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フェミニズムの主流が「地位向上・社会進出」を諦め、伝統保守と手を結ぶ日

先日、小山晃弘もとい狂人note氏が、おそらくその読者にとってはとても衝撃的な記事を投稿しました。

その文脈は彼のマガジンを購入したアカウントだけが知り得るものですが、最も重要な部分をここに掲載します。

女性を弱く従属的な存在と見做すことをやめよ。半世紀前、それは間違いなくフェミニズムの主流理論だった。
ボーヴォワールが「第二の性」を出版した1949年から70余年。いまフェミニストたちは「女性は弱く従属的な存在なのだから社会全体で保護せねばならない」と口を揃えて主張している。
女性は傷つきやすい。女性は被害者だ。女性のことを守ってあげよう…。
女性を劣等種として軽蔑し、弱く従属的な存在と見做す思想、慈悲的性差別主義こそが現代フェミニズムの主流理論になってしまったのだ。

「フェミニズム」の一大転換点

これはまさに、私の記事において繰り返し警鐘を鳴らしてきたことそのものです。

この警鐘自体私でも「遅すぎた」と思っていますが、それがようやくオピニオンリーダーにも認められたと感じます。そして、「その日」の到来は、もはや秒読み段階に入ったと言っても過言ではないでしょう。

私は上の小山氏の記事に以下のようなコメントをしましたが、

本当に、本当に、なぜこのような議論が10年前に、いやせめて5年前でもいい、出来なかったのでしょうか。とてもとても悔やまれます。

実はその答えははっきりしています。

我々のような「伝統主義的フェミニズム」の議論を妨害してきたのは、フェミニストだけではありませんでした。これまでの「反フェミニズム・フェミニズム批判」というのは、殆どと言っていいほど伝統主義の観点から批判されており、それ以外の方向からの批判をまともに取り合って来なかったのです。「その道はフェミニズムと同じだ」、「“伝統的性観念”以外のジェンダー観が実現したことは一度もない」、「専業主婦として楽に暮らす女が増えても、それで男も楽になるはずだ」そう言って我々の主張を封殺してきました。

小山氏のマガジンの読者にはその影響を受けていると思われる人も多く、彼らのコメントも私にとっては的外れに感じられるようなものもこの期に及んで多いです。そこで今回、改めて「彼らの思想」について喚起しておきたいと思います。

「非婚・少子化」というワンイシューへのこだわり

そもそも、なぜ伝統主義的批判が反フェミニズムの主流を握っているのでしょうか。それは彼らの最も憂慮していることが「非婚化とそれによる少子化、そしてその結果起こる社会の崩壊」であるからです。それを改善するためには「女性の地位向上・社会進出の抑制」が必要であるとされてきました。ちなみにリンク先は御田寺圭氏の記事ですが、これを初めて言語化したのは彼ではなく、その前提となる議論はProf.Nemuro氏がさんざんやってきたことです。

しかし、それらを制限したところですぐに、非婚・少子化が改善するわけではありません。夫たちに妻と産まれてくる子を養えるほどの十分な財力がある(または期待される)こと、なおかつ夫たちにそのためにカネを使う意志があること、そしてそれらをやりやすいように社会インフラが最適化されている(いわゆる「異性愛規範」もその一つとして機能している)こと、これらが一つでも欠ければ子供の数は増えません。

とりわけ日本は既に戦前からフェミニズム内部でこうした主張の方向性を巡って大激論が交わされた国。「専業主婦願望」然り「性的カルテル」然り、女性たちの「家庭に入って子供を産み育てる」意識が高いのも頷けます。

しかし時代は第4波フェミニズム。エリートやリベラリズムからフェミニズムが発信される時代は、終わりを迎えようとしています。MeTooもメガリアも旦那デスノートもキャンセルカルチャーも、本来それらから発信されたものではないのです。「地位向上・社会進出」を諦め、伝統的規範を称える声明もいずれエリート・リベラル側から公式に出されるでしょう(なお非公式にはすでに出されているとも解釈できます)。その次に大きな焦点となるのは、いかにその規範を「女にとって都合のいい形で」徹底させるかであることは、疑いの余地もありません。

おめでとうございます。これがあなた方、「伝統主義的アンチフェミニスト」の望んだ社会の姿ですよ。あなた方は本当に、「楽になれた」のでしょうか?

ここで唐突に例の「ビンタ事件」を入れてみましたが、これだってもちろん「その規範の徹底」と関係ない話ではありません。スミス氏の行動を称えた“フェミニスト”が多いことは皆さんもご存知のことでしょう。

フェミニズムが「強い」本当の理由

さて、少し離れたところから、もう一度この構図を見てみましょう。こうも言えるんじゃないでしょうか。

そもそも非婚・少子化を盾にした批判は、前述の通り単に女性の地位向上・社会進出だけに向けられているわけではありません。女にどんどん子供を産ませる代わりに、男はその夫としてその妻にとことん尽くすことは、当然の義務とされます。これが一般的に言われる「アンチフェミやミソジニー、ホモソーシャルは『男らしくない男性』も排除している」ことの所以ゆえんです。

その意味で言うと、伝統主義的フェミニズム批判は、その性役割規範がもたらす恩恵にあずかろうとしている女性たちが唯一許したフェミニズム批判の方法とも思えます。実際彼らの一部が(エリート女性に対比される)“ただの女性”を煽動していることは、この記事で述べた通りです。

言い換えれば、女性は「子供次世代を産み育て人口を再生産する能力」(権力ではないことに注意)を握り、なおかつそれは社会的に代えがたいものであるからこそ、その夫たちは彼女らの「無限の要求」に応じざるを得ないわけです。これがフェミニズムが「強い」または「なりふり構わない」本当の理由とも言えます。そして今日こんにちの第4波フェミニズムの本質は、その要求が社会全体へ直接的に●●●●●●●●●向けられたものと考えられます。

根本的な解決策とは

その上で、根本的な解決策になるといえるのは、以下記事で述べたように「人工子宮」と「iPS細胞からの卵細胞形成」という2つの技術革新を実現させ、女の妊娠を介さずに人口再生産をできるようにすることです。

その研究は現在でも基礎段階のものに留まっています。また以下の記事によると、研究開発そのものに対するフェミニストの妨害の兆候も見られます。

ではどうすればいいのか?!

しかし、我々にも対策するための手段がないわけではありません。今我々「反伝統主義的反フェミニズム」がやるべきなのは、

とにかく「時間を稼ぐ」ことです。

時間を稼ぐというのは、これらの技術が確立される前に、「フェミニズム主流と伝統保守の結託」というシナリオが到来することを可能な限り避けるということです。そのために、考えられることはいくつもあります。

そのうちの一つは、いかに伝統主義を弱体化させるか、ということです。伝統主義的批判の勢力が弱くなればなるほど、フェミニズムは結託するインセンティブを失います。

現在でも男性差別・弱者男性・マスキュリズムの問題を認めながらも、その解決を望まず、伝統的性観念の復活を謳う「アンチフェミニズム論客」は少なくありません。そのようなスタンスは今や、「これからのフェミニズム」の動きに間接的に加担してしまっていることを知らしめなければなりません。

日本の「弱者男性」の命運は、皆さんの、フェミニズム・反フェミニズム双方への「向き合い方」にかかっています。

【4/11追記】青識氏の見解

これらもこの記事と関係の深い重要な指摘です。