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すもも氏の「これフェミ」出演によせて:伝統主義的アンチフェミニストの年貢の納め時だ
アンチフェミ主流派男性論も、結局は女性にやさしいチン騎士なんですよね。女性のご都合主義的要求やわきまえない女を叩いているだけで、着地点は男が女が守るから女はしっかり男を尊敬しろよ、社会は男にカネ配れよなので、実は真の男女平等よりも非現実的という。だからポーズでやっている人が多い。
— すもも (@sumomodane) December 30, 2021
右派のアンチフェミ女性はそれに便乗して、女性の楽なポジションを維持したい人が多い。それをアンチフェミ男性右派がヨシヨシする構図。「男性に依存しようとしているけど、しっかりわきまえているからむしろ清々しい」と。アホかと。いつまでも昭和夢見てろ。
— すもも (@sumomodane) December 30, 2021
アンチフェミ主流派男性がこのようなていたらくなので、男性のつらさをどうにかしようという話になかなか発展しない。「男性はこんなにつらいんだぞ」ってわきまえない女叩いてスッキリして終わりだから。だからフェミに先手打たれてフェミに都合のいい男性学(田中、清田など)に持っていかれる。
— すもも (@sumomodane) December 30, 2021
日本の男性は男性のつらさを改善するために、今の状況に怒ったり、男性の弱者性を認めたり、社会や女性に対して要求したり、現実的な解決策を考えていかないといけない。女性にやさしすぎるし、遠慮しすぎている。
— すもも (@sumomodane) December 30, 2021
1月22日の「これフェミ」討論会に、すもも氏が出演するそうです。私は彼のことを全面的に応援する立場で、今回の記事を書きたいと思います。
すもも氏は「あてがえ論者」なのか?
さて、すもも氏はフェミニズム側論客からは「女をあてがえ論者の一人」と見做されているようですが、その見方は本当に正しいのでしょうか。
もちろん、これはフェミニズム側の「プロパガンダ戦略」の性質が強いものです。そもそも「女をあてがえ論」が反フェミニズム的に言って何なのかは、小山晃弘氏のこの記事で述べられています。
「女をあてがえ」論とは何か。それは自由恋愛社会に対する問題提起であり、オルタナティブとしての皆婚社会の提案である。
この記事の有料部分においては、世界中で「宗教保守」(宗教的な観点からジェンダー保守主義を採る勢力。この記事の無料部分でも詳しく述べられている)だけが人口の再生産に貢献していることに触れ、過度な自由恋愛・性的自由がこの構造を破壊しているがゆえに、それらを否定して「皆婚社会」を取り戻すために訴えられているものと説明されています。
このように、「あてがえ論」は元々から伝統主義的なイデオロギーが入っており、その規範に則る…すなわち日本では「女社員の倍稼いで、妻子を養う甲斐性を持つ」ことができないような人が同調できるようなものではありません。そこで訴えられていることは所詮「昭和期・バブル期のように得られたはずの甲斐性を返せ」というレベルのものです。これは明らかに、冒頭にあるようなすもも氏の主張とは相容れません。
上昇婚志向はなぜ問題視されるのか?
