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So far... これまでの人生のサマリー(高校まで編)

"So far..." タイトルを見て、「すごく遠い」と読んだ人も多いと思います。ただ、英語でSo farというと、「これまで」とか「ここまで」という意味。聞いたことがるかもしれないフレーズで"So far, so good"ってあるかと思いますが、それだとわかりやすいかもですね。「ここまで順調」。そんなフレーズです。こーやって、自分のnoteにはプチ英語レッスンみたいなのも織り交ぜていきます。

アカウント開設した前回からちょっと時間が空きましたが、今回は自分の自己紹介を兼ねて、人生をプレイバックします。斎藤兼はこんな人なんです。

1986年4月11日、東京生まれ、ヒップホッ(ry
自分たち世代だと、ついつい言ってしまいますよね。
仕切り直して・・・

1986年4月11日、東京生まれ、東京育ち。2つ上の姉がいる2人姉弟。2歳から英語を始め、保育園からインターナショナルスクールへ。The American School in Japanという、なんともアメリカ感を押し出してる通称「ASIJ」。当初は五反田から、スクールバス、3年生から12年生(高3)までは自宅から電車で調布の方まで1時間15分くらいかけて通ってました。ここに通っていた14年間くらいが自分のベースを作ってくれました。(ちなみに大学まで姉もほぼ同じエデュケーションパス)
学校の名前の通り、アメリカ人が約7割。親の仕事関係で日本に来ている子供たちがほとんどで、「マスターカード」「コカコーラ」「ディズニー」などこれまたいかにもアメリカ感が強い企業で働く親が多かった印象。そんな親たちが転勤期間を終えると帰って行ったりするので、長期で通う子はあまりいなかったです。
残りの3割は日本人やその他の国の子達。そんな子達の方が長く学校にいることが多かったので、幼稚園・小学生くらいの時から育った友達と高校になってもよくハングアウトしてました。

そんな感じの生徒のデモグラフィックなので、校内は小さなアメリカみたいな感じでした。小学生の頃は日本語を話しているのを先生に見つかったら「ABC」の歌を歌わされたり、高校はアメリカの青春ドラマの風景のようにロッカーを各自持っていて、そのロッカーエリアでカップルがイチャイチャしていたり。
そーゆー環境で育ったので、地元の友達がいなかったり、日本の学校に通ってる子達の生活がわからなかったです。中学・高校に入って世田谷のサッカークラブに入ったけど、その時も他の選手との会話(偏差値がどうのとか、授業の話とか)にあまりついていけなかった。あと、この時もそうだったんだけど、日本の学校に通っている子達からしたら、自分は外国人としてみられる、ということ。社会に出ても、「けんは外人だからねー」というような扱いをされると言っても過言ではないですね。まー、それを言い訳に楽に過ごせることも多いので、全然気にしてないんだけれども。

話が逸れましたが、こういう異文化ミックスのコミュニティにいたことや、アメリカで教えるような授業を受けたことによって、色々な価値観に触れることができました。日本の学校に行ってないから、どのような教育の仕方かは想像でしかないけれど、決して「出る杭は打たれる」とかという環境ではなかった。逆に「正解は必ずしも1つとは限らない」というようなことは教わったし、議論することの大切さということも理解しました(現に小学校の頃からディベートのロールプレーとかもやりました)。

部活に関しては、中学からはシーズンごとに違うスポーツを経験できました。日本の学校もせめて中学はそのようなシステムにした方がいいとも思います(このことに関しては別途noteで触れるかな?)。
なので、中学からは、クロスカントリー(長距離走)、レスリング、陸上、バスケ、サッカー、アメフトなどのスポーツを経験することができたのがよかった。

これ、気づいたんだけど、いくらでも描き続けられる・・・
要は、「日本の中のアメリカ」で高校までを過ごしていた、ということです。もちろん上下関係もほとんどなく、いくら上の先輩でもタメ口。なので、側から見たら、割とインターの子達はみんな世の中をナメてる子達に写っていたと思いますw
でも、そういった価値観も大事だったり、日本の価値観とミックスしていくことが大事だと今は思っています。高校卒業して、アメリカの大学に行ったら、もっとナメた感じになっていたと思うので・・・
ということで、高校までの自分のお話しはここまでとします。質問があればどんどん聞いてください!(というか、そのような場所なのか、noteは?)

次回は大学のストーリーになる、はず。


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