非婚化・少子化の真犯人

非婚化・少子化のメカニズムについては[社会]にまとめているが、記事数が増えて探しにくくなってきたようなので、この記事では初見の人を対象にポイントを絞って書いてみる。

下は「少子化社会対策大綱」の一部だが、この分析そのものは正しい。

少子化の主な原因は、未婚化・晩婚化と、有配偶出生率の低下であり、特に未婚化・晩婚化(若い世代での未婚率の上昇や、初婚年齢の上昇)の影響が大きいと言われている。
若い世代の結婚をめぐる状況を見ると、男女共に多くの人が「いずれ結婚する」ことを希望しながら、「適当な相手にめぐり会わない」、「資金が足りない」などの理由でその希望がかなえられていない状況にある。また、「一生結婚するつもりはない」という未婚者の微増傾向が続いている。
若い世代の非正規雇用労働者の未婚率は、特に男性で正規雇用に比べて顕著に高くなっており、雇用の安定を図り経済的基盤を確保することが重要である。

人間の子は未熟な状態で生まれて成長に長期間を要するので、母親は他の哺乳類の雌とは違って単独では子育てできない。そのため、精子提供者の男が用心棒兼食料調達係として協力する人間独特の仕組み=家族による子育てが生まれたと考えられている。男には「妻を養う」がhard-wiredされているが、女には「夫を養う」はhard-wiredされていない非対称性は、女は子を産めるが男は産めない非対称性と相補的である。

女は「内」で家事・育児、男は「外」で稼得労働の男女分業が人間のデフォルトなので、片働きの稼ぎで家族全員が生活できるようになると、夫がフルタイムで稼得労働、妻は専業主婦かパートタイム労働が標準世帯になる。企業や官庁では管理職・キャリアの大部分が男で占められる。

稼ぎ主&指導的役割が男に偏る「男社会」は、経済活動と人口再生産の両立に適した安定的な構造だが、キャリア的成功を目指すエリート女には居心地が悪い。経済的な不安が少ないエリート女にとっては、自分以外の人々は夫婦共働きしなければ生活が成り立たない低賃金や不安定雇用が一般的であることが望ましいのである。

世帯を養える賃金を男1人に払う家族給に支えられた 「男性稼ぎ主モデル」こそ、女性差別の根源なのですよ。
正規雇用者の給料を下げて、夫に600万円払っているのなら、夫に300万円、妻に300万円払うようにすれば、納税者も増えます。
・・・女性運動とジェンダー革命を通じての影響です。このことは、「一般的な義務観念・律義さ」といってよいものの意識の低下とあいまって、個人主義を伸長させる一方、家族の連帯感を低下させます。その特別効果は、「一家の稼ぎ手モデル」が組織内での賃金決定における要因として持っていた規範的な力を失わせ、一般効果として市場個人主義の推進力として働きます。日本で、働く女性たちによる「専業主婦くたばれ」運動は、主婦パートの特別控除の廃止をもたらすのに効果がありました。
男女共同参画社会は、霞が関エリート女性官僚と、上野氏を中心としたフェミニズム/フェミニストたちが推し進めてきたと、この動きの中にいた大泉博子氏が明確に述べている。
僕は、大泉氏と同じく女性の社会参加という点で男女共同参画政策には大きな意義があったと思うが、ここに(特にその政策を支えた80年代フェミニズムに)含まれる「ルサンチマン」の思想が、いまに至る単独親権固守の思想につながったと捉えている。
ここでのルサンチマンは、主として男性へのルサンチマンで、現代の「男社会」を否定することから始まる考え方だ。
フェミニズムの「主要な敵 main enemy」は男性であることを私は公言してはばからない。

賃下げ・雇用破壊は株主利益の最大化を目標とする金融資本主義、新自由主義(ネオリベラリズム)と利害が合致する。フェミニズムがネオリベラリズムと二人三脚で女を家庭から駆り出して低賃金労働者にしたことは、男女共同参画を推し進めた大物フェミニストも認めている。

「男女共同参画社会は、新自由主義的なベクトルとフェミニズムとの妥協の産物だ」というのは、100パーセント正しいと思います。
ネオリベ改革がジェンダー平等政策を推進した理由はなんでしょうか?
答はかんたんです。女に働いてもらいたいから。

これ(⇩)は1985年に書かれたもので、男女共同参画を推進したエリート女が「ただの女」を搾取する立場、つまりは『動物農場』の🐷になるつもりだったことの証拠である。