また一部には彼が本物の「あてがえ論者」ではないことを認めつつも、「上昇婚志向を問題にしている時点で主張していることが彼らと何も変わらない」という人までいます。
しかしながら、私もいくつかの記事で述べてきましたが、日本で言う「上昇婚志向」は世界的に言ってもかなり「良く言って特殊」なものです。
よく反フェミニズムの論客では「女性の『自分と同等以上の男でなければ男として、というかそもそも人間として扱えない』という上昇婚志向は本能的なもので、女性たちの地位や収入が上がればさらに上の地位や収入の男性を選ぶようになる」という理屈から「女性の地位向上・社会進出で結婚できるような男性が減ってしまい、非婚化と少子化を悪化させる」と主張し、その抑制を求めてきました。非モテ男性もさすがに「女をあてがえ、あるいは女が配られるような社会にしろ」という意味合いではないにせよ、そのような主張に同調してきたわけです。
しかし、彼らの言っていることにはいくつか間違っていることがありますし(特に日本に当てはめた場合は)、また彼らの結論のように女性の地位向上や社会進出を抑制して結婚できる男女を増やしたとしても、おそらく問題を解決することにはならないだろうというのが私の考えです。
つまり日本の女は結婚して家庭に入っても結婚前と同等の生活水準を保てるように、「自分と同等以上」どころか「自分の倍以上」の年収を求めてきたわけです。
その意味で、夫婦共働きを推進するプロパガンダに、「倍以上」から「同等以上」へ女側の条件をむしろ引き下げる効果があったということは、否定できないと思います。
なぜ日本のフェミニストは「男らしさ」を強いるのか。なぜ国際的なトレンドと乖離しているのか。それは日本における草の根女性の結婚観、いわゆる上昇婚志向の異常性に原因を見出せます。
ここで強調しておきたいのは、日本人女性に上昇婚志向があること自体は原因ではないということです。それが極端に上の男しか見ないことが原因なのです。
日本人女性が考える「普通の男」は現実には中の上だったり上流階層だったりする、というのは各所でも散々語りつくされていますが、結局それが示しているわけですよ。それより下の階層の男性を日本人女性は男として、いやそもそも人間として見ることができないということを。弱者男性が被差別階級たる所以、そして「人間として認めてくれ」と(強者男性ではなく)女に求める所以はそこにあります。
そしてこれはまた、少子化の是正や皆婚社会の復活のために女性の教育制限や就労制限をやるというのさえ、小手先の対策にしかならないことを示しています。根本的にこういった「高所得者の男性」の割合を増やしていかないとダメなのです。戦後昭和期では年功序列の日本型正規雇用によってほとんどの男性は30~40代くらいになればなんとか女に認められていました。もちろん、その多くはATMとしてですが。
これは社会学やジェンダー学においても、山田昌弘氏や宮台真司氏などによって先行議論がなされていたものです。
「女性の上昇婚志向は『生物的雌の本能』であり、自分以下の男をそもそも人間として扱えない」というのは、洋の東西・地球の南北を問わず普遍的なものなのかもしれません。しかし日本においてその「基準」はあまりにも高すぎます。
長らく日本のフェミニズムにおけるテーマが「女性管理職ないし女性政治家の少なさ」であったのも、それにもかかわらず草の根のフェミニストたちが求めていたのは「男性によるノブレス・オブリージュ」であったのも、そうした弱者男性の訴えに対してエリートのフェミニスト論客がかけられる言葉が「パンがなければケーキを云々」くらいしかないのも、「弱者男性を人間として扱えない」ことで説明はつくのです。
「なぜ特定の性別だけが過労死やホームレスや自殺などの苦境に立たされなきゃいけないんだ」という反フェミニズム的主張、どう見ても主張内容は「反差別」ですからね。これを「ジェンダー平等への反発」と捉える人たち、特定の性別の人々を人間だと思ってない。
— 小山晃弘(狂) (@akihiro_koyama) January 4, 2022
また宇野常寛氏・水無田気流氏、さらにやじうまファイタークソえもん氏によれば、日本の女性はエリート・草の根問わず、そもそも自分自身を「人間未満の存在」と規定しているところがあるようです。そんな中でも女性には、その実現がいかに難しいかは別として、「玉の輿」で逆転できるチャンスが、というか「希望」がありました。しかし弱者男性には…というか、「生物的雌でない存在」にはそのチャンスないし希望はありませんでした。
そうした構造が「生物的雌でない存在」にもたらしたものがあります。それは「玉の輿」で逆転できた女性にフォーカスするとわかります。
それが本能に基づく、あるいは先天的なものかはともかくとして、女には大多数の男を本質的に危険視する性質があることが、最近では元々ジェンダー保守派だった反フェミニズム勢力の一部にも知られるようになってきました。しかしそれは、女性の地位向上あるいはフェミニズムの進展によって初めて顕わになったものではありません。
