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vol.24 深沢七郎「楢山節考」を読んで

とても娯楽としては読めない、楽しさは味わえないと思い、ずっと避けていた作品。

断片的に伝わる「姥捨山」の映像が頭にあり、人間の醜さに直面してしまう怖さを想像していた。また、これに触れると、暗い気持ちが続く気がして、読む勇気がなかった。そして、いつのまにか忘れていた。ふと、「高齢化」のやるせなさを感じて、この作品を読んでみたくなった。

この「楢山節考」、ある地域にいい伝わる棄老伝説を基に書かれたものらしい。

極貧の村の中で生き延びるためには、現代ではとても信じられない村の掟があった。深刻な食料不足に悩む村では、70歳を過ぎた年寄りは「楢山まいり」に行く習わしがあった。また、「食いぶちを確保するために身内を谷底から落とすことさえ厭わない歪んだ関係もあった。

一方、切羽詰まった生活環境の中でも、愛情に満ちた肉親への思いやりも描写されていた。主人公の老婆「おりん」や、その息子の「辰平」や、後妻の「玉やん」などの言動が以外に心地よく、物事の割り切り方、潔さ、優しさ、温かみなど流れるように心に入ってきた。

特に老婆「おりん」、自己犠牲であっても孤独や悲惨さはなく、むしろ幸福感が漂っている。自分が消えることによって子供が生き延びる。この恐ろしく目を背けたくなる作品なのに、気高く誇り高い「おりん」さんに会いたくなる。

しかし、作品全体に流れているものは、やはり「清く正しく美しく」のような甘っちょろいものではなかった。

この「楢山節考」は60年以上前の作品だけど、形を変えて現代でも似た状況があるのではないかと思った。例えば、老人介護施設の現状はどうなんだろうか。

「弱者の排除」、「共生の限界」、「高齢者の隔離」などの「傲慢な村の掟」が「仕方のない正しい選択」として、今でも社会にはびこっているのではと思った。また、この作品を読んでちゃんと現状を見ないといけないと、思った。

ここにはたくさんの詩が書かれている。「楢山節考」の「節」はたぶん、この詩ということか。村に伝わるこの掟のような詩がこの作品を深くしていると思った。

作者の深沢七郎は小説家でありギタリストらしい。最終ページに楽譜付きで載っていた<楢山節>を書き留めておく。

<楢山節>作詞作曲深沢七郎

かやの木ギンやん ひきずり女 / アネさんかぶりでネズミっ子抱いた

夏はいやだよ 道が悪い / むかでながむし 山かがし

塩屋のおとりさん運がよい / 山へ行く日にゃ 雪が降る

楢山まつりが 三度くりゃあョ / 栗の種から 花が咲く

おらんのォ母ァやん納屋の隅で / 鬼の歯ァ三十三ぼん 揃えた

何かこういったニュースなどに触れたとき、この「楢山節考」を通してみようと思った。

(おわり)

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