馳せているところです。



今回の偏見的な仮説は、以上です。
長文にお付き合いくださり、ありがとうございました。

失礼します。

kabocya

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