フェミニストの言う「男社会」の下でも、女の「気に入らない男を排除したい」思念を現実化させることは難しいことではありませんでした。彼女らの夫にせびれば良いのです。そして夫(今では「理解のある彼」とも言ったりするらしい)たちは、「自分のように結婚しなかった・できなかった男たち」を排除するようになりました。すなわち今で言うゲイ、トランスジェンダー、ノンバイナリー、オタクなどです。その意味で、皆婚社会というのは「みんな結婚“できた”社会」のことであるとは決して言えません。「みんな結婚“しなければならなかった”社会」と言ったほうが正しいのです。結婚しないこと自体が、社会的な迫害につながっていたのです。
ちなみに私は、TERF運動やオタクバッシング、男性保育士非難、ゲイの代理出産利用非難などの表面化も、フェミニズムの第4波への移行(つまり、Twitterやはてなにおけるミサンドリーフェミニズム言説の盛り上がり)によって「彼女ら」あるいは「彼女らの内に入ることを潜在的に望む女性たち」の要求が「直接化」したことが大きな要因と考えています。また一般的に、身内の女性の安全に訴えかけるのは、ヘイトスピーチでよく用いられる手法です。例えば日本のネトウヨによる在日韓国・朝鮮人へのヘイトスピーチにおいても、「レイプは韓国の国技」とか「韓国人のアレの長さは何センチ」とかいうのは、メガリアが台頭する10年も前から日本のネット掲示板で言われていたことです。
ここから考えると、皆婚社会自体にも「底辺にならないための競争」という性質があったといえます。これはバブル景気で男性の平均所得がかなり高かった時代、その崩壊により数多の男性が適齢期女性から足切りされていった時代を経て、「草食男子」が台頭するまでの間どんどん強まっていったと思われます。
そうした前提で、弱者男性は「皆婚社会」を取り戻すべきなのでしょうか。あるいは、取り戻すべきだったのでしょうか。このことは反フェミニズムの側からも検証していく必要があります。そして、「弱者男性」が本来訴えていること、なおかつ訴えるべきだったことは、「別に我々を恋愛対象ないし性的対象として見なくてもいいが、『人間として扱って欲しい』のはこっちのほうだ」ということであったはずです。すもも氏にはそのあたりを重点的に主張してくれることを期待します。
「あてがえ論」は余計なことをしてくれた
さて、先程の文では同じ文言をあえて現在形と過去形で並べましたが、これには理由があります。
日本において「マスキュリズム」という思想が実質的に始動したのは、北米でこの思想を学んで日本に持ち帰った久米泰介氏が、関連する書籍の日本語訳を初めて出版した2014年のことです。
これ自体かなり「遅きに失した」ことであるとも思いますが、それ以上に強調しておかなければならないことがあります。
「キモくて金のないオッサン論」・「インセル理論」・「女をあてがえ論」が起こり、伝統主義的フェミニズム批判論が再興したのは、これよりも後のことであるということです。
久米氏は当初から、こうした伝統主義の盛り上がりを危惧していました。それは翌2015年に彼がマスメディアに寄稿した記事(現在は削除されていますが魚拓が残されています)にも現れています。
ここで、男性解放(メンズリべレーション)をめぐる状況を整理しておきたい。立場や考え方から、大きく4つのグループに分類できる。
1. 「男性差別問題の当事者」。例えば離婚時に親権がとれない男性、父子家庭援助が受けられない男性、性被害を受けた男性など。当事者のグループは、差別撤廃をしていくうえで必要な母体である。
2. 「男性差別撤廃派」。個々の差別だけでなく、社会全体的な男性差別も含めてなくそうという理念を持つ人たち。フェミニズムの男女観に対しては、男性を一方的強者、女性を一方的弱者と見る点について批判的である。「男性差別」や「男性の権利」という言葉を使う。日本においても大部分のマスキュリストはこれに属する。
3. 「メイルフェミニスト(男性のフェミニスト)」。「男たちの意識革命」の言葉を借りれば「女性たちの言うとおり、男は長い間、女性の権利を押さえつけてきた。だから男性解放とはそうした過去への贖罪として女性運動を支援することにある」と考えている男たち。彼らは男性の被抑圧を認めることができないので「男性差別などない」と言う。日本の男性学を名乗る学者は大体この系統に属する。
4. 「復古主義者たち」。「女は家庭に帰れ。男は権威と力を取り戻せ!」と叫ぶ。
分かりやすい例として、DV被害支援を挙げよう。
「男性差別撤廃派」は、男性のDV被害者も女性と同じように保護しようと運動する。しかし「メイルフェミニスト」には、そもそも女性による男性へのDVなど見えない。「復古主義者たち」は、DV法そのものをつぶそうとする。