「男女平等」の資本主義的解決は、エリート女とただの女への女性労働者の二極分解である。この現象は、女性解放先進国でのきなみ起こっている。

🐷が家事・育児を「ただの女」に低価格で外注しやすくなったことが、女を家庭から解放する「革命」の成果の一つである(Arbeit macht frei.)。

Class trumps gender. And inequality among women is rising much faster than inequality among men.
Modern elites depend on cheap labour.
…, and we outsource most of what we once did in kitchens at home: fewer and fewer meals are prepared at home. Workers in these sectors are low-paid. They are part of the 24/7 service economy which underpins professional lives. They are also overwhelmingly female. “Sisterhood” is dead. Different women have very different lives, and interests.
「過去の婦人運動は36人の婦人国会議員と数十万のドイツ女性を大都市の路上に狩り出した」と、ある女性の党支持者は書いた。「それは1人の女性を高級官僚にし、数十万の女性を資本主義的経済秩序の賃金奴隷たらしめた。働く権利を奪われている男はいまや約600万もいる。女だけが、安価でいつでも利用できる搾取の対象として、いまなお仕事を見つけることができるのである」。

「革命」が『動物農場』と似ているのは、フェミニズムがマルクス主義に影響されていたことと関係する。男女共同参画とは、レーニンの「働かざる者食うべからず」を専業主婦=不労所得者に適用したものと言える(女は「エロティック・キャピタル」を持つ資本家)。

女は結婚相手の男(用心棒兼食料調達係)に経済力を求めるので、賃下げ・非正規雇用化のネオリベ改革は「適当な相手にめぐり会わない」「資金が足りない」理由による非婚化を促進する。結婚してもカネの制約のために子沢山は難しくなる。

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結局のところ、エリート女とグローバル投資家(株主)の利益のために、経済活動と人口再生産を両立させる安定構造(男社会)を破壊したことが、非婚化・少子化の根本原因ということになる。男女共同参画≒ネオリベ改革と「希望出生率1.8」の実現は両立できない。

注目すべきは、改革を主導したフェミニストの多くがchildlessだったことである。子がいないことは「自分の死後のことは知ったことではない/後は野となれ山となれ」という環境破壊者的な考えにつながりやすい。ある意味では「無敵の人」のルサンチマンによって社会が破壊されたわけである。

だとしたら、日本は人口減少と衰退を引き受けるべきです。平和に衰退していく社会のモデルになればいい。
日本の場合、みんな平等に、緩やかに貧しくなっていけばいい。

参考

フェミニズムは死の文化です。フェミニズムのせいで女性は子どもをつくらなくなったわけですから。
子どもが生まれなければ、行き着くところは死しかありません。フェミニズムとは何か。女が男と同じように行動したがることです。ラディカルなフェミニズムが定着したあらゆる国で、女性たちが子どもを作らなくなったのは偶然ではありません。シモーヌ・ド・ボーヴォワールがまさしくそうです。
「今、新卒女子の約半数が非正規労働市場に入るんですよ。これでは先が見えず、子どもなんて産めません。一方、正社員として就職できた女性はハッピーかといえばそうでもない。男並みに働いて疲弊するか、2級労働者として扱われるか。我々世代は、女がこんなに生きづらい社会しかつくれなかったのかと思うと、忸怩たる思いです」
賃金が上がらないといっても、外食せずに家で鍋をつついて、100円レンタルのDVDを見て、ユニクロを着ていれば、十分に生きて行けるし、幸せでしょう? 
「給料が安くて子どもが産めない」と言うけれど、年収300万円の男女が結婚すれば、世帯年収は600万円になります。今の平均世帯年収の400万円台を軽く超えますし、子どもに高等教育を受けさせるにも十分な額です。
日本でも男性の平均所得は減少していますから、結婚相手に「キミは働かなくていいよ」なんて言わなくなるはずです。つまり、稼げない女は、結婚相手としても選ばれなくなる可能性が高い。
In a cruel twist of fate, I fear that the movement for women's liberation has become entangled in a dangerous liaison with neoliberal efforts to build a free-market society.
Finally, feminism contributed a third idea to neoliberalism: the critique of welfare-state paternalism. …A perspective aimed originally at democratising state power in order to empower citizens is now used to legitimise marketisation and state retrenchment.

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