
「働き方」に人が出る
ありがたくも、先週「#働き方」部門で
トロフィーをいただけました。
とても身に余る部門ですが、
スキしてくださった皆さまに心からありがとうございます。

「働き方」ということで、すこし付随して
書いておきたいこと。
わたしは、仕事に対してはいつも真剣で、
ときに引かれるくらい、本気です。
そしてこの特性が、もちろんプラスに働くこともあるし、
逆にそうはならないこともあって…
以前のわたしは、「何が」自分に適しているのか?
わからずに、身体をこわしてしまうこともありました。
ほんとうは、合っていない
ことなのに、それが自分ではわからずに
「もっともっと」
「わたしにガンバリが足りないからいけないんだ」と
ほんとうは限界なのに、さらに無理をしてしまって…
「働く」ことができなくなった時もありました。
そのときは、とても凹んで…
せっかく仕事を離れても、ずっと悔やんで
さらに身体の回復に時間がかかったこともありました。
(そのときは、ふつうに太陽の光を浴びることさえむつかしくて、
「働く」以上に、「生きる」ことに精いっぱい…)
でも、だから今
「自分に合う」働き方ができていること、ほんとうに奇跡だなと
感じています。

ときに、コーヒーブレイクもして♪
すこし休みながら、進んでいくこと…
そんな、以前のわたしでは出来なかったこと、今すこし覚えて。
「その仕事で、いったい誰が、どんな人を幸せにできるのかな??」
考えるのはもちろん好きですが、
それ以上に、とても大切なこと…
それは「わたし自身の、幸せ」。
本人が、素直に“幸せ”を感じながら、仕事ができているか?って、
なによりも誰よりも、優先度の高いことだと思うのです。
だって、自分が幸せじゃなければ
ほんとうの意味で、誰のことも幸せにできないから。
「わたしはいいの、みんなが幸せになれたら…」
って、たぶんこれからの時代ますます通用しない。
“みんなで”幸せになるのです。
“みんなで”幸せであり続けるのです。
わたしは、こちらの考えの方がとてもスキです。

きっと、真面目で、ガンバリ屋さんな方ほど
どこか自己犠牲的に、働いてしまうことってあると思うのです。
「みんなも、がんばっているから…」って、
自分だけヘルプ出すなんて、ぜったいゆるされない。
でも、本当にそうでしょうか…?
その分、カラダに出て、
カラダを通じてでしかメッセージを伝えられなくなるその前に。
わたしは、きちんと「言葉」を通じて、
素直な気持ちで、自己表現できれば済むこともあるんだってこと、
そんなこともお伝えしたいです。

わたしは、「働き方に、ひとが出る」と思っています。
その人の「ほんらい」が出てくるいうか…
テキトーなのか、じつはアツイひとなのか、誠実なのか…
その他、いろんな自分が出てくるし、
働き方=おひととの向き合い方といっても過言ではないと感じています。
だから、わたしは「働く」も大切にする。
でも、それ以上に「自分」のことも大切にする。
それが、わたしなりの「働き方」の一部でもあるのでした。
・志も大切だけれど、自分の心身の幸せも大切にして…
・大丈夫、みんな「自分」を生きていることでそれが
すでに誰にもマネできない、その人だけの仕事になっているから…
ここは、ほんとうに感じていて、
「生き方」や「あり方」を見せることが、そのものがすでに仕事
なんて、尊い世界なのでしょう…
わたしもまだまだ皆さまも見習って、
精いっぱい精進していきたいと思います。

で、「みんな、見えないところで悩んでいる」…
わたしは、そこに気づける自分でありたいし、
そこを開示してくださったときに、
「言ってくれてありがとう」が真っ先に言える自分であること。
大切に、生きています。
「言ってもらえる」って、信頼の証。
そしてなにより
「言わないで」「一人」悩まれる方が、すこしでもなくなりますように…
やっぱり、どこまでも願ってやみません。
大丈夫、必ず乗り越えられるから。
だって、ここに現にいま、わたし元気に生きているんだもの…♪

…とこうしてなにか「書く」ことで、それがまた誰かの励みになれたり、
また前へすすむチカラにもなれたならうれしいです。
「越えた」「越える」経験は、かならず自分をつよくするから…
そして、なにかを辞めるって、逃げでもズルでもなんでもない。
「自分の幸せの王道に、戻ります」という行動です。
どうか、もし今ご無理をされている方がいらしたら、
ほんとうに「乗り越えられること」しかやってこないということも
最後お伝えし。
わたし、生きててよかった…
いつの日か、そう思える自分に出会えますように。
そして、そんなあなたと、また再び出会えますことも楽しみに
本日お読みくださりありがとうございます。