アメリカの男性運動の主体で圧倒的に多いのは「男性差別の当事者」と「男性差別撤廃派」である。一方、「メイルフェミニスト」と「復古主義者たち」はマスキュリズムの妨害勢力という点で同根である。彼らには、過去において男性は強者で女性は弱者であるという謎の大前提があり、根本的に男女の能力を互角だと見ていない古い世代である。
女性差別撤廃とともに、日本でこれから増えていくのは(現状でも増えているが)「男性差別の当事者」と「男性差別撤廃派」である。
もし男性差別を感じたり、その当事者になったりしても、「復古主義者たち」にはならないでほしい。フェミニズムを批判すると復古主義者に吸収されたり、同調してしまったりする人が結構いる。しかしそれでは男性差別はなくならないし、解決しない。時計の針を元に戻すことなど不可能だし、性差別の根本的な解決にはまるでならない。日本ではマスキュリズムを担う「男性差別撤廃派」が貧弱なので、男性差別に疑問を持った当事者は復古主義に流されてしまうが、それでは何の解決にもならない。
また私も以下の記事で述べましたが、当時のネット言説でもまだまだ「伝統主義」・「あてがえ論」に依拠しないフェミニズム批判は少なくなかったのです。私はこの8年間で「あてがえ論」はこうした議論を後退させてしまったという認識を持っています。
伝統主義でない方向からのフェミニズム批判は、長らくフェミニズム側からは伝統主義と同じものとして、また伝統主義的反フェミニズム側からはフェミニズムと同じものとして扱われてきました。そのほうが両者にとって「叩きやすい構図」になるからと思われますが、それで“男”と“女”の間で「本当に対立している利害」は可視化できるのでしょうか。
これを読んで「自覚しているのがすごい」「清々しい」って評している男性?たちがまあまあいて驚いている。結局、彼らは「男らしさ」に執着していて、わきまえている女ならぜひぜひ養いたいのだ。男性の意識改革も必要である。 https://t.co/Fahl1jA0lW
— すもも (@sumomodane) November 26, 2021
すもも氏の別ツイートから言葉を借りれば、彼ら伝統主義的アンチフェミニストは「わきまえている女ならぜひぜひ養いたい」だけの存在です。しかし今や、反フェミニズムには「妻子を養いたくない・養えない」人も少なくありません。
「これからのフェミニズム」を語るうえで、これだけは言っておきたい
我々が最も憂慮すべきシナリオは、もちろん「女性が他責的なまま社会の主導権を握ること」ではあるのですが、それがどのように「握られる」のかも重要です。私は「伝統主義との結託」によって握られるのが一番あり得るシナリオだと思っています。
これまで繰り返し述べてきたように、伝統主義的反フェミニズムが本質的に反対している部分は、あくまでも「女性の地位向上と社会進出が、若者(そのオピニオンリーダーから見た“若者”であって、最年長は実質的に団塊ジュニア世代)の非婚化と少子化を進めていること」の一点に尽きます。
しかしこの記事で述べた通り、こんにちのフェミニズムは必ずしも女性の地位向上や社会進出、あるいは性役割規範の解体が目標にはなっていません。すなわち、フェミニズムの総意としてこれらを「あきらめて」しまえば、伝統主義と主張していることは何ら変わらなくなってしまうと思われます。実際、前半で述べた「TERF運動やオタクバッシング、男性保育士非難、ゲイの代理出産利用非難などの表面化」では、(オタクバッシングのみ同情的な人もいましたが)基本的に伝統主義は「フェミニズム側」につきました。
そして、「これからのフェミニズム」はどうなっていくと私は考えるか。これは私の記事ではありませんが、少なくとも引用部分とは相違ない認識です。
で、西洋先進国で、今のフェミ政策をやめて、現実的な少子化対策(おそらく女の社会進出の抑制)を取り出す国が次の10年でじわじわと現れる。というか、手を打たないとイギリス、フランスもやばい。何より当の自国の女が、移民による治安の悪さにごちゃごちゃ言って、保守的な家庭を支持する奴らが出てくる。おまえらが、男社会がーとか言ってぶっ壊してきたんだけどね❗確実に言えることは、女は絶対にこの大失敗の責任をとらない。
「社会進出は男によって無理やりさせられた」、「女性たちは、家庭で強く優しい母として国を支えていたのに、男社会や中年のオヤジによって無理やり社会進出させられた」と歴史を修正して、男批判をすることは間違いない、かけてもよい。まあ、フェミニストとその甘い汁を吸っていた女には責任をとらさなければならない。
伝統的性観念ないし家族観や皆婚社会を取り戻すという意味でフェミニズムに反発しているアンチフェミニストの皆さん。心配しなくてもそれは「家庭を重視する側のフェミニスト達」が取り戻してくれるでしょう。そんな社会になるくらいだったらどんどん非婚化と少子化が進んで滅んでしまったほうが100倍マシだと私は思いますけどね!!