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淡々とやり続けられるのも才能の一つ

どんなことでも、
「淡々と」やり続けられるのって、けして当たり前じゃない。

ほんとうは、もっと誇りに思っていいのに
アピールもしないし、ぜんぜん威張ったりもしないから

あまりパッと見には「(じつは)凄い人」なんてわからないけれど
「(わかる人には、わかる)もの凄く魅力あふれた人」って

実はたくさんいる。

みんな、自分のことって
なかなか案外気づかれないんじゃないかな?とも感じています。

***

自分が、アタリマエにしていること、続けていることって
「本人も気づけていない」「当たり前に思っている」から

それがそのまま現実に反映されて。
まわりからもアタリマエにスルーされている部分がある
かもしれないけれど

それでも、大丈夫。

世の中に一人くらいは、必ずそんなあなたに気づき
拾いあげてくださる方がいる。

わかりやすくアピールされないと、その人の真の魅力に気づけないような
人たちでなく

いろんな裏側も「馳せる」ことができる人と
ちゃんと繋がっていく。

空 雲あ

でも、そういう人に出逢えるまでに、自分がシビレを切らして
「もうダメだ」と自分を放ってしまう事なんてしないで…

自分を尊重することができないと、また「馳せる」ができない人だと
地味な努力をつづけている人に対しても
「なにがスゴイの?」「(見た目)なんにもしてない人」にしか映らない。

自分よりもどこか下に見てしまって、ほんとうの価値に気づけずに
「スルー」「素通り」もけっこうあるのかもしれませんね。

わたしは、そんな人になりたくないし
その逆の立場でももちろんいたくはない

だからこそ、器をいつも磨いていたいな
と感じています。

海 まっすぐ!

努力を誇示しないからこそ、
かんたんには弱音は吐かないからこそ
いつも「平常」があたりまえに思われ「ふーん」で通り過ぎさられること…

いやいや、それって実は
とってもスゴイことなんですよ…!!って、
陰なる努力家の方々の声さえも代弁していきたい。

ほんとうはもの凄い奇跡の0.0001%くらいの人生を生きているのに、
誰もができない
100000分の1の人しか越えられない壁をすり抜けて生きているのに

わたしたちは、もっと“自分の奇跡”に気づいていい。

もっと“自分”を称えていい

ものすごく強めのメッセージを今回ここにお贈りさせていただきますね。

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どんなことも「あたりまえ」に思わないこと。
そこに気づけなくなったら、やがて大切ななにかが遠のくから…

もっと、わたしたちは
自分に対しても、もちろんまわりの人に対しても
裏の、舞台袖を見つめ続けられるそんな「努力」のほうが
じつは必要なのかもしれない。

今一度、「(自分のやっていることに対して)それって、あたりまえ?」と
問うてみる。

みんな、だれもが他の人にはマネできない尊い「わたし」を生きている。

もし、自分に対してまずそう思えたなら、
きっとまわりを見る目だって、変わってくるはず。

そう、どんなときもまずは「自分」からだからだ。

木 雲あ

そんなふうに、まず自分から自分を尊び、そして人を尊び
「ひと」と「ひと」が互いに尊重しあいながら生きていけたら尚いいな。

あらためて
ほんとうに凄いひとって、自慢しない。

ただ、黙々と課せられていることをやり続けるだけ。

「淡々と…」のだれもがもつ気づかれにくいその人の資質も、
世のなか馳せ合い、尊重しあえたらもっと素敵になりますね♪

(「淡々と…」の魔法は、気づかれにくいからこそ)
わたしは、毎日なにかをニュートラルに続けていられる方のことも
こころから尊敬しています。

それは、仕事でなくても、じつは何だっていい。

そして、そこを見つけていくこと、生きていくことも

「自分を生きる」に繋がっていくんじゃないのかな?とも感じています。


